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愛を欲しがる、哀れな亡霊

「クリストフ殿下にお会いするのも、久しぶりでしょう?」

「お前がベッセルへ渡るなどという戯言を言い出した時から、こうなると予想はついていた」

「こう、とは?」

「オフィーリアの身体を利用し、男を誘惑する売女に成り下がったと」

 冷然とした態度を崩さず、そんな戯言で私を惑わそうとする。ヴィンセントのいかなる侮辱も、私の心を乱すことはない。なぜならば、この男が罵倒する対象がオフィーリアではないからだ。

「ひとつ、伺ってもよろしいですか?」

 金のツインテールが揺れると、まるで月明かりが差し込んだようにぼんやりと淡く光る。あの夜と同じ赤い月は、オフィーリアになんの幸福も与えてはくれないのに。

「なぜもっと早く、ヘレナを殺さなかったのですか?」

「その必要がなかった」

「では、オフィーリアの両親を嗜めることは?」

「愚かな親を正す意味はない」

 紫黒の瞳は、誰も何も映さない。

「確かに、そうですわね」

 今さら懐古など、なんの慰めにもならない。温かな手に撫でられた記憶も、共に日向で微睡んだ記憶も、日に日に薄れていく。

 私は歳を取り、オフィーリアはそれをしない。思い出は、孤独を慰める道具にはならない。

「貴方が、誰よりも理解していますものね」

 胸に手を当てると、確かに鼓動を感じる。

「自分がオフィーリアにとって、何の影響も及ぼさない存在であると」

「……なんだと?」

「あの子は、誰にでも優しかった。同じように返されることなど求めてもいなかったし、救われたいと望んでもいなかった」

 ヴィンセントの銀髪が、さらりと風に靡く。きっとオフィーリアは、一度もそれに触れたいと思ったことなどない。

「たとえ何度命を奪おうと、あの子が貴方を恨むことはないわよ」

「さぁ、どうだろうな」

 この男の心情が、私の中に流れ込んでくる。渇望するほど、目の前から消えていく虚しさ。自分自身の手に入らないのならば、他の誰かに奪われる前に壊してしまおうという、愛を知らぬ者の利己心。

「それすら私に邪魔されて、本当に可哀想な人」

 ぽつりと呟いた声は、まるで心から同情するかのように掠れていた。

「……お前をいくら調べても、何ひとつ掴むことはできなかった」

 よく喋る私に感化されたのか、ヴィンセントが自ら薄い唇を開いた。

「お前は、体を持たぬのだろう。入れ替わりではなく、お前だけがオフィーリアに取り憑いた。彼女は、永遠に戻らない」

「……取り憑いただなんて、まるで幽霊みたいな言い方ね」

「そうだ、お前は亡霊だ」

 互いの言葉が、闇に呑まれて消えていく。愛する者に二度と会えない苦痛を、共有しているかのようだった。

「オフィーリアという主人を求め、彷徨う哀れな亡霊。酒の代わりにまたたびに酔い、人間離れした動作で屋根の上を走り、夜目に優れている」

 ヴィンセントは眉ひとつ動かさないままに、抑揚もなく空想のような現実を導き出した。

「まるで、オフィーリアの忠実な愛玩動物だ」

「……ふふっ」

 今夜、この場所で誰かが死ぬ。それは、何度繰り返しても変えられぬ事実。

「貴方の言う通り、私は彼女の僕よ」

 くすくすと響く笑い声は、いつまでも浮かんで消えない。手袋越しに後ろ手でクリストフの手の甲に触れると、とんとんと素早く五回指で叩く。何の反応もなかったが、僅かな呼吸の違いだけで彼が意図を読み取ったのだと、私は理解した。

「だからこそどうしても、貴方許せないの。ヴィンセント・セルゲイ・ロイヤルヘルム」

 一歩ずつ、因縁に近付いていく。今この瞬間、すべてを終わらせる為に。

「もう、お前にオフィーリアは殺させないわ」

 助走などなくとも、簡単に距離を詰められた。逆手に握った短剣はヴィンセントの頬を掠めただけで、手応えは感じられない。

「オフィーリアに命を奪われるなんて、本望でしょう?」

 躱されることなど想定内で、私の体幹が崩れることはない。素早く後ろに身を引いたヴィンセントもまた、動揺のひとつさえ見せなかった。

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