---旅立ち---
アルテナ号、それは名も無き私が今乗っている最新式の大きな魔導帆船の名前だ。
そして私は誰も居ない船内の一室で窓の外を眺めている。
旧式の帆船とは違い、以前は生きては帰れないと言われたこの危険な航路でもなんの心配もない優雅な船旅だ。
まあ実は船に乗るどころか見るのもこれが初めてだから、旧式や新式の違いなどまったく理解してはいない。
とにかくこの船は凄く快適で安全らしい。
さて、目の前のテーブルにはスープ用の大きなお皿がある。
最新の魔導帆船でも遠洋に出れば多少は揺れるとは聞いていた。
「うげっ~!!」
もう吐き出す胃液すらほとんど残っていない。
船酔いである・・・
「こ、この程度で死んでなるものか!」
声を出して気合いを入れたがさすがに船酔いごときで死にはしないだろう・・・多分
しかし働かずに座っているだけで良いなんてとても恵まれた環境だ。
目的地に着けば皇太子の後宮で、三色妃と呼ばれる上級妃の一人として何不自由のない生活が待っている。
不労万歳!
まああの姉たちがいないと言うことの方が重要だけどね。
「うっぷ!」
もう口からは何も出てこなかった・・・
約半月の苦行・・・もとい優雅な船旅を終え、私は北東一の大国と言われる阿己羅国の皇都に到着した。
大国にしては街の活気は控えめのような気もするが、港から宮殿まで移動する間に乗り物の中から見ただけだから気のせいかもしれない。
この都市は海に面しており、宮殿にも風に乗って僅かに潮の香りが漂う。
ブレスターン王国と阿己羅国は同じ大陸にありはするけど、陸路だと一度南下して大陸中央の聖マリシア教国に行き、そこから北上しなければならないので馬車で移動すると半年くらいかかるらしい、と塩水で洗濯しているときに船員に聞いた。
今日私は三色妃の一人である赤妃として皇太子の後宮に入る。
末弟と会えなくなった事は少しさみしいが、他の連中から離れられたことは嬉しい。
さて、ブレスターン王国の場合は他国の王族や使節が来たときは謁見や歓迎の宴などが催される。
まあ謁見については詳しくないが、歓迎の宴は手伝いにかり出されたことがあるので、なんか偉そうな人たちが踊ったり飲み食いしていたことは知っている。
料理を運ぶ途中でつまみ食いしてみたが、かなり上等な肉が使われていた。
気に入って半分くらい食べてしまったときは少し焦ったが、それでも綺麗に並べ直せば意外とばれないものである。
なので旨い物が食べられると少し期待してしまったのも仕方がないことだろう。
宮殿には到着したが皇帝は自身の後宮に入り浸って出てこない、という末弟からの情報通り謁見はおこなわれず高官同士の文書のやりとりだけで終わった。
ソレは別に問題ない。
面倒な事が減って嬉しいくらいだ。
ところが皇帝が後宮から出てこないせいで大規模な歓迎の宴はおこなわれず、文官や武官同士の小規模な宴席が城下でおこなわれたらしい。
あいつらだけ旨いもの食いやがって。
しかしわざわざ宮殿ではなく城下でやるんだから、食べたのは料理だけじゃないんだろうな。
まあこれから毎日後宮で食っちゃ寝生活が待っている。
私は寛大なので小さいことを気にしたりしない。
さて今日は後宮に入る前になにがしかの儀式があるそうなので、これから皇太子と会わなければならない。
儀式の詳細は聞かされていない。
それを伝えに来た使いの者に確認をしたが、現地で担当の者が説明すると言っていた。
これまでの対応を加味すると多少不安ではあるが、とにかく後宮に入ってしまえばなんとかなるだろう。
さて、皇太子に会うのはこれが初めてになる。
最初の印象は大切だ。
あまりにみすぼらしい格好をしてこの国の連中に侮られても困るので、面倒でも形式や見栄えなどを気にしなければならない。
なので今まで着ていた一人で着られる簡易な服ではなく、ひらひらやキラキラを増量したドレスに着替えている。
「着替えるのを手伝ってほしいのだけど」
現在この部屋にはブレスターン王国から同行してきた姉たち専属の仕事しない侍女二人と、その二人付のメイドがいるのだが・・・
「着飾ったところで代わり映えしないのだしいつもの服で良いでしょ」
「そうそう、なんでわたくしたちがそんなことをしなきゃいけないの?」
この二人は出航直前に外国に行ってみたい、とか言う理由で無理矢理予定されていた侍女とメイドを押しのけて船に乗ってきた。
少しは仕事しろ!
そんな怒りを心の中で押しとどめる。
阿己羅国から人を借りて準備することも出来なくはないだろうが、阿己羅国の人たちの前であってもこの二人が態度を改めるとは思えない。
それを知られては今後の生活に影響が出るかもしれない。
さて、どうしたものか。
手伝いがなければ紐やボタンが背中側にあるのでこのドレスは着れない。
しかし普通にお願いしても聞いてくれそうにはない。
さて、どうやって言いくるめたものかな。
「今日の謁見はおそらく私たちの国で言う結婚式のようなものです。そこへみすぼらしい格好で赴けばその場にいる阿己羅国の者たちに侮られることになります」
「わたくしたちは参加しないから関係ないわ」
「そうそう、その頃にはわたくしたちは帰りの船の上よ」
仕事しない侍女二人はこちらを見ない。
ここは我慢、あと少しでこいつらともおさらばだ。
「そうですね。あなたたちは帰り、私は帰らない。阿己羅国の者たちに侮られたことが国に知られたとして、いかに国王でも国にいない者は罰せられませんからね。じゃあ誰が怒られるのでしょう。ちなみに女性の服飾に男性は関与できませんし、女性はあなたたち二人とあなたたちのメイドしかいませんね。あら、ふふっ」
私は小馬鹿にしたような視線を仕事しない侍女二人に向けた。
仕事しない侍女二人はとても嫌そうな顔をしながら自分たちのメイドに着替えや化粧を手伝うように指示した。
わざわざコルセットを締めるときだけ現れて、むちゃくちゃきつく締められたけど・・・