---愛しきものとの別れ---
末弟に魔法具で連絡をした。
あの子は心配性だけどこれで少しは安心する・・・かな?
連絡内容は良好、ちょっと問題あり、助けての三つから二番目のちょっと問題ありを選んだ。
あの子は聡いし心配させないために嘘で良好と連絡してもいつかはばれるだろう。
嘘をついてもしもばれたときが怖い。
秘密の場所で会うときは笑顔でねえさまと駆け寄ってきてかわいいのだが、何か隠し事をするととても恐ろしい顔で姉様と私を呼ぶのだ。
ちょっと武者震いしてしまいそうだ。
さて、改めて現状を整理しよう。
予想通り昨日侵入した邸宅に私の嫁入り道具は有った。
衣装部屋や廊下を右往左往していた侍女たちが羽織っていた服にブレスターン王族の紋章が見えた。
あれは直系王族にしか着用を許されていない物だ。
しかし今までそれほど交流が無かったとはいえ誰もそれに気がつかないとは、この国もブレスターン王国同様かなり病んでいるのだろう。
そんなことを思考の隅で考えながら、私は目の前の現状を正しく認識して生菓子をパクリと口に放り込んだ。
昨日の収穫は饅頭・団子・飴・焼き菓子・蒸し饅頭、チョコレート等多岐にわたる。
素晴らしい!
この光景はまるで教会が言う与太話に出てくる天国のようだ。
全部味見してみたいが私は出来る女だ。
現状を正しく認識し、傷みが早い生菓子から順に食べる事を決定した。
あの日、黒ずくめの不審者が探知魔法が張られていた邸宅に押し入り、それに乗じて私も邸宅内に侵入した日から五日後、夜間の警備が強化された。
警備が厳しくなる可能性を考慮して後宮から逃げる準備もしていたのだが、随分のんびりとした対応に少し拍子抜けした。
さらにその三日後の日中にピィーピィーと笛の音が鳴り響き、その後ドタバタと音がして建物の周りに女性たちが警戒するように展開する訓練がおこなわれていた。
しかしアリの這い出る隙もないくらいの人数だが、その手には竹箒や薪にタライ・・・
やる気あるのかな?
そんな調子だったので油断していた。
新月の夜、私はいつものように洗濯に出かけた。
服を脱いで物干しに引っかけ、洗濯用の大きなタライに汲み置きされている水で体を洗い、シーツで体を拭いてから下履きをはいた。
月のない新月の夜は暗い。
私は闇と相性が良いので困らないが、普通の人はランプやろうそくなどの光源がないと一寸先すら見ることが出来ない。
はずだった。
「やあやあ我こそは中級妃が一人、羊水明なり!そこの不審者、いざ尋常に立ち合え」
突然のことに驚き声がした方向を見ると槍を構えた女性がこちらを睨んでいた。
ランプ等の光源を一切持っていないのに私が見えている。
暗視は闇の属性魔法で、地味な割に魔力消費が激しい。
魔法を使える者の中で闇の属性の者は少ないから油断し隠蔽魔法も適当にしていた。
「半裸に黒いもや・・・きさま化生のたぐいか!」
女性はそう言うと地面を蹴って突進してきた。
私はそれを正面から迎え撃つ・・・わけがない。
私の戦闘力は赤ん坊の百倍程度だ。
だが足の早さには自信がある。
街で官憲から逃げるためには必須の技能だ。
「影分身」
私は洗濯物が干している方向に走りながら隠蔽魔法を最大で展開し、同時に魔法で人型の影を作る。
そして影は洗濯物の間を直進させ、自分は物干し竿に飛びつきシーツの影に隠れた。
槍を持った女性は「逃げるな、戦え」と無茶なことを言いながら影を追っていった。
どうやら上手くいったようだ。
しかし暗闇の中で隠蔽魔法を使っていた私のことを見ることが出来るくらいの実力があるのに、あんな簡単な魔法に引っかかるなんて。
相手が脳筋で助かった。
だが至る所からピィーピィーと笛の音が鳴り、建物にいくつもの明かりが灯り始めている。
以前おこなわれていた警備訓練を思い出す。
下女用の宿舎の周囲は二十歩に一人くらいの間隔で人員が配置されていた。
隠蔽魔法を使ってもその警戒を突破して部屋に戻ることは出来そうにない。
この騒ぎで寝ていた者たちも起き出しているし、時間が経てば立つほど警戒は強化される。
迷っている時間は無い。
「住めば都だったんだけどな・・・」
私は一度だけ自分の部屋の方向を見てから後宮を取り巻く外壁を目指して駆けだした。
「さようなら私の楽園、そして今日食べようと残しておいたチョコレート・・・」