5話 聖女の贈り物
マルグリットの遺体はエドワールの部屋から目と鼻の先にある薔薇園で発見された。赤やピンクの薔薇が広がる美しい庭園で、庭師は犬を飼っていて、その犬が真っ先に庭の異変に気づいたようだ。
犬は彼らの習性で怪しい場所の土を掘り起こそうとして、そこでマルグリットの死体を見つけてしまったのだという。
遺体は損傷が激しく、目や鼻は潰されていて、ドレスは土で汚れて見るに耐えないものになっていた。これをマルグリットと断定できるのか、エドワールには疑問だった。だが、死体の身につける装飾品も、彼女の金髪も、マルグリットが持つもので、エドワールたちに辛い現実を突きつけるようだった。
マルグリットの遺体は王宮にいた野次馬によって囲まれていて、エドワールは彼女の全体像を見るのが精一杯だった。
「アルフレッド殿下! こちらの絵も一緒に発見されました」
アルフレッドのもとに運ばれた絵は、布で包まれていて、土で多少汚れてはいるものの元の絵がはっきりと理解できた。
百合の花束を持つ赤毛の女性の絵。
マルグリットの周囲で赤毛を持つ女性は1人しかいない。
侍女のリリアーヌだけだ。
「何でこれがこんなところに」
「『エドワール王子の一目惚れ』にとてもそっくり」
「……ああ、しかもこの署名。マルグリット嬢が描いたものじゃないか?」
「マギーは絵が得意だったのよ。ご存知なかった?」
どこから現れたのか、前に会った娼婦のフーシアがひょっこり話に混ざる。最も、彼女が王弟の愛人ならば、王宮内にいるのも不思議ではないのだろうが。
「またお前か。頼むから事態をさらに混乱させるな」
「エドワール殿下。事態を混乱させているのは殿下では?」
「お前何を」
「今年の誕生日、王子様は婚約者に何をいただいたのかしら」
「それは……」
エドワールは上手い切り返しを考えつかずに口籠った。フーシアは勝ち誇ったような顔をしている。
「この絵でしょう? マギーがあなたに伝えるために自分で描いた絵。『私はリリアーヌとの関係を知ってるのよ』って。絵画を渡されて逆上して、マギーを殺したの?」
「全て推測だ。その絵がマルグリットが描いたという証拠も無い。彼女を殺した誰かが俺に罪をなすりつけるためにわざとやった可能性だってあるだろう? な、アルフレッド?」
「エド、さすがにこれは言い逃れできないよ」
「でも、俺は本当に何もやってないんだ!」
「このろくでなし!」
「地下牢に入れろ!」
「聖女様を殺したのはそいつだ!」
「聖女殺しの婚約者を許すな!」
仮にも王子に対するものとは思えない罵倒、暴言が飛び交った。王宮内はいつのまにか王子より聖女を崇める者が増えていたようだ。信奉者たちが聖女殺しの婚約者を今にも殺しそうな目で見つめている。
「フーシア、行きましょう。ここは恐ろしい場所だわ」
紫髪の女がフーシアの腕を取る。フーシアはにっこりと彼女に微笑んで、エドワールの方を振り返った。
「そうね。エドワール殿下、ごきげんよう」
フーシアが去り、残されたエドワールは彼を犯人と決めつける人々に囲まれてしまう。
「俺は……」
エドワールが自分は殺していないことを主張しようとすると、それを遮るようにエドワールの前にリリアーヌが立ち塞がり、地べたに這いつくばり周囲に許しを請う。
「申し訳ありませんでした! 私はしてはならないことをしました」
涙ながらに、彼女は謝った。エドワールは唖然としてただ眺めることしかできない。
「エドワール殿下の誘いを断れなかったのは私の責任です。マルグリット様がご存知だったなんて……一体どれほど苦しんだか」
「リリアーヌ?」
それではまるで……
「私は断じて、自らエドワール殿下に近づいたことはありません。マルグリット様からエドワール殿下を奪おうなんて思ったこともありません。こんな結末になるなんて思っていたら、私は身分差等弁えずに殿下の誘いを断っていました」
彼女は平然とエドワールの前で自らを庇う。
リリアーヌの言い分ではまるで、エドワールが全て悪いようではないか。エドワールがマルグリットを殺した犯人のようではないか。
「このような結果になってしまったのは、全てわたしの責任です。でも、どうかわたしにもう一度チャンスをいただきたいのです。修道院に入れさせてください」
リリアーヌの言葉は彼女の本心とは矛盾している。彼女はエドワールを庇う気もない。エドワールが犯人だと決めつけている。
彼の中で、リリアーヌの偶像が音を立てて崩れ落ちた。
このような裏切りを、彼は前にも一度味わったことがあった。
フェリシーという男爵令嬢だった。母親がマルグリットの母親の侍女で、マルグリットとも仲が良く王宮によく遊びに来ていた少女。
2年前、マルグリットが毒に侵されて意識不明の重体になった時、エドワールはとても荒れていた。誰も彼に逆らえず、手出しできず、傍若無人な態度に周囲が疲労困憊していたその時フェリシーはエドワールに、
