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愛を知らなかった傲慢な悪女は

「今は、何が正しいのか分からない。まさかこんな……、こんな感情を抱くなんて考えもしなかったから」

「……オフィーリア」

「私は貴方を、剣だと言った。けれどそれは、間違っているのかもしれません」

 なぜ今になって躊躇してしまいそうになるのか、自分自身でも説明など不可能だった。オフィーリアの幸せの為にヴィンセントは生かしておけないが、優しい彼女に殺しをさせるつもりもない。ならば、代わりに他の誰かにやらせるしかないと分かっている。

 クリストフを利用することは私にとって最善の選択であり、彼もまたそれに同意している。ここでぐだぐだと偽善を述べたところで、時間の無駄にしかならない。

「貴方は、この先のベッセルには必要不可欠な存在。王となり無益な戦争を終わらせ、貧困にあえぐ多くの民の光として、道を照らしていくお方。万が一命を落とすような事態になれば、私はその光を奪うことになってしまう」

「……」

「それは本当に、オフィーリアを幸せにしたと言えるのでしょうか」

 ごつごつとした硬い皮膚の下には、赤く濃い血が流れている。力強い鼓動は音を立てなくなり、温かな手が徐々に冷たくなり、緑水晶を宿した瞳は永遠に開かなくなる。

 あの日、赤く輝く美しく不気味な月の出た夜。オフィーリアを守れず死んだ無念を忘れた瞬間など、一時もなかった。

 氷のように冷えた彼女の体に寄り添いながら、私の小さな体もゆっくりと毒に侵されていった。後悔だけがいつまでも残ったまま、こうして生まれ変わった今もなくなることはない。

「クリストフ様」

 この温かさを、失いたくないと思ってしまった。

「私は貴方に、死んでほしくない」

 一度染みついた恐怖が、再び私を蝕んでいく。

「もう二度と、大切な人を失いたくないの」

 認めるつもりなど、なかったというのに。


(本当に、私など生まれなければよかったのに)


 悪魔と呼ばれた女はどこまでいっても、結局は悪魔のまま。誰かを幸せにすることなど、無理なのかもしれない。

「アレクサンドラ」

 気が付けば私は、彼の逞しい腕に絡め取られきつく抱き締められていた。小さな体は簡単に収まり、今はただ耳元で激しく響く鼓動の音だけが、私の脳を支配する。

 自分以外の誰かから名を呼ばれたのは、いつぶりだろうか。

「僕は死なない」

 クリストフは、それだけを口にする。オフィーリアの甘い香りとは違う、土と草木の混ざった生命力に溢れる匂い。初めて出会った時から、私はこの男の匂いが嫌いではなかった。

「もうこれ以上、貴女から何も奪わせない」

 だらりと垂れた手が、僅かに彼の背を掴む。その瞬間、私を抱き締める腕に一層力が込もった。

「私よりも、オフィーリアが生き返るべきだった。それが叶わないのなら、一緒に死にたかった」

「貴女の魂が蘇ったことには、必ず意味がある。オフィーリアを幸せに出来るのは、アレクサンドラだけだ」

「……そうかしら」

 ずっと、心のどこかで気付いていた。もしかしたら、あの子は私を恨んでいるかもしれないと。家族や婚約者から守れず、体まで乗っ取り、オフィーリアが受けるはずだったものを奪っているのではないか。

 誰からも愛されず生きていたアレクサンドラ・レイクシスは、たった一人の令嬢から嫌われてしまうことが、何よりも怖くてしかたなかった。

「大丈夫。何もかも、上手くいくよ」

「……相変わらず、楽観的ね」

「僕はこの先も、貴女を悲しませないと誓う」

 根拠のない言葉など必要ないと頭では理解しながら、私の体はクリストフに委ねたまま。

 瞼を閉じゆっくりと深く息を吸い込むと、それを吐き出すとともに優しく彼の体を押した。その拍子に、金色のツインテールがゆらゆらと揺れる。

「この私としたことが、ヴィンセントとの決着を前に少し気が緩んだようです。お見苦しいところを見せてしまい、申し訳ございませんでした」

「……謝罪の必要はない」

 クリストフは、私の望む通りの行動を取ってくれる。好きだという愛の言葉も、恋人同士の口付けも必要ない。彼の本当の気持ちに気付いていながら背を向ける私は、やはり今も悪女のままなのだろう。

「さて、もうすぐ日が暮れますわ。そろそろ出発いたしましょうか」

 オフホワイトのドレスを揺らし、私は穏やかに微笑む。

「貴女はなぜ、あの深林に今日ヴィンセントが現れると思うんだ?」

「さぁ?確信はありませんわ」

 少しずつ帳を下ろしていく景色は、まるであの日の再来のようだった。オフィーリアを助けられず、生まれて初めて自分自身を悔いた瞬間。

「ただひとつ確かなのは、今夜は満月だということです。それも、世にも珍しい赤い月の出る夜」

「赤い月?そんなものが、本当に?」

「ええ、そんな予感がいたしますの」

 見上げた空には、すでに薄っすらと淡月が顔を見せていた。

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