4話 聖女の侍女
エドワールはアルフレッドが尋問から帰ってくるのを地下牢の上の階段前で待っていた。たまに聞こえる悲鳴から、彼はベルトランがどんな目に遭っているのかを察してしまう。
「拷問にかけたり、正直に話すよう薬も使ったが、ベルトランは犯人じゃなかった。毒のことについては色々吐いたが、それ以外は何も」
地下牢から上がってきたアルフレッドが残念そうに告げる。せっかく犯人らしき人物を見つけたと思ったら、今回とは関係なかったというオチだ。また一から犯人探しをしなくてはならないかと思うとぞっとする。
「そうそう、マルグリット嬢の侍女のリリアーヌと言ったかな? 彼女が食中毒になったのにはベルトランは関与してないそうだ」
「そうか……」
「不運だったね。護衛があんなことになって」
「俺の管理不足もある」
「それにしても、あのフーシア。本当にマルグリット嬢の親友なのかもね。あまり信じていなかったけど、今回ので大分信憑性が増したよ。切ってもらっても良かったかな」
「止めろ。えげつないこと言うな」
エドワールはぎょっとして顔を顰めた。アルフレッドの発言が単なる冗談であってほしいものだ。
「ははは……それにしても気づかなかったな。マルグリット嬢と婚約破棄しようとしていたなんて」
「ベルトランに勧められて考えていただけだ」
「そこまで仲が良いわけじゃないのは知っていたけど」
「そうか?」
「マルグリット嬢の好きな本も、交友関係も詳しくなかっただろう?」
こいつ……よく見てるな。
エドワールは気を引き締めて警戒する。あえて本当のことを少し混ぜて、真実っぽく嘘を吐いた。
「昔はそんな話もしていた。今は互いに忙しくてな。ゆっくり話す機会が無かったんだ」
昔のがよく話したのも、今お互いに忙しいのも嘘ではない。忙しいから話さなくなったわけではないが。
エドワールとマルグリットはある出来事をキッカケに、2人の間に決定的な溝ができてしまった。それ以降、彼女は笑わなくなった。
エドワールは昔のよく笑うマルグリットが好きだった。だから、彼は今の彼女からは距離を置いてしまっている。
「彼女が日記を書いていたのはどうやって知った?」
「リリアーヌが思い出したんだ。俺は何も知らなかった」
「だろうね……マルグリットがいつも飲んでいたのはクリームたっぷりのミルクティー?」
「ああ」
突然アルフレッドが知りもしないようなことを口にして、不思議に思いながらも頷く。
マルグリットはミルクティーが大好きで、クリームをたくさん入れたものをいつも飲んでいた。
「小さい頃、エドワールはいつも怖がりで雷の日にマルグリット嬢の部屋に避難していたって本当? マルグリットの誕生日に国中のマーガレットを買い占めてプレゼントしようとして怒られたって?」
「……なんでそんなことを? 合っているが」
「マルグリット嬢に毒を盛るようベルトランに頼んだ?」
「やってない!」
「じゃあマルグリット嬢を殺そうとした?」
「してない。するはずもない」
「エドワール。本当のことを言った方がいい。マルグリットの日記に全部書いてあった」
アルフレッドが日記を掲げる。エドワールは静かに首を横に振る。
「何が書いてあったか知らないが、身に覚えがない」
「読んであげようか? 『あの人は私のことが要らなくなったみたい。食事に毒を盛るなんて。どうしよう。私、エドワールに殺されてしまうわ』随分恐ろしいことを言うね。この日記が正しければ、毒を盛ったのも、マルグリットを殺したのもエドってことになる」
日記を手に取ろうと手を伸ばすと、アルフレッドは後ろにそれを隠してしまう。
「勘違いってこともあるだろう? ベルトランが毒を盛ったのを、俺の指示だと思い込んでいたのかもしれない」
「確かにね。ベルトランの件に関しては勘違いかもしれない。でも他は違う。エドが婚約者のいる身なのにも関わらず、他の女性と交際していたこと。自分より優秀な婚約者に対して当たりが強かったこと。マルグリット嬢の部屋から出てきた数年分の日記がエドの愚行の数々を告発しているんだ。彼女の筆跡で書かれたこの日記を見過ごすことはできないよ。一番最後に書かれたのは君の誕生日前日だ」
「なんて書いてあった?」
アルフレッドは勿体ぶって日記を開き、読み上げる。
「『エドワールにあげる誕生日プレゼントがやっと完成したわ。これが彼を怒らせ、慌てさせるものってことは分かっている。だからこそ、彼にこれを突きつけて私は言うの。私は全て知ってるって』エド。誕生日に一体何をもらったんだ?」
「あれは……どこかへやってしまったんだ」
