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パッと目を開けたら、私の愛しい人が居ないのだが?

作者: 半端者

走り書きです。

『道に迷ったんですか?』


生まれつき目も見えず、耳も聞こえない私にとって世界というのは恐怖の場所でしかない。そんな事物心ついた時から分かっていたというのに無謀にも私は母の手を借りず、一人で病院に行こうとしてしまった。

案の定、私は暗闇の世界の中で途方に暮れてしまっていた。そんな不安で怖くて寂しい中、自分の手のひらに指文字でそう書かれた時、安堵した。この現状から何とかなったというのもあるが、一番は私の手に触れたこの人がとても優しい手つきだったからだと思う。

私はこの人の質問への肯定として首を大きく頷かせた。


『どこに行く予定なのですか?』


しばらくの間、再び優しい手つきで手のひらに言葉が記された。

私はお母さんが入れてくれたであろう。地図をポケットから取り出した。そこには目的地である病院への道順を記した地図が入っているはずだ。

案の定、四つに折りたたまれた紙が入っており、私はそれを恐らく目の前にいるであろう人に見せた。

その人が紙を受け取るのが分かった。またしても一人ぼっちの暗い空間に投げ出された感覚に陥る。もしかしたら、この人はいたずらで私にちょっかいをかけただけかもしれない。もしかしたら、とっくにどこかに行ってしまい、健気に反応を待っている私を笑っているかもしれない。そんな根も葉もない恐怖に囚われてしまうが、すぐにそれは払拭された。


『僕もこれからこの病院に行く予定なんですよ。よろしければ僕と一緒に行きませんか?』


驚いた。こんな何もできない私に話しかけるならまだしも、一緒に病院まで行ってくれるなんて。暗くて怖い世界にこんな人が居るなんて思いもしなかった。

しかし、良いのだろうか。この人の優しさに甘えても。そもそも、誰のでも借りずに病院に行くと宣言したのは私なのに、結局この人に縋ってしまうのはダメな事なんじゃないだろうか。

私の逡巡を察してか、再び手のひらに言葉が記される。


『大丈夫ですよ。僕が付いています。貴方の眼になるので安心してください』


別に目の前の人に対して不信感を抱いているわけじゃ無い。この方に迷惑をかけるのに申し訳なさを抱いているのに。でも、なんだかこの方の言葉を受け取ると妙に素直な気持ちになった。この人に正直に縋ろう。私はお願いしますの意味を込めて、この方の手を優しく包み込んだ。


-------------------------------------------------------------------------------------------------


 ケンジさんと言うらしい。ケンジさんは現在大学三年生で都内で一人暮らしをしているようだ。大学では海外文学の勉強を主にしており、その中でも「星の王子さま」がケンジさんの主な研究対象みたいだ。サークルには入っておらず、アルバイトもしていない。その理由を尋ねると生まれつき体が弱く、集団や激しい動きなどをするのは体に適さないからだと言う。


『僕の話だけじゃなくて、貴方の事も聴きたいです』


ケンジさんにそう伝えられた時、私は少し困惑してしまった。小さい頃から真っ暗な音の無い世界で生きてきた私にとって、私の想いや言葉は私だけしか持っていない物だった。それを他者・世界に出す事が妙に怖かった。もし、私が捉えている世界が一般の方とかけ離れていたら、拒絶されてしまうのではないか。そんな不安が常に付きまとっていた。

だから、ケンジさんの言葉に素直に反応が出来なかった。しかし、そんな私を見て、ケンジさんはまたしても私の手を取った。


『貴方がどんな人で、どんな事を考え、どんなふうに世界を捉え、どんな事が好きで、どんな言葉遣いなのか、そんな事が知りたいです』


優しい言葉だった。繊細な手つきだった。穏やかな肌触りだった。

あって数十分、顔も声も身長も何も知らない人なのに、何故か彼の言葉は私の心にスッと入ってくる。

恐る恐る、彼の手のひらに触れる。


『私は……』


-------------------------------------------------------------------------------------------------


バスが病院前に着いたようだ。体感として20分ぐらいだろう。たった20分ぐらいなのに私は彼に沢山の事を伝えたし、沢山の事を感情を抱いた。だから、また話したいと思った。


『今、看護師の方に貴方の事を伝えました。もうすぐ主治医がいらっしゃるようです』


私の来診を伝えてくると行ったケンジさんが戻って来て、そう言った。そして、続けて


『短い間でしたけど、どうもありがとう。楽しい時間でした』


「……!」


彼のその言葉を受け取った時、私は慌てて彼の手をギュッと掴んだ。彼が驚いてるのが手の動きですぐに分かった。

しかし、私はそんな事お構い無しで彼の手のひらに言葉を雑に綴った。


『また会えますか?』


私は彼の顔が分からない。私には彼の声が聞こえない。分かるのは彼の手のひらの感触だけ、私にとって初めて「外の人」であるケンジさんとこのまま別れるのは嫌だ。

だから、私は彼に再び会えるように答えを求めた。彼との会話は楽しい。初めてなのだ。何もない世界の住人である私の言葉を真剣に受け止め、真剣に言葉を返してくれたのは彼が初めてなのだ。だから、このままさようならは途轍もなく嫌だ。


