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それは三ヶ月ぐらい前のこと。
本当に本当に寒い日だった。
外にいると体が震えるのはもちろん、歯までガチガチ鳴るほど。
確か…授業が終わってから今着ている服を買いに行って、それから帰路に就いた。あのマンションに着く頃にはすっかり真っ暗になっていたっけ。
特にこれまでと何ら変わりなく、鍵を開けて部屋に入るや否やストーブの電源をつけたのだった。
ちょうどその上に、お気に入りの衣装をハンガーに掛けて吊っていたのを忘れていたまま。
あの後から・・・私は誰の目にも映らなくなった。
「……さん、…魔女さん!」
『……!』
孝信君が声を掛けてくれて、我に返った。
「もうあの人どっか行きましたよ、喋って大丈夫です」
『あっ…そう』
気が付くとさっきの通行人は紫煙をくゆらせながら私達からだいぶ離れたところを歩いていた。
「どうしたんすか?…さっきまでずっと険しい顔してましたけど」
『…なんでもないわ』
「そうっすか」
ダメだ!
今は孝信君と一緒なのだから、あんなこと思い出してシケた顔を見せてはならない。せっかくだから楽しくしないと。笑顔を見せないと。
この真っ暗な気持ちを断ち切るべく、首を横にブンブン振る私を孝信君は無表情で眺めていた。
「…大丈夫っすか?」
『ええ。だいじょ…』
「俺もいろいろ聞いていいっすか?」
『…ええ』
「ずっと俺ばっかり喋ってるし、魔女さんのことももっと知りたいですし」
『…そうね』
知りたいと思ってくれている、その気持ちは嬉しいけれど…
どうしても心苦しい。
私の存在に気付いてくれたただ一人のあなた。
最初こそ外見に惹かれてしまったが、それだけじゃなくて今日一日一緒にいて話をしていて、とても楽しい。恐らく叶わないだろうけれど、これからもずっと一緒にいられるのなら本当にそうなりたい。
そう、私は孝信君を本当に好きになった。
だから…これ以上嘘をつくのはもう限界だ。
あの時はつい魔女なんだと口をついて出てしまったが、もう彼を騙しているようなことはしたくなかった。
むしろ彼になら、最初から私が何者なのか伝えておいてもよかったのではないか?とすら思えてくる。
それならば、もうここで…
「どんな感じなんですか?魔女界って」
『……』
「やっぱみんな箒に乗って空飛んでるんすか?」
『………』
「魔女さ…」
『っ!…ごめんなさいっ!!』
「え?」
『わ、わたし…今まで嘘ついてたの!ホントは、ホントはね…
魔女なんかじゃないの』
「………」
孝信君は暫く黙っていた。
しかし驚いたりショックを受けたりというような表情は一切見せず、無表情のままでジッと私を見ている。
かなり重大なカミングアウトをしたというのにも関わらず。
「…やっぱりそうでしたか」
長い沈黙の後で、孝信君は口を開いた。
『…………え?』
この反応にむしろ私の方が動揺してしまった。
頭が真っ白になり体も動かず、箒に乗ったまま固まってしまっている。
『もしかして…ッ、孝…』
「そういう体質なんすよね、俺」
『……』
「フツーは見えないものが見える、みたいな。どうしても身内にそういう人がたくさんいるからたぶん遺伝したんすかねぇ」
『……』
「でも魔女を見たのは今日が初めてでしたよ。遂にそういうのも見れるようになったのかって思ったけどー…」
『ガッカリした?』
「どうして?」
『私が魔女じゃないから。それに嘘もついてたし…』
「してないですよ。てか…
謝るのは俺の方です!すみません…」
どういう訳か孝信君は深々と頭を下げた。
『……え?なんで…』
「思い出させたかなって…」
『そんな…』
「あんなこと…」
もしかして…
もしかして……
『孝信君…、私のこと全部知って…』
「もうその話やめにしましょう」
『っ…』
「泣いちゃってますよ、魔女さん」
そう言ってカバンから鏡を取り出して私に見せてくると…確かに両目から頬へと伝っていた。
こんな状態になってしまうともう何の感触もないからか、自分自身では気付けなかった。
「せっかくこうして“見える人間”と会えたんですから、そんな顔して欲しくないんです」
『孝信君は…悪くないよ!』
「いや~、余計なこと言っ…」
『違うの!元はと言えばさっきの人がタバコなんか吸うから…』
「…まぁそれもそうですかね」