「僕の見解はこうだ。あの日、マルグリット嬢から誕生日プレゼントをもらった君は中身を見て逆上して、彼女を殺してしまった。そのあと、君は何食わぬ顔をして教会へ行き、ずっと祈っていたふりをしてベルトランと合流。いや、もしくはベルトランも共犯だったかな?」
「全部憶測だ」
「ああ、そうだよ。彼女の遺体が発見されなければ、全部本当かどうかは分からない。だから僕は考えた。僕が君だったら彼女をどこに隠すか。エドワール。彼女はまだ王宮の中にいるんじゃないのか? 聖女を殺したのは婚約者である君なんじゃないのか?」
アルフレッドと別れ、エドワールは自室に戻った。部屋のドアを開けてすぐ、彼は人の気配を感じて警戒心を高める。
「そこにいるのは誰だ」
人の影はゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。エドワールが後ずさりすると、人影はエドワールに駆け寄って抱きついた。そこで初めて人影の姿形が見える。
「リリー⁈ こんな遅くに――」
リリアーヌは驚いて大声を出しかけたエドワールの口を口づけで塞いだ。エドワールは彼女の首の後ろに手を回し、リリアーヌの接吻に応じる。
リリアーヌとそういう関係になったのは今に始まったことじゃなかった。彼女は美しく魅惑的で、エドワールの扱いが上手かった。マルグリットといる時よりも自分が認められているような心地にさせてくれるのだ。
「食中毒と聞いたが大丈夫か?」
「大丈夫。少し気持ち悪くなっただけだから」
エドワールは安心してふぅと小さく息を吐いた。
「それより大丈夫? ベルトラン様になんて証言されるか不安で……」
「心配するな。俺たちの関係はバレない」
「本当? 彼にはこのこと言ってないの?」
「妹を俺の婚約者にしようと企んでいた男だぞ」
「私のことも殺そうとしたかな」
「そうはさせないさ。そんなことより、俺は今アルフレッドに疑われてる。マルグリットの日記に色々書かれていたらしい」
「そうなの? ごめんなさい、マルグリット様がベルトラン様の悪事を告発しようと日記に記録していたことは知っていたんだけど」
リリアーヌは日記の内容をそこまで詳しく知らなかったようで、申し訳なさそうな顔をしている。
「いやいい。リリー、君はマルグリットがどうなったと思う?」
「マルグリット様は誘拐はされていないと思う」
遠くから歩いてくる音がした。エドワールは静けさの中で聞こえた音を聞き逃さなかった。
「シッ、足音がする。隠し通路から」
「嘘でしょ。こんな時間に誰が来るの?」
「分からない。いいからベッドの下に隠れろ」
隠し通路はマルグリットの部屋とエドワールの部屋を繋ぐものだ。入口はマルグリットの部屋に飾ってあるマーガレットの花束を抱えた少女の絵画の裏と、エドワールの部屋にある鏡の裏にある。隠し通路と言ってはいるが、通路のほとんどが階段で、基本的に3階にあるマルグリットの部屋から1階のエドワールの部屋に降りていくのに使われた。元々エドワールの部屋は国王が、マルグリットの部屋は彼の愛人が使っていたもので、マルグリットが婚約者になったときに国王からこっそり隠し通路の存在を教わった。その通路の存在はエドワール、マルグリットの2人だけが知っているはずのものだったが、エドワールはリリアーヌが彼の部屋に来る時にもそこを利用させていた。今、その通路から誰かが来るとなると、エドワールには1人しか思いつけない。
マルグリット。彼が最も会いたくない婚約者だ。
エドワールは隠し通路の傍に立ち、通路を歩く誰かを待つ。足音はだんだん大きくなり、彼の心臓の鼓動が止まらなくなる。
鏡がドアのように開き、マルグリットではない人がランプを持って現れた。
「やあ、エドワール」
アルフレッドはエドワールににこやかに挨拶をする。エドワールは冷静さを保とうと努力していたが、ベッドの下が気になって仕方がなかった。
「驚かせないでくれ。何だって、そんなところから現れる」
「ここからマルグリット嬢の部屋に繋がる通路があってね。マルグリット嬢の部屋は元々は母の部屋だったんだ。子供の頃、何度か通ったことがあったのを覚えていた」
マルグリットの部屋を使っていたのはアルフレッドの母親だったか。
エドワールは心の中で舌打ちをする。
「本当か?それは知らなかったな。いつ作られたものなんだか」
エドワールは何も知らない王子を演じ、アルフレッドの出方を伺う。彼はその演技を信じていないようだったが、落ち着いて自分の見解を述べた。
「先代の国王の誰かだろうね。ところで、エドワール」
「何だ?」
安心しきっていたエドワールに、相手は容赦なく告げた。
「通路に血が落ちていた」
心臓がバクバクと音を立てているのが分かる。
通路に血? まさかマルグリットの血が通路に落ちていたのか?