不安か焦りか色んな感情が混濁し、私は震えながら彼の手をギュッと握りしめる。しかし、彼は私の震える手に優しく触れ、嫋やかに撫でた。その優しい手つきに触れられると自然と私の手から力が抜けていった。まるで絡まった糸がほどけるみたいに呆気なく。

そして、力の抜けた私の手のひらに彼はゆっくりと


『いつでも会えます。いつでも僕は貴方の眼になりますよ』


その言葉を受け、私は静かに泣いた。こんなにも暖かい言葉はない。こんなにもぬくもりのある肌はない。こんなにも包み込んでくれる人はいない。

ああ、この人に出会えて本当に良かった。


-------------------------------------------------------------------------------------------------


最初、この感覚を表現する言葉が見当たらなかった。目の前がいつもと違い、妙に突き刺さる感じだった。後々、これが眩しいという物だとお医者さんとお母さんから教えられた。

なんだがずっと長い間眠っていたような気がする。いや、眠っていたのだ。だって、私は夢を見ていたから。

そう、ケンジさんと出会った時の夢を見ていた。

ケンジさんとの日々は楽しかった。こんな日が永遠に続くと思っていた。手のひらで通じる言葉、指先を経て通う心、温もりを抱いた想い、私は彼の顔と声を知らないけど、私は彼をどんどん知っている核心を抱いていた。そして、次第にとある感情も明瞭になってきた。


これはそうだ。これは好きだ。愛しているだ。ずっと一緒に居たい。ずっと傍に居て欲しい。これからも私の手に優しく触れて欲しい。私の目で居て欲しい。私は彼の事を心から愛している。



『メイ? 読める?』


母が書いた言葉にゆっくりと頷いた。未だ視界はぼやけるし、初めて感じる「見る」という物に慣れ切ってはいないが、私はだんだんとこの世界に順応していっていた。

これが世界を見るという物らしい。

なんだが不思議だ。それこそ夢を見ているみたいだ。ある日突然、私の角膜に適合するドナーが見つかり、緊急で手術をすれば私の視力が治るとお医者さんに言われた時、何もかもが急で半ば私は方針状態だった。

でも、やっぱりこれは夢ではない。実際私はこの世界が見えている。


ずっと見て見たかった。そう思っていた。なのにそこまでの感動を抱くことが出来ない。何故なんだろうか。


本当は分かっているんじゃないの?


頭の中にそんな言葉が反響した。


……ああ、そうだ。分かった。彼がケンジさんが居ないからだ。

私にとって彼が私の世界を構成していた。だから、彼がいなければどうにも実感が湧かないんだ。

そうと分かると心が一気に晴れやかになった。


早く会いたい。早く彼に会いたい。彼はどんな顔をしているだろうか。男らしい凛々しい顔つきだろうか。いや、常に丁寧な言葉遣いだから、とても柔和な顔つきをしているかもしれない。身長は? 大きいだろうか。大きければどれほど大きいだろうか。どんなふうに笑うのだろうか。髪は長い? それとも短い? どんな服を着ているだろう。ううん、そんなの本当はどうでもいい。ただ今は彼に触れ合いたい。いつもみたいに優しく手に触れて欲しい。そして、伝えるんだ。だって私は気付いてしまったから、彼が好きだと。伝えたくて、伝えたくてどうしようも無い。この想いを伝えるのは恥ずかしい。きっと顔を真っ赤にさせて羞恥心でどうにかやってしまうかもしれない。彼の顔をまともに見れず、俯くかも。でも、伝える。伝えたい。彼は優しい。だから、いつまでも待ってくれると思う。でも、待たせない。直ぐ伝える。今すぐ伝える。伝えるんだから。そう、そう、伝えないとダメなんだからさ。だから、だから……。


早く私の目の前に現れてよケンジさん。


どうして、今日は来てくれないの? 毎日来てくれてたよね。私が学校に行かなくても大丈夫って聞くと、


『たまにはサボってもいいかもと思いまして』


なんて言って、会いに来てくれるのは嬉しいけど、学校にはちゃんと行かないとダメと私が叱ると、少し拗ねた手つきになって。そんななんでもない事が思い出す。ねぇ、ねぇ、早く! 


お母さん! ケンジさんは! どこ!


なんで、泣くの? ケンジさんは? 何時も会いに来てくれてたよね。


あ、そうだ。先生! ケンジさんを知らないですか? 私にとってすごく大切な人なんです!


先生までなんでそんな悲しそうな顔をするんですか? ねぇ、お願い。誰でもいいからケンジさんの場所を教えて! あの人から来ないなら私が行くわ!


ねぇ! みんな何で泣いてるの!? お願い……。誰か、早くケンジさんに……。


本当は分かっているんじゃないの?


……うるさい。


彼は表れてくれない。


……うるさい。


彼の事を尋ねると皆悲しそうだ。


……うるさい。


彼は言ってくれる私の眼になってくれると。


……うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい! 黙ってよ!


…………。


……分かってる。毎日来てくれてた彼が居なくて、彼の事を尋ねると皆悲しそうで、私の目が見えるようになって、たまたまドナーが見つかって、彼は病弱で。


分かっている。分かってるんだ。ケンジさん,貴方は優しい人ね。まさか本当に私の目になっちゃうなんて思わなかったわ。貴方はいつも優しくて、私の事を思っていて、素晴らしい人だわ。でもね、ケンジさん。


私にとって貴方が居ない世界は、見る価値も無いって事を貴方は気付かなかったの?


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