6.
ウォートン男爵家のご令嬢であり、格式の高い某伯爵家にお嬢様の護衛も兼ねた侍女として奉職する才女でもある、エリカさん。
そんな意外とお茶目なクールビューティから望まれた情報を提供する見返りとして、彼女の方の事情についても差し障りのない範囲内でという枕詞付きの問答にて気付かれぬよう知りたい事項をほぼ全て丸裸にしてしまった俺は、いくつかの用事を済ませた後、また、娘と娘の養父母が切り盛りする料理屋へと戻って来ていた。
俺の定位置と化しているカウンター隅の席へと陣取り、気配を薄め、自身の思考へと没頭する。
俺の娘とつい先日に偶然の邂逅を果たしたこの国に君臨する色ボケ英雄の血筋らしいキラキラ王子様は、何が目的なのか考えたくもないが、この店へと足繁く通い、何だかんだと言いながらも娘の気を引こうと試み続けている。
娘の方は、時折り、あまりに胡散臭いキラキラしく爽やかな笑顔と乙女の理想でもある甘いマスクで急接近して来る王子様に、胸焼けを起こしそうと言わんばかりの態度で溜息を吐いているが、そつなく捌いてまともに相手はしていない。
うん。大丈夫。
娘と友人たちや養母さんとの会話をそれとなく聞いていても、決して心惹かれている訳ではなく、遠くから眺めていたい美形なイケメンの接近は心臓に悪いとボヤくこと頻りで、迷惑そうにしているだけだった。
そう。八百屋の懲りない青年や、口の軽い肉屋の若旦那など、少し年上の世代で何かと構って来るお兄さん的な立ち位置にいる面々とほぼ同等レベル以下な扱い、なのだ
うん、うん。そうだ、そうに違いない。たぶん、問題ない。
とは言え。全く何の心配もなく見ていられる、という訳ではない。
この国というかこの街の女性社会を席捲している乙女ナントカ小説とやらで描かれているような修羅場イベントが、間違っても実際に起こってもらっては困る、のだ。
俺の知る限り、どこの国でも紙は安価な物ではないし、印刷技術も印刷機も黎明期でまだまだ貴重な物の筈なのに、この街では何故か、各種の恋愛を取り扱う女性向けの多種多様な架空の物語が印刷された本が、相当な数、流通している。
貴族のご婦人やご令嬢から裕福な商人の奥様方を中心として一般庶民の女性たちの一部にまで、多数の乙女ナントカ小説やら薄い本なる隠匿されながらも読者層を増やしているらしき怪しげなブツに至るまで、印刷され製本され装丁された書籍が、個人で所有されたり小集団でシェアされたりしながら、着々とその地位を確立しているのだ。
そもそもの印刷物は、勢力を拡大中の教会勢力が布教に使うために編み出した秘密兵器的な扱いの物品だった筈なのに、何故だか、この色ボケ英雄の王国と言われるこの国では、女性たちを夢中にさせる娯楽のためにフル活用されていたりする。
まるで、誰かが自身の欲望のため、本来の用途を捻じ曲げて転用したかのように...。
論点が少し逸れた。
兎に角。世のお姉さま方には歓喜をもって受け入れられるであろう勢いの婚約破棄イベントなど、まかり間違っても、俺の娘の身に起こってもらっては困るのだ。
乙女ナントカ小説の物語の中で人気を二分する、王道のヒロインは底抜けに良い子な路線は勿論、主流派の悪役令嬢ざまあ路線などは論外、だ。
そう、なのだ。
エリカさん情報によると、あの、バカ王子を筆頭とする高位貴族家の跡取りであるキラキラしいイケメン三人には、お約束通り、それぞれに婚約者がいる、というのだ。
しかも。おバカ王子の婚約者は、エリカさんの仕える格式の高い某伯爵家のお嬢様なのだ、という。
エリカさん曰く、その婚約者のお嬢様は、これまでも何やかんやと王子様の世間知らずな行動に振り回されて相当に苦労をされているそうで、実際には二つ年上である王子様のことを世話の焼ける馬鹿な弟みたいなものだと認識している、らしい。
そして。見た目は可憐な美少女なのだとエリカさんが主張してやまないそのご令嬢は、王子様に恋する乙女などではなく、この国の将来の王妃という地位に執着するような気位の高い野心家でもない、という話だった。
つまりは。女性社会で流行りの物語における悪役令嬢のポジションにいるそのご令嬢には、物語通りにその役割を果たすような動機がない、という事なのだ。
で、あれば。大丈夫、なのか?
