3話 聖女の親友
最悪の目覚めだ。
エドワールは苛立ちながら、起き上がった。自分の身の回りの支度を周りが行うのを横目に、エドワールは昨日の出来事を脳内で振り返る。
まず、マルグリットは誘拐か殺されたというのがアルフレッドの見解だ。
エドワールが婚約破棄をしようとしていたという話をすれば、彼が真っ先に疑われてしまう。そうでなくても、彼女と最後に会ったということでだいぶ怪しまれているのに、面倒なことになりそうだ。
大丈夫だ、とエドワールは自分を安心させるように言い聞かせた。エドワールとベルトラン以外に婚約破棄しようとしてたことを知る人はいない。それに、ベルトランだって、婚約破棄しようとしてる本当の理由は知らない。だから、いくらでも嘘をつける。
急遽開催された「聖女の無事を祈る会」にはマルグリットと仲の良い者だけでなく、彼女に何があったか知りたい野次馬もやって来た。体面を考えると、ほとんどの貴族が参加を義務付けられたようなものだ。何しろ、王子の婚約者が誘拐されたか殺害されたというのだ。こんな国の一大事に誰が参加を拒めるだろうか。
「来てくれて感謝する」
「とんでもないですわ! 早くマルグリット様がお戻りになるのを祈るばかりです」
「ああ。何か知っていることがあれば教えてくれ」
「殿下。普段は話しかけない相手とも話していますね」
「マルグリットを探してもらうためだ」
次の挨拶相手を探していると、目の前に全身ピンクの派手な出立ちの女性がエドワールの前を遮った。髪色から靴に至るまで、全てがピンクの女にエドワールはギョッとして遠ざかろうとする。彼女はそんな彼に向かって恭しくお辞儀をする。
「エドワール殿下」
「何だ? 見かけない顔だな」
公の場で、知り合いでもない女が王族に声をかけるのは明らかなマナー違反だ。しかも、その女は胸元が大きく開いたドレスを身にまとい、髪を薄らとピンクに染色していた。髪を染める行為は教会から禁じられているため、貴族は誰もしない。
立ち振る舞いはきちんとしているものの、溢れ出る妖艶な雰囲気から察するに、この女は娼婦の類だろう。
「あら失礼。申し遅れました。私、フーシアと申します。マギーの親友ですわ。本当はこちらから声をかけるのはマナー違反なのですけれど、マギーに関することでお話したいことがございます。よろしくて?」
「マギー……まさかマルグリットのことをそう呼んでいるわけじゃないよな?」
「今、マルグリット嬢の親友って言ったかい?」
アルフレッドが親友という言葉に反応して笑みを見せる。エドワールは心の中で舌打ちした。
エレオノールのことといい、マルグリットには自称親友が何人もいるようだ。この女もその一人だと何故分からない。
「失礼だけど、マルグリット嬢とはどこで知り合ったのかな?」
「お会いしたのは仮面舞踏会ですの。身分の差がある私にもとてもフランクに接してくださって…………よく屋敷にお招きしたものですわ」
「だがお前は……髪を染めている。マルグリットがお前みたいなばい……人たちと仲良くしていたとは」
売女と言いかけたが、アルフレッドに目で窘められたため言い方を変える。しかし、それでも良くなかったようで、アルフレッドは静かに首を横に振っている。
実際に、目の前の女は酷く気分を害したようだった。
「ふふっ、ごめんあそばせ。私、まさかこんな侮辱を受けるとは存じませんでしたわ。アルフレッド殿下に情報提供をと考えておりましたが、このような弟がいらっしゃるとは思いませんでしたもの」
「エドワール。謝って」
「すまない。言い過ぎた」
エドワールの棒読みの謝罪を女は鼻でせせら笑うように受け取る。
彼女の王族に対する態度にエドワールは不快感を覚える。
「謝罪なんてよろしくてよ。では、本題にしましょう」
王子の婚約者と親友アピールがしたかっただけだろうに。わざわざ話を聞く意味はあるのか?