『マルグリット様が大変な時だからって周りに甘えないで! あなたを中心に世界が動いているわけじゃないのよ!』
と叱ったのだった。エドワールは態度を改め、フェリシーとよく行動を共にするようになった。マルグリットはベッドの中。誰も機嫌が悪いエドワールに近づこうとしない。
2人が「親密な」関係になるのはあっという間だった。
周囲はフェリシーを虐めたのはマルグリットだと思っているが、マルグリットが体調が良くなってから、エドワールとフェリシーの関係を当人に問い詰めて揉み合ったというのが実情だった。
その結果フェリシーが階段から落ちたのはエドワールのせいだ。エドワールはフェリシーに何度も謝罪して、赦しを願った。その後、フェリシーは厄介な婚約者を持つエドワールをさっさと手放し、別の獲物に目をつけたと聞いたのは随分経ってからだった。
要するに、彼女は最初からエドワールのことを好きでも何でもなかったのだ。王子だから仲良くなった。それだけだった。
フェリシーのことを思い出すと、エドワールは苦々しい気分になる。彼は意図的に彼女を避けているほどに、その件にトラウマを抱いていた。
そこで、ふと、彼は思い出す。
「聖女の無事を祈る会」にはほとんどの貴族が集まっていたと言っても過言ではなかった。それなのに、フェリシーは参加していなかったことを。
招待し忘れた? いや、そんなことはない。
エドワールを避けていた? 彼が彼女を避けることはあっても、彼女はこちらを気にせずに堂々としていた。
では、何故?
「俺は、犯人じゃない。俺よりも怪しい人物がいる。マルグリットと親しかったにも関わらず、「聖女の無事を祈る会」に現れなかった令嬢」
エドワールは声を振り絞る。周囲は彼に注目して、次の言葉を待った。
「フェリシー・アルナンディ。マルグリットを悪役令嬢にした張本人だ」
*
フェリシーの屋敷にはアルフレッドとエドワールが行くことになった。屋敷は男爵令嬢が住むにしては豪華で、華美な装飾に溢れていて、彼女の父親は貿易で随分儲けているようだと想像がついた。
「フェリシー様は家出なさいました」
フェリシーがいないか尋ねてすぐに、メイドは淡々とそう返した。
「家出? 間違いないですか?」
「こちらに手紙がございます」
『お父様、わたしの親不孝を許して。わたしはアルナンディ家を出ます。もうアルナンディ家の娘を名乗らなくなるけど、わたしはお父様をずっと愛しています。いつかまた会う日を心待ちにしています。愛を込めて』
抽象的で曖昧だが、確かに家出を告げるような手紙だった。
「家出して何するつもりだったんだろうね」
「マルグリットを殺したことがバレる前に逃走した、とか?」
エドワールの発言で何か思うところがあったのか、アルフレッドは手紙を差し出した使用人に声をかける。
「君、この手紙をいつ見つけた?」
「フェリシー様が王宮へ行かれた日に、掃除をしていたメイドがこれを発見しました」
「エドワールの誕生日祝いの日ですか?」
「はい。本当に最近でしたから」
「エド、君はフェリシー嬢が犯人だと主張するのかい?」
「彼女しかいないと思う。余計に疑われることは分かってて言う。俺はマルグリットの部屋と通じる通路の存在をフェリシーに明かしたことがある。今はもう関係がないが、彼女とは一度そういう関係にもなったんだ」
「疑われるのも自業自得のように思えるね。それを僕に告白するということは、もう秘密にする気がなくなったのか?」
「嘘をついても仕方がないと思った。俺はたしかにクズだ。婚約者がいるにも関わらず、他所で女を作って遊んでばかりいた。でも、だからといってマルグリットを殺そうとは思わない。例え婚約破棄をしても、殺すほどは憎んでいないからだ」
「もしくは、フェリシー嬢がエドワールの共犯か」
エドワールの周囲を騎士団の団員が取り囲む。
「アルフレッド!」
「次君を疑わしいと思ったら、もう君のことは信じないと決めたんだ。フェリシー嬢の捜索もするよ。彼女が国内にいるかどうか分からないけどね」
アルフレッドの言葉を最後に、エドワールは地下牢に閉じ込められた。
それからはずっと虚無のような日々だった。来る日も来る日も、アルフレッドはエドワールに拷問をかけることもなく、鉄格子越しにただ話をする。その内容を聞くのがエドワールにとっては苦痛で仕方がなかった。
「隣国の皇太子がやって来たよ。マルグリットの実の弟だ。遺体を見て、『間違いないです。これは私の姉です』って泣き崩れていた。大切な姉だったと」
「……嘘つけ。もう何年も会ってない弟に本人かどうかなんて分からないだろう。便りをよこしてきたこともないくせに」
「すぐにでも君をギロチン処刑にしたいと言っていたね。知らなかったら申し訳ないが、リナーリア皇国にはギロチン刑が残っているようでね」
「俺は無実だ」