いやいや、油断は大敵だ。
そう。備えあれば、憂いなし。
生まれは兎も角、幼い頃から現在まで町娘として暮らしてきた俺の娘に、婚約者を排除してまで王子様と一緒になるような事態を強いるなど、世間が許してもお父様が許しません。
架空の物語とは違って、現実では、結婚したらハッピーエンドなどというお花畑な展開はあり得ず、そこから始まる修羅場が手ぐすね引いて待っているのはお約束なのだから。
俺が、娘のために、一肌脱ごうではないか!
という訳で。
俺は、王子様による婚約破棄の修羅場イベントが開催されるのを防ぐべく、自身が仕えるお嬢様命な美貌の女性騎士と共同戦線を張ることにしたのだった。
した、のではあるが...。
はてさて、いったい、俺は何をすれば良いのだろうか?
と、いうか。
そもそも、そんな荒唐無稽な創作された物語のような事態が、本当に起こり得るものなのか?
王子様とその取り巻きによるお昼のイケメン公演の観客であるお嬢様方の会話から、何度も耳にしたキーワードである乙女ナントカ小説と薄い本なるものを調べてみた結果、微妙に不明瞭な点や不可思議な点はあるものの、言わんとするポイントについては理解できた、と思う。
王子様の婚約者の侍女であるエリカさんとも合意に至り、同じ危機感を持って問題解決に取り組むことにも相成った。
けど。本当に、阻止するために何らかの行動を起こす必要があるのか?
あくまでも周囲が大袈裟に妄想して騒いでいるだけ、ではないのか?
う~ん。冷静になって考えてみると、それ程騒ぐことでもない、という気がしてきたぞ。
だが、まあ。あの王子様御一行が俺の娘の周りでウロチョロしているのが目障りなのは、確かだ。
そう。だから、もう少し冷静になって、不愉快な三馬鹿トリオの排除に取り組むべき、だよな...。
などなど。
俺は、自らの思索に耽りながら、チビチビと、値段がお手頃な割には味の良いワインを飲んで喉を潤していた。のだが、無意識のうちにグラスの中身を全て飲み干してしまっていたようだ。
俺が、グラスに手を伸ばそうかと思った瞬間、スッと、カウンターの内側に陣取った店主である養父殿が新しいワインの入ったグラスと差し替えてくれたのだった。
さすが!
さりげなく細やかな心遣いが憎い、って奴だな。
などと、俺が内心で嬉しく思っていた、その時。養父殿がチラリと意識を店の入り口へと向けたので、俺も何となく意識をそちらへと向けた。
すると。そこには、見慣れた少し性格の歪んだ暴言美幼女と、その幼女に雰囲気がよく似た見慣れぬ女の子。
そんな二人連れが、店内の様子をキョロキョロと窺っていた、のだった。
この街の冒険者ギルドの受付嬢であるユーフェミアちゃんは、さておき。
この見慣れない女の子は、誰なんだ?
水色の瞳に、後ろで細く束ねた腰まであるブルーの長髪。
うん、何だろ。丁寧に手入れがされた毛並み(?)の良い細くて真っ直ぐな尻尾、みたいで思わず視線がその髪へと吸い寄せられてしまう。
と。思考が思わず逸れかけるのをグッと踏ん張り、俺は、連れの女の子をマジマジと観察する。
一緒に居るユーフェミアちゃんも小柄だが、この女の子も小柄で見た目はお子様なんだが...たぶん、大人だな。
何と言うか、ユーフェミアちゃんも大概なんだが、この子の方も仕種や表情などを意図的に作っているっぽいのだ。
絶対に、同類だと思う。
顔立ちや纏う雰囲気も、物凄くよく似ているし。
うわぁ~、絶対に俺は関わりたくないタイプ、だな。
視界の隅に捉えての観察を切り上げ、俺は、自身の気配も最小限まで隠して下手に関心を持たれないよう対処しようとした。そんなタイミングで、二人の会話の中から俺の名前が漏れ聞こえる。
二人は少し抑えた声で喋っていたので、周囲の喧騒や顔の向きに影響されて部分的にしか聞き取れなかったのだが、どうやら誰かを探してるようだ。
ん?
俺を探している?
ユーフェミアちゃんではなく、そのお連れさんの方に用事のある人物を探しているように聞こえたのだが、俺にはこの女性との面識がない、と思うぞ。
俺がほぼ本気で気配を消していたから見付けることは出来なかったようだが、この時間帯には大抵この店に俺がいると知っているユーフェミアちゃんは、困惑する。
あ、こら!
今、俺の娘に尋ねようとしたな。
ちょうど、他の客が注文しようとしたので娘が方向転換したから、良かったけど。
はぁ~、仕方がない。困るんだよね、娘に俺の存在を意識されては。
俺は、ゆっくりと気配を戻し、素知らぬ顔してユーフェミアちゃんに胡乱な視線を強めに飛ばし、その気を引くのだった。