この国にお別れを
「もちろん、オフィーリア嬢の籍を完全にこちらに移すことを認めていただけるのでしたら、私も貴国への協力は惜しみません。が――」
食えない笑みを浮かべるクリストフを見ていると、背中がぞわぞわとして落ち着かない気分になる。
「必要以上に謙るつもりもございませんので、どうぞお知りおきを」
「はっ、貴殿はなかなか気の強い男であるな」
「王族といえど、私の主戦場は華やかなパーティーの場ではありませんでしたから」
爽やかな雰囲気の中で、緑水晶の瞳だけが獣じみた光を宿している。滲み出る覇気を感じ取るあたり、陛下もただの能無しではなさそうだ。
「そう構えるな。私とて、ベッセルと刃を交える気は毛頭ないのだ。あいにくロイヤルヘルムは、他国と手を取り合うことに抵抗がないのだ」
「ご心配なく。我が国も、後にそうなります」
「第一王子殿は、現王と同思想だと風の噂に聞いたが?」
「ええ、ですが私は違います。ベッセルの民に、これ以上戦の重荷を背負わせるわけにはいきません」
きっぱりと言い切ると、膝をついたままの私の体を優しく支え立たせた。
「今後は、私の主戦場も様変わりしそうです」
クリストフが最後にそう締め括ると、国王陛下は一瞬瞳を丸くした後、感心したのか呆れたのか小さく笑んだ。
「貴殿のような男は、嫌いではない。今後はベッセルとも、安心した付き合いができそうであるな」
「陛下にそのようにおっしゃっていただき、光栄でごさいます」
マシューが王位を継がないと悟った途端、目付きが変わる。私の身柄も無事保証され、ヴィンセントの為に流した涙は無駄にならずに済んだようだった。
「母として、オフィーリア嬢に謝罪いたしましょう。我が息子ヴィンセントの不始末を」
「お心遣い本当に感謝申し上げます、王妃陛下」
それが建前であろうと、そんなことは関係ない。万が一認められず難癖をつけられた場合には、あらゆる証拠をねつ造してやろうか、あるいは力ずくかと思っていたから、無用な争いを生まない選択をしたこの二人は、そこそこに賢いと言える。
殺害されたのがヴィンセント以外の王子であればこうはいかなかっただろうに、つくづく家族に見放された男だ。
(私も、人のことは言えないけれど)
アレクサンドラ・レイクシスの処刑に意を唱えた者は、ただの一人もいなかった。拍手喝采の中で弾頭される時、そこに父と母が混ざっていたことも知っている。あれは、自分達だけが助かりたいが為のアピール。娘を見捨て、決して同類ではないと周囲から思われたかったのだ。
しかし、私は自業自得だった。悲しみは浮かばず、これで楽になれると晴れやかな気分で命を手放した。愛することも、愛されることもなかった。それでよかったはずなのに、今はこうして生きたいと願っている。
誰かを愛する喜びは、どんな宝石やドレスよりもずっと輝かしい宝物だと私に教えてくれた、オフィーリアの為に。
「私に今できることは、ヴィンセント殿下の魂の安寧を願い、天に祈りを捧げることだけです。これ以上後悔を重ねぬよう、あの方を心に宿し生きていきます」
「そなたは不遇な娘であったな」
「本当は今もまだ、朝目覚めるたびにこれが夢であったならと、そう思わずにはいられませんが……」
青白い頬を無色透明の涙が伝い、華奢な体がぐらりと揺れる。そんな私の体を、クリストフが静かに支えた。
「ベッセルに身を移しても、私がヴィンセント殿下や母国を大切に思う気持ちは変わりません。クリストフ殿下は、それを理解してくださる寛大な方です」
「ああ、そなたの思いは十分に伝わった。デズモンド家への罪は、これ以上問わないと宣言しよう」
「ありがとうございます、陛下……!」
涙を拭うこともせず、私は再び跪く。クリストフもそれに倣うように、長躯を器用に折り曲げながら深々と首を垂れていた。