「聖皇は大変御立腹だそうだ。聖女を他国にやることは滅多にないのに、その聖女を死なせたばかりか、この国の王子が殺したなんて、戦争が起こっても仕方がないと。ただ、お前の首一つでこの国は救われる。国王も理解していたよ」
「聖皇は娘が死んだことをこれっぽちも心配していないんだな。気にかけるのは聖女のことだけだ」
「一度聖女が死ねば、次に聖皇の血を引き継ぐ娘が産まれない限り、聖女が不在になってしまうからね。それはこの世界にとっても大きな損失だ」
「そうか……」
アルフレッドが地下牢から去ると、エドワールはひたすら牢獄の中で目を瞑り、あの日のことを思い出していた。
*
エドワールはマルグリットとの朝食のために彼女の部屋に向かっていた。誕生日はいつも最初は朝に2人きりで祝うというのが2人の決めごとだったからだ。
マルグリットのドレスは彼の誕生日のパーティーに着ていくもので、総レースのそれはもう豪華な真っ白のドレスだった。エドワールは会ってすぐに彼女の美しさに目を奪われた。彼女を手放す惜しさから目を閉じる。
「いつも綺麗だが、今日は一段と美人に見えるな」
「ふふ、誕生日おめでとう、エドワール。プレゼントは朝食後にね」
「分かった。まずは食べようか」
2人きりで卵とベーコンの乗ったクレープと紅茶を朝食に平らげる。クレープはマルグリットが着替える前に作ったもので、紅茶も彼女が自ら入れたものだ。エドワールの誕生日は毎年マルグリットが自分で全て用意した朝食で祝う朝から始まっていた。
「今日は父上がパーティーに参加なさるとおっしゃっていた」
「喜ばしいわね。私の両親が参加できなくて申し訳ないわ。2人とも参加したがっていたのだけど、婚約だけでわざわざ来てもらうのも緊張するでしょう?」
「問題ない。聖皇と皇妃が両方国を空けるのも心配だ」
「そうなのよね」
中身のない貴族らしい話を続けていくうちに、エドワールがデザートのソルベを食べ終わった。マルグリットは部屋の奥に置いてある四角くて平たいラッピングされたプレゼントを自分で持ってきた。
「誕生日おめでとう、エドワール。プレゼントよ」
「何だろう? 何かの絵??」
エドワールがラッピングの紙を破る。マルグリットは紅茶のお代わりを自分のティーカップに注ぎ、その様子を冷淡な目で眺めていた。
額縁が地面に当たる音が、部屋の静かさを破った。
「気に入らなかったかしら?」
マルグリットは不敵な笑みを浮かべる。エドワールの顔が青白くなっていた。
「マルグリット、これは……」
プレゼントの絵画には、百合の花束を笑顔で持つ赤毛の少女が描かれている。署名のところにはマルグリットと丁寧に名前が書いてあった。
マルグリットが自分で描いたリリアーヌの絵だった。
「私知っていたの。あなたがフェリシーの殺害未遂とかいうくだらない罪状で私との婚約を破棄しようとしていることも、リリアーヌとそういう関係になったのも」
「マルグリット、俺はお前を裏切るつもりなんてなかった。婚約破棄したところで、お前には他にいくらでも良い相手がいる」
「私は婚約破棄はすべきではないと思うわ。リリアーヌはとても良い子だけど、王妃になる器ではないもの。せいぜい愛人が限界ね。やり直そうとは言わない。愛が無くても結婚はできるでしょう?」
「リリアーヌを裏切れと言うのか?」
「愛人という立場にそこまで不満を抱くかしら? 私は怒っていないし、あなたはリリアーヌと一緒にいれる。一体何が不満なの? 私が本物ではないから?」
「……考えさせてくれ」
「あなたが婚約破棄を考え直すなら、6時にまた私の部屋に来て。一緒にパーティーに行きましょう。考えを変える気が無いのなら、パーティーには一人で行けばいいわ」
「分かった」
*
エドワールはあの日、部屋に戻らなかった。昨日までなら、彼女がいなくなった理由はそれだと彼は断言できた。でも、”あの死体”を目にした今、エドワールは心の底から部屋に戻っておけば良かったと心の底から後悔した。
マルグリットが殺されたからではない。
彼女はエドワールが思っていたよりずっと彼に怒っていたのだと気づいたからだ。
マルグリットがただで殺されるものか。自殺なんてもっとあり得ない。
彼女はエドワールに復讐するために自分の死を偽装したのだ。
誰にも言わないと誓ったマルグリットの秘密を知る彼だからこそ、真相にすぐに辿り着いた。
殺された聖女はマルグリットではない。そもそも、マルグリットは聖女ではない。
死体はマルグリットに偽装された哀れな男爵令嬢フェリシーのものである。
それならば、マルグリットは一体どこへ消えてしまったのか。
その答えを知ったとしても、エドワールは決して助からないだろうと理解していた。彼は間違えた。怒らせてはならない相手を怒らせ、大切にすべき時に蔑ろにし、裏切ってはいけない女を裏切ってしまった。
だからこれは全てエドワールのせいなのである。