そう思っていると、彼女はにっこりと微笑みながらとんでもない爆弾を目の前で落とした。
「エドワール殿下の護衛がマギーに嫌がらせをしていたって話」
「……はあ?」
思わず声を洩らす。アルフレッドとエドワールはつい、振り返ってベルトランを凝視してしまった。二人の斜め後ろで話を聞いていた彼は目をぱちくりと瞬いている。
「えっ、俺ですか?!」
「ふぅん。あなたがね?」
女の目がギラりと光った。
「いやいやいやいや。誤解ですよ誤解!エドワール殿下も黙ってないで否定してくださいってば!」
「何でだ?お前なら大いにありえるだろう」
「間違いない」
アルフレッドまでエドワールの意見に同意する。もちろん悪ノリしただけの冗談だが、ベルトランは大袈裟なぐらい悲痛に嘆いている。
「えーーーー!俺が何でそんなことしなきゃならないんですか!」
やり取りは聞き耳を立てた周りに筒抜けだったようで、周囲がざわつき始める。
「何の騒ぎよ?」
「わたし聞いてたわ。ベルトラン様がマルグリット様に嫌がらせをしていたんじゃないかって」
「やだわ。あのベルトラン様ですわよ?」
「さすがにないない」
幸いベルトランには人望がある。護衛騎士をやってはいるが、彼は伯爵家の長男で、友達付き合いも悪くない。しかし、根も葉もない噂は本人がどんな人物かを無視して広まるもので、こんな目立つ場で堂々と言われてしまったら塞ぎようがない。
「別にね、責めようなんて思っていませんのよ。その権利は私にはございませんもの。ただ、あなたが本当に嫌がらせをしていたのなら、その小汚いものを切り取りたく存じますわ……ふふっ」
女は扇子を口元に当てて、甘ったるい笑い声を発している。ベルトランを見下したような表情は身分差にも関わらず、こちらに恐怖を与えた。
「誓って言いますけど、俺じゃありませんって」
ベルトランは落ち着いて否定する。遠くでその様子を見ていたマルグリットの侍女、リリアーヌが目を細めるのをエドワールは視界にとらえた。
「フーシア嬢。悪いが、ベルトランは俺の婚約者にそんなことをする人間ではない。そちらの考えは勘違いだと思うぞ」
「そうですわね。私の妄想でご迷惑をおかけしましたわ」
娼婦の女はあっさり勘違いだと認め、派手な髪の女たちが集まる場所に移動していった。
フーシアと言ったか。
エドワールが目でピンク髪の彼女を追うと、彼女が紫の髪のこれまたド派手な娼婦と扇を口に当ててくすくす笑っているのが見えた。その笑みが癪に触り、エドワールは思わず声を荒げる。
「なんだ、あの女たちは! 父上はよく娼婦をこの会に呼んだな」
「フーシア嬢だろう? 参加したいと言われたら断れなかったんだろうね。厄介なことになった。すぐに噂が広まりそうだ」
「あんな女の言うことを誰が信じる?」
アルフレッドは肩をすくめる。
「もう少し世間を見るべきだよ、エド。高級娼婦フーシアは王弟の愛人で、貴族の知り合いも多い。ご令嬢たちのファッションの最先端を行くと言っても過言じゃない」
「それでも、ファッションだけだろう?」
「分かってないな。世の女性たちはフーシア嬢を憧れの女性として見てる。影響力は十分だ」
アルフレッドの言葉は当たった。フーシアの登場以降、周りはベルトランの噂について堂々と口にするようになった。
「信用ならない護衛で大変ね」
とナントカ令嬢が言った。ベルトランの右眉がピクリと動く。
「殿下の新しい護衛はどちらで募集しているんです?」
と騎士が言う。ベルトランの頬が引きつる。
「何なんですか。あいつら散々嫌味ばかり言ってきやがって」
挨拶回りが終わった後、ベルトランは限界に達していた。2人は外の空気を吸いにバルコニーに出た。エドワールはふぅと小さく息を吐き、シャツの第一ボタンを外す。
「さすがに疲れたな」
ふと大広間の方に視線を向ける。リリアーヌがこちらを盗み見ていて、エドワールと2人きりになる機会を探っているようだった。
「ベルトラン、お前先に部屋に戻って図書館に本を返してきてくれ。本は部屋に置いてある」
「了解しました」
バルコニーにはエドワール以外にも何人かいたが、皆お取り込み中のようでこちらには興味がないようだった。そこに、リリアーヌがやってきて、物陰に移動する。
「一体どうしたんだ?」
「わたし、ベルトラン様は本当にマルグリット様に嫌がらせをしていたと思うの」
「まさか。そんなことありえないだろう。してたとして、一体どんな嫌がらせをしたっていうんだ?」
「それは……」
リリアーヌの言葉に彼は絶句した。
*
エドワールは息切れしていた。アルフレッドをやっとの思いで見つけて、早くあのことを伝えなくてはならないと使命感に駆られる。
「どうした、エド。苦しそうだ」
アルフレッドはエドワールが汗だくになっていることに気づき、心配そうにハンカチで彼の汗を拭う。
「アルフレッド。頼む。俺の話を聞いて、マルグリットの部屋にある日記を確認してほしい」
「分かった」
エドワールはアルフレッドに全て話し終えると少し落ち着きを取り戻し、図書館まで歩いて行った。ベルトランは図書館で本を読んでいた。
「殿下、顔色が悪いようですが、大丈夫ですか?」
