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旭、君は間違っている  作者: satoh ame
8/31

08: record 客室


 宇多川うたがわほたるは窓に貼りついた枝の涙を指でなぞった。ストームが過ぎ去った村に瑞々しい青空が広がっている。

 朝早く帰還したフィデルに、あさひが直接話を聞いた。

 紫青しせい病は、親しくしていた牧場の馬から感染したらしい。しばらく村を出ておらず、それ以外の動物に接触した覚えもないため他のルートは考えられないという。

 その馬の胴に不自然な切り傷があり、帰り際、厩舎の側に横たわる血塗れのモルモットを見たと証言している。彼が収容先のメディカルセンターで感染者数名と遣り取りをした結果、全員が同じ日に牧場を訪れていたことがわかった。

 小動物から馬へ。そして、無差別に選ばれた村の住民へ。

 フィデルの元に集まった不審者の目撃情報は、どれも背格好や印象が酷く似通っていて、飛田ひだの犯行に間違いないと確信した。

 箱の断片に残っていた毛と、牧場内で発見されたモルモットの色も一致する。

 幸い村の人たちに犠牲は出なかったけれど、飛田を牢に送らない限り殺傷の連鎖を止められない。関わってしまった以上は目的を果たせるよう努力し、無関係な他者を巻き込まないことを最優先にすべきだ。


 手伝いを申し出て、グレースから預かった昼食を屋根裏部屋に届けた。

 ノックの音で姉ではないと察したらしく、「どうぞ」の声で中に入る。

「……本人っ?」

 窓際のデスクでノートを開いていたフィデルが理解不能な言葉を発し、驚いた瞳でこちらを見ている。割と元気そうで、肌に浮かんでいた痣もほとんど消えていた。

 旭とふたりでリビングに下りてきた際、彼の方も倒れる寸前で余裕がなく、こちらに気づいていなかったように思う。過去の知り合いではなさそうだ。珍しい髪色と、シティ・グランに似たグラントという姓を簡単に忘れるはずはない。

 おもむろに立ち上がったフィデルが、棚から取り出したものを手渡してきた。

 トレーをデスクの端に置いて受け取る。コイルで綴じた紙の束に、既視感のある絵。

「これ、あなたですよね?」

 否定するだけ無駄だと悟り、大まかな経緯を説明する。中等科の学生だった頃、身近な者から依頼され、新しいコスメブランドの広告写真を引き受けた。一度きりの出来事で、周りには打ち明けていない。ウィッグを使って普段とは違うロングヘアにしたせいか、同級生に知れ渡ることもなく無痛のまま過ぎていった。

 フィデルは駅のホームに貼られていたポスターで人物画の修練を積んだらしい。

「素顔の方がもてますよ」と擦れた笑みを浮かべ、彼はノートに向き直った。

「マンガ、いつから描いてるの?」

「憶えてません。伯父の家に遊びに行ったとき、何もすることがなくて死ぬほど暇だったのがきっかけだと思います。フェルナンが紙と鉛筆を見つけてきて、アイデアを出し合いながら暖炉の前で描き始めました。……僕たち双子だったんです。実態を知らなすぎて夢や憧れを持ってる人もいますが、些細なことも比べられてうんざりしてました」

 続きによると、双子のフェルナンは両親と遠出した日、車ごと災害に巻き込まれて生死不明。同行しなかったフィデルとグレースは無事だった。

「漫画はこれからもひとりで描いていくつもりです。フェルナンはヒット作の模倣と刺激的なバッドエンドを好んでいましたが、僕は登場人物の特徴と物語のキーワードだけでも事前に検索して既存作との重複を防ぐべきだと思いますし、最後まで読んでくれた人から笑顔を奪うような結末にはしないと決めています。……外見が同じでも、中身は別の人間であることに気づいてほしかった」


 ストームの余波で列車が運休になってしまったので、グラント家の厚意でもう一泊させて貰い、明日街へ帰る。スペイン出身のふたりは、希望の仕事を得られなかった場合に備えて、職業的な通訳ができるよう勉強していると話してくれた。

 廊下でシャワーの帰りと思われる湿った旭に遭遇し、あの絵の秘密を溶かしたくなる。

「……どうかしたのか?」

「姉がコスメの会社で働いてるんだけど、広告に使われた写真をフィデルが描いてくれたみたいで、中等科2年の冷めたわたしがスケッチブックに閉じ込められてる」

 全く関心がない様子の旭は、相槌を打ちながら小さな灯りを点け、部屋のベッドに座る。

 現在は古着風の緩いトレーナーを着ているけれど、一瞬でも彼の学生服姿を見てみたくて興味を逸らせない。飛田の件を片づけられたら記念に頼んでみようと思う。

 旭は表情と言葉が一致していて信用できるが、空気への従順さはあまり感じられないので、馴れ馴れしく距離を詰めてくるクラスメイトを拒絶したり、圧制フィリアの教師と揉めたりしていたかもしれない。気怠い台詞で不快な生命体を黙らせるのが上手そうだ。

「コスメって、爪に塗るやつか?」

「ネイルじゃなくて化粧品のこと。グロスとか」

 首を傾げた彼が困り果てた仕草で唇の端を上げたとき、蹲っていた何かが吹っ切れて、あの写真に絡んでいた憂鬱な色を洗い流そうと思った。

 明後日から戦場に復帰しなければならない。心模様は少しでも晴れている方がいい。

 旭は前髪から水気を滴らせたまま、浮遊感のある視点で室内を描写している。

「ドライヤーとケンカしてるの?」

 歩み寄って雫を拭った指先に、淡い香りの水滴が触れた。

 生きることを喜べない自分たちはきっといつか、苦悩とは無縁の清潔な眠りを探す旅に出たくなる。けれど、穏やかに足を踏み入れた先の、花弁と光の舞う虚ろな森がすべての感情を殺す。

 窓を開けると、深い夜空に白銀の星が瞬いていた。

 世界は濃淡を繰り返す青に守られていて美しい。空と海。水も風も。

 細やかに鉛筆を動かしている旭の絵は暗く儚げで、荒路を進む者同士でしか外し合えない鎖があることを教えられている気がした。



                                 record:08 end.


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