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愛する人よ、永遠に

 その隙をついて身を隠した私は、側からは逃げたように見えるだろう。ヴィンセントがオフィーリアを抱えてこの場から去るまでの時間を考慮し、死に物狂いで森林を駆けずり回った後に再び奴の前に姿を現した。

 艶やかな金の毛はぼろぼろに禿げ、もはや満足に鳴くことも出来ない。それでも、オフィーリアに褒められた瞳だけはぎらりと妖しく光り輝いていた。

 血だらけの牙でヴィンセントの首元に噛みつき、思いきり歯を突き立てる。その瞬間物凄い力で弾き飛ばされ、私の小さな体は木の幹に叩きつけられた。

「猫如きが、脈でも噛みちぎろうとしたのか」

 細い牙は皮膚を突き破り、そこからじわりと血が滲み出ている。この程度の怪我でヴィンセントがオフィーリアを手放すはずがないと分かっていたからこそ、私の口元は噛みつく前から血に塗れていたのだ。

「まさかお前……。何か仕掛けたのか」

 不穏な空気を感じ取ったのか、奴の瞳がゆらりと揺れる。その内に体が痺れ始め、オフィーリアを抱えるどころか自身の身さえ満足に支えられなくなり、とうとうヴィンセントはがくりと地に膝をついた。

「この、糞猫がぁ……っ!」

 真っ暗なこの森で、唯一猫である私だけが全てを見通せる。けれどそれも、もう限界が近付いていた。

 私がヴィンセントに襲いかかる前、ひたすら森を奔走し虫や動物に噛みついた。特に毒蜘蛛や毒蛇を探し、この細い牙に毒を塗りたくる。加えて野生動物の細菌もこれでもかと摂取し、極めつけは猫である私自身。

 噛みついた傷だけでは殺せないが、毒や感染症であれば話は別。ある程度耐毒を身に付けているヴィンセントといえども、汚い動物の口内で混ざり合った毒には抗えないだろう。

 先に自身が息絶えてしまうかもしれないという懸念はあったが、どうやらアレクサンドラ時代に散々体を毒に慣らしていたのが功を奏したようだ。まぁ、単なる意地という可能性も十分にありえるが。

「くそ、くそ……っ!あと少しでオフィーリアが手に入ったというのに……!」

 頬を泥まみれにしてもなお、ヴィンセントは美しかった。倒れた拍子に投げ出されたオフィーリアには、この男の位置からではどんなに手を伸ばしても届かない。

 そうしてもがいている間にも毒は全身に回り、間もなくヴィンセントは絶命する。猫である私だからこそ、オフィーリアの場所が正確に分かるのだ。

「愛している、オフィーリア……」

 それが、この男の今際の言葉。ヘレナが聞いたらさぞ悔しがるだろうにと、彼女が既に事切れていることを残念に思った。

 ヴィンセントを殺す為、私の口内に毒を取り込んだ。それは当然、私自身の死をも意味する。その上深林の獣達と死闘を繰り広げ、あの男から投げ飛ばされ骨も砕けた。それでも最後の力を振り絞り、ずるずると体を引きずりながらオフィーリアの亡骸に擦り寄る。

「……にゃあん」

 どれだけ鳴こうと、可愛いと私を褒める声は聞こえない。羞恥に耐えて腹を出そうと、嬉しそうに撫でる指はない。あの陽だまりのような匂いも、鉄錆に似た不快な血臭に消されてしまった。

彼女が私を拾ってから過ごした時間は、たったの数年。

 ゆったりと目を閉じ、冷たくなった体に頬ずりをした。神は私を、彼女と同じ天国へ導いてくれるだろうかと考え、それは無理だと嘲笑した。ヴィンセントを殺した私に待っているのは、途方もない地獄への道だけ。

 それでも、決して後悔はしない。アレクサンドラとして欲望のままに生きてきた人生よりもずっと、猫として過ごした日々は満ち足りていた。

「仕方ないから、私も貴女を愛してあげるわ。オフィーリア」

 最初で最後の愛の言葉は、掠れた吐息となって微かに吹いた夜風に流され、静かに消えた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] もうね、この小さな金色の猫がボロボロになって、飼い主(下僕)の仇を討つために戦う姿を想像するだけで泣ける。 悪女だったアレクサンドラには友達なんていなかったけど猫になって初めて友達が出来た…
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