彼は護衛らしく、エドワールの体調を気遣うが、エドワールはそれに対して返事ができないくらい余裕が無くなっていた。
頭にあることは、どうやってベルトランを部屋に入れる口実を作るか。それだけだった。
「ベルトラン。体調が悪い。一緒に来てくれないか?」
「もちろんです」
アルフレッドが用意した部屋は、ある程度位の高い貴族が使う貴賓室だった。本来であれば、優雅に過ごせる場だ。
しかし、室内の空気は明らかに前と違っていた。圧迫した空気感を全面に感じる。エドワールはドアを閉めたふりだけして、微かに開けておいた。
丸テーブルに、ベルトランとエドワールは向かい合って座る。エドワールは息を吸い込み、言葉にして吐き出す。
「全部、聞いた」
「待ってくださいよ。何の話ですか。ってか、何で俺が尋問されているみたいになってるんですか」
「お前がマルグリットに行った悪行について」
「……何の話ですか」
「リリアーヌが言っていた。マルグリットは食事に毒を盛られていたと。死にかけるほどのものではないが、人体に影響を及ぼすには十分な毒を。お前の家からの紹介で、メイドが何人かマルグリットのところに送られていたよな」
「そんなことだけで俺が犯人になるんですか?」
「あくまで疑いだけだ。ただ、マルグリットは日記を残していた。体調が悪くなった時にどのメイドに食事を運んでもらっていたのか、毒の種類を特定してどこの領地で採れる毒草なのか、ぎっしり書いてあったよ。マルグリットはその犯人をお前だとほぼ断定していた」
「…………ふっ、はは」
堪えきれずに笑ってしまった、とでもいうような笑い声だった。彼の表情がくしゃりと歪み、嫌な笑みを浮かべる。
「いやあ、それだけじゃ俺を犯人扱いできないって言おうと思ったんですけど……あの女が思ったよりウザすぎて笑っちゃいました。そうですよ。殿下の言う通りです」
「自分が何したのか分かってるのか?何のためにそんなことを」
エドワールが強張った表情でベルトランを見つめる。ベルトランは退屈そうに耳を掻いた。
「うるさいなー。そんなの分かるでしょ。あの女が婚約者の座を降りれば、俺の妹が殿下の婚約者になれるからですよ」
そんなことのために?
エドワールは絶句した。ベルトランはまるで自分の功績かのように、悪事を語る。
「あれは単なる脅しですよ。でも、さっさと殺るべきでしたね。聖女だか何だか知りませんが、しぶとく生きる女だ」
エドワールは現実だと信じられない心地で、ベルトランの外面に貼られたメッキが剥がれていくのを目の当たりにしていた。ベルトランがこうも本性を出さなければ、エドワールはリリアーヌの言葉を疑ったままだった。
「だいたい、殿下がいけないんですよ。俺はちゃんと何度も打診しましたよね?妹を婚約者にどうかって」
「お前の妹は……まだ10歳だぞ。てっきり冗談だと」
「年齢なんて関係ないですよ。俺の家は代々国王を支えている。それぐらいの感謝の気持ちがあっても良いと思いますけどね!あんな外から来た女を大事にするとは……がっかりしましたよ」
「お前がマルグリットを誘拐したのか?」
「いいえ? 俺は毒しか盛っていませんよ」
「その毒で死んだ可能性もあるんじゃないのか⁈ お前を側に置いていた俺が愚かだった」
ベルトランは目を丸くする。
「何を言うんですか! これは全部殿下のためじゃあないですか」
「……は?」
「いつもいつも文句ばかり言ってたじゃないですか。マルグリットの出来が良すぎて、いつも比べられてうんざりだって。妻にするにはニコニコしてて言うこと聞く令嬢のがいいって。今からでも遅くありませんよ。生きているかも分からないマルグリット様との婚約を解消して、俺の妹と婚約したらどうです?」
「現実的ではないね」
ドアが開いて、アルフレッドが淡々と告げる。ベルトランは驚いて立ち上がった。アルフレッドだけではない。騎士団の面々が現れて、いつのまにかベルトランは囲まれてた。
「嵌めましたね!」
「話は聞かせてもらったよ。エドワールだけなら話しても問題ないと思ったんだろう? 残念。言い逃れはできないよ」
「くそが!」
逃げ出そうとするベルトランが騎士団によって取り押さえられる。
「アルフレッド殿下! あなたはそこの男に騙されてます! エドワール殿下はマルグリット様と婚約破棄しようとしてたんですよ! 俺なんかよりもよっぽど犯人の可能性高いですって」
騎士団の男たちが動揺してお互いに顔を見合わせる。
「まじで?」
「聖女様と婚約破棄ってなんだよ」
「一王子にそんな権限ないだろ」
「いくらエドワール殿下でもそんなことぐらい……」
「まったく。エドは自分がどれほど幸運に恵まれているのか理解できてない」
「アルフレッド?」
エドワールは恐る恐るアルフレッドを見る。彼は冷たい目でエドワールを睨みつけていた。普段の表情からは全く想像がつかない怒りの顔だ。
エドワールは気づいていた。本当は知っていた。
マルグリットが本来婚約する予定だった相手はアルフレッドだった。それをエドワールの次期国王の座を強固なものにするために、エドワールがマルグリットに一目惚れしたという話を大人たちがでっち上げてエドワールに変更したことを。
そして、アルフレッドが実はマルグリットを好きだということを。