そう、私が勝手に思い出しちゃっただけのことだから。何も気にする必要なんかない。
『というより…孝信君には感謝してるよ』
「え?」
『だって…こんな私が着いてきても迷惑がらずに相手してくれたんだもん』
「当たり前じゃないですか」
『本当にありがと』
「いいっすよ、だって悪い気はしませんし。魔女さんみたいな美人さんに逆ナンされて」
『や・め・て・よ!それに別に美人じゃな…』
「いや~、美人さんですよ。特に今みたいに笑ってたらね」
もう一度鏡を私に見せつけたが、もう涙はなくなっていた。むしろ照れくさくて若干顔が赤くなっているような気がする。もちろん、孝信君もニカッと笑みを浮かべてくれている。
…ヤバい。こんなんじゃ…好きを通り越して大好きになってしまいそう。
でも…この姿ではどれだけ想っていても、その想いが成就することは決してない。
『…ねぇ孝信君』
「はい」
『出来たら…生きているうちに会いたかったな』
「そうっすね」
『もし生まれ変わったら…また会えるかな?』
「それは俺にもわかりません」
『そうだよね…』
「あ、せっかくなんで…写メでも撮りません?」
今度はポケットからスマホを取り出した。
そういえば…私もこういうの持っていて、写メも動画もしょっちゅう撮っていたっけ。
『いいけど…私みたいなのなんか写るの?』
「それが写ルンですよ。俺がスマホとかカメラ持って撮ったらね」
『へぇ?!』
「まぁそれもそういう力の一つなんすよ…。もぉちょっと寄って貰えます?」
言われた通り、孝信君のすぐ近くに寄ってみる。彼はその前でスマホを自撮りモードにして構えるが…驚くべきことに確かに私がバッチリ写っている。
今まで、孝信君以外の誰にも見えなかったはずなのに。
「ではいきますよ。ハイチーズ!」
パシャッとシャッター音が鳴った。
「こんな感じですよ、ほら…」
見せて貰った写メに写っていたのは、撮る前と同じで紛れもなく孝信君と私のツーショット。思いのほか写りは悪くない。彼はもちろん素敵な笑顔を見せてくれているし、私もさっきまで泣いていたとは思えないぐらいだ。
『めっちゃイイじゃん!』
「でしょ?」
『一枚欲しいな』
「嬉しいですけど…あっちには持って行けませんよ」
『ざんねん…』
「大丈夫ですよ。…これで俺はずっと忘れませんから」
『……』
「ね…、須賀あかねさん」
『…それも知ってたの?』
「はい」
こうなる前の私の名前まで何で知っているのやら…。驚きを通り越してもう呆れてしまう。
どうしてこんなに私のことを知っているのか気になるが、もう一々聞くのはやめておこう。もうあまり時間はないし、色々と詮索している暇があるのなら…。
恐らく、あともう少しでお迎えが来る。
孝信君と、お別れしなくてはならない。
『…ね!最後に一つ、ホントに一生のお願いがあるんだけど』
「何でも聞きますよ」
『……キスしていいかなぁ?』
…よっぽど予想外だったのか、孝信君は目を丸くした。
自分から言っといてなんだが、私も今日一番恥ずかしくてつい俯いて顔を覆ってしまう。恐らく今あの鏡を見せて貰うと、さっきとは比べ物にならないぐらい真っ赤っかになっていると思う。
よくよく思い出すと、こうなる前ですらこうして男の人にせがんだことは一度もなかったような…。
「…いいっすけど、して貰ってもたぶん俺も魔女さんも何にも感じないと思うんですけど…」
『いいよ。…孝信君が嫌じゃなきゃ』
「…わかりました」
それだけ言うと、孝信君は目を閉じた。
『本当にいいの?』
「…何でもしますよ。たぶん…」
『たぶん?』
「もう少しで魔女さん…俺にも見えなくなると思いますし…、最後の最後なんで」
…やっぱりそうなるか。
寂しくなるけれど、仕方がない。
今度こそは…生身の人間として会いたいから。
きっと、また会えるよね。
『じゃ…、いくよ』
「はい」
ゆっくりと、顔を近付けた。
…やはり何も感じない。それでも至近距離に孝信君がいるのだからドキドキした。
「…魔女さん」
『ん?』
「俺からも最後に言っておきたいんすけど…」
『なになに?』
「その魔女の格好、すごく似合ってますよ」
『……………』
『ありがと』と言ったつもりだったが、もう既に彼にも聞こえなくなっていたようだ。
さよなら、孝信君。
あなたのおかげで、泣かないでお別れできたよ。
いつか私がこの世界に戻ってくるまで…元気で生きていてね。