「マルグリット嬢の血だと思う。犯人は窓を逃走経路に使ったと思っていたが……それはダミー。実際はエドの部屋に移っていたわけだ。確かに、マルグリット嬢の部屋は3階で、エドの部屋は庭園に直結した1階。逃げるにはその方が便利だと踏んだのだろうね。それとも……」
アルフレッドは勿体ぶってそこで止め、エドワールを見つめる。
「エドワール。やっぱり君がマルグリット嬢を殺したんじゃない?」
「何を言ってる。マルグリットが生きているかどうか、まだ判明していないのに」
「死んでいるよ」
アルフレッドはキッパリと断言した。彼はマルグリットが死んだと判断できる何かを持っているらしい。そうでなくてはもっと曖昧に答えるはずだ。
「どうして分かる?」
「魔力属性の結果が出た。聖属性だ。あの血を流したのはマルグリット嬢で間違いない。あの量の血では聖女だろうと生きられないだろう」
エドワールは暗闇の中アルフレッドに表情を見られなくて良かったと心底思った。今エドワールの表情が見られたら、彼は自分を問い詰めるだろうから。
「……エレオノールもいつか本当のことを知る。早めに真実を伝えるべきじゃないのか?」
「明日朝食の席で言うつもりだったんだよ。エド、お前が彼女を愛していなかったとしても、殺人だけはしなかったと信じている」
アルフレッドは本当はほぼ疑っているが、口先ではエドワールを信じていると言っているように思えてならなかった。実際そうなのだろう。
「俺はマルグリットを殺していない」
「お前が言うなら、信じよう。だが、次疑わしいと思ったら、その時は……」
アルフレッドは剣をカチャリとわざと音を立てて引き、エドワールに見せた。エドワールの笑顔が強張る。
「こんな遅くに悪かったね。おやすみ」
「おやすみ」
通路のドアを閉める。リリアーヌがベッドの下から這い出てきた。
「アルフレッド様は疑り深いのね」
「マルグリットが何度も毒殺されかけたとはいえ、アルフレッドほどじゃなかっただろうからな。さっき何を言いかけた?」
「私思うの。マルグリット様は自分から姿を消したんじゃないかって」
予想外の言葉だった。今まで誰一人その可能性を指摘しなかったのが不思議なぐらいだ。こんなに周りを振り回しておいて、彼女が自ら王宮を去ったのだとしたら驚くべきことだ。
「何でそんなことを?」
「だって、エドワール気づかない? 彼女がいなくなってから私たちずっと真実なんていう訳の分からないものに振り回されてる。その真実だって誰が作ったものなのか分からないのに。マルグリットがいなくなった原因が分かったとして、それが本当に真実と言えるのかな?」
「リリアーヌ。お前、本当はマルグリットに何があったのか知ってるのか?」
「知らないわ。でも、マルグリット様とは一番付き合いが長いから分かるの。あの方は誘拐も殺害もされない。いなくなるとしたら、自分からじゃないかって」
「でも、マルグリットは大量に血を流してる。自分からそんなことするなんて」
「そうなんだよね……」
エドワールは否定したものの、リリアーヌの話はやけに説得力があった。エドワールは彼女が寝てからも、マルグリットが自分からいなくなったのかと考える。
彼女が自殺なんてすると思うか?
あの完全無欠で、エドワールに嫉妬心と劣等感を抱かせた彼女が?
まさか。彼女がいなくなるなら、生きていなくなるはずだ。
エドワールにはまだ誰にも言っていない彼女の秘密があった。それを誰にも言わないと彼は彼女に誓ったのだ。
もしかすると彼女は……
その先の答えが出る前に、エドワールは眠りについた。
*
「最悪な男ね」
頭痛と戦いながら自室を出たエドワールは、エレオノールに会うなり、顔を顰められた。2人とも朝食のためにホールに向かっている最中だった。女の勘なのか、彼女が特別鼻が利くのか、エレオノールが廊下を通り過ぎたリリアーヌを目で示す。
まるで昨夜のことに全て気づいているかのように。
頭がくらくらする。疲労感がどっと押し寄せてきた。
「どうやって気づいた?」
「あなたみたいに婚約者を大切にしない人の質問に答える気はないわ」
「お前に俺の何が分かる」
「分かりたくもないわ。マルグリットがいなくなったばかりで2人が何をしていたかなんて」
「誤解だ。エレオノール、このことは」
「誰にも言わないわよ。マルグリットが戻った時に悲しむもの」
エレオノールは目を伏せる。彼女はマルグリットを本当に姉のように慕っていたのだ。
「エドワール殿下! 大変です!」
「朝からなんだ」
騎士団の一人がエドワールに駆け寄る。そして、彼は二人に驚くべきことを告げた。
「マルグリット様が遺体で発見されました」