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ヴィンセントの計略、荒唐無稽

「お前から、オフィーリアを解放する」

 腰元の鞘から抜いた剣は、普段奴が帯刀しているものよりも短く、切先が細く尖っている。手入れもされていない蔦だらけの森では、長刀は扱いづらいと馬鹿でも分かるが、切先の細さはなるべく刺創を小さく済ませる為なのだろう。つくづく猟奇的で、気味の悪い男だ。

「この体に傷を付ければ、彼女は死ぬわよ」

「構わない。お前の道化となるくらいならば」

「……そうでなくても、殺すくせに」

 互いに随分と無駄なお喋りに興じたが、それもここで終わり。一方が話しかける時、もう一方は屍となっているのだから。

「やっとこの手で、お前を殺せるわ!」

 鏡を見ずとも、自分が今どんな表情をしているのか容易に想像がつく。飼い慣らされた愛らしい猫ではなく、獰猛な豹のように獲物を食らうことにのみ傾注している。

 短剣を振るたび、冷えた空気を斬る音がした。互いに葉を避けながら、相手の死角となる葉に身を隠す。ヴィンセントのいけ好かない香草の香りがあちこちに散り、私の鼻を不快にさせた。

 当然、この短刀は奴の注意を引く為だけのもの。刃先に軽い毒を塗布しているが、命を奪うほどの毒性はない。頬を掠めた程度では、ヴィンセントに膝をつかせることはできないだろう。

 私達が対峙している背後では、剣の刃が交わる音が絶えず響いている。クリストフに合図したのは、私の気付いた気配が五人という意味。それはクリストフが察知できる距離にいない相手であり、私達を囲む敵はその比ではなかった。

「くそ……っ、たった一人だというのに!」

「この暗闇と茂った森で、なぜこんなにも正確に斬り込んでこれる……!」

 クリストフの攻勢一方で、いくら数に分があろうと並の剣士ではまったく歯が立たない。深林という場を上手く利用し、王子とは思えぬ果敢な戦法で相手を翻弄していた。

 ヴィンセントが何十人の味方を引き連れようと、オフィーリアを殺させるような馬鹿な真似はしないと分かっている。あの夜ヘレナの愚行を許さなかった男が、また同じ過ちを繰り返すはずがない。本人に記憶がなくとも、本質は変わらないのだから。

「口だけか」

「お前が避けるからよ」

「殺す気がないのなら」

 見せかけの太刀を浴びせ続ける私を剣でいなしながら、ヴィンセントが腰元に手を伸ばす。真正面から投げられた小瓶を、私は短剣で叩き割った。

 その瞬間、むせ返るようなまたたびと酒の匂いが涙腺と鼻腔を刺激し、思わず手で口を覆う。


(柑橘と香草のきつい香りに混ざっていたのは気付いていたけれど、まさかここまで濃いものだったなんて)


 一体どれだけ濃縮させれば、ここまで高濃度のものを抽出することが可能だというのだろう。おそらく他にも、猫にとって毒となるものが数種混ぜられている匂いがする。一刻も早くこの場から離れなければまずいことになると、腑抜けた肢体に力を込めた。

「まさか本当に効くとはな」

 その一瞬の隙をつき、ヴィンセントは私の頭上から同じ液体を容赦なく浴びせた。私が叩き割ったものとは、別の瓶。

「か……は……っ!」

 直接肌に染み込んでいくそれは、先ほどとは比べものにならない。頬から垂れた酒が口元を濡らした途端喉を掻き切られたような激痛が走り、言葉を発することはおろか僅かな呼吸すら困難だった。

 この男は、おとなしくロイヤルヘルムへ帰国したふりをして私に監視を付けていた。少しでも民が潤うようにと、クリストフの住まう離れには商人の出入りも多かった為に、誰がそうであるか特定まではしなかった。

 どうせいくら覗かれたところで大した意味はない、好きなだけ探ればいいと侮っていたのが、どうやら失策だったらしい。


(まさか、こんなものを使ってくるなんて。さすが、イカれた王子様だわ)


 美しい花の代わりにまたたびを愛でたからといって、それが弱点になろうと誰が考えるだろうか。ヴィンセントはおそらく、私を殺す為の無駄な策を何十何百と練ったのだろう。婚約者が贋造であると、信じて疑わずに。

 その中のひとつ、たまたま正解を引き当てた。時間と手間を惜しまず作られたまたたび酒は、今の私には効果覿面だった。ただの毒よりも、よっぽどに。

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