不安の表面
モノがない。不安だ。
都会でも田舎でもそう感じている人がいるんだな。
なんて、考えてみる金曜日の夜。
夕飯を食べ終えてからぼんやりとテレビの画面を見つめていると、買いだめの映像が目に入った。大都市の映像だった。そうか。生きていくためにはモノが必要で、なければ買うしかない。ただ、供給量が需要量を明らかに下回ってしまうと、モノを手にするための争いが起きる。縄文時代よりも前から、そういう気持ちは消えていないんだなあ。人間たちは。
「お母さん。先に、お風呂入ってきていい?」
「もう八時か。いいわよ、どうぞ」
娘はたたたたと風呂場へ向かった。最近マスク焼けが気になるらしく、ドラッグストアで化粧水や乳液を購入して、塗りたくっているらしい。中学生の頃は面皰ができてもまったく気にしていなかったのに、面白いな。これが成長というものなのだろうか。
「お母さん!洗面所のハンドソープ切れてるよ!!!予備もないよ!!!」
「石鹸で洗いなさいー」
「殺菌って書いてある奴じゃなきゃ嫌だ!」
「あるもので我慢しなさい。売ってないんだから、テキトーに代用なさいな。牛乳のいい匂いがするわよ」
「うー。分かったよお」
どうせ、私たちの不安は、もうどうやっても掬い取れないくらいみじめでぐやぐちゃなのだ。あるものでテキトーに対応して、対処する。それで生き残ることができたら、上々だ。
※※※
『最近抗菌という文字を見るたびに、何でか買ってしまうんですよ。菌という存在から少しでも離れたいという自分の心理的不安が、そうさせているのかと思うんだよねえ』
「それはモノを買っているのではなく、見せかけの安心を手に入れているだけですね。モノが増えても、それをきちんと消費できなければ意味ないですね」
『本当ね。モノの役割をきちんと果たさないと、そのモノが生まれてきた理由がなくなっちゃいますね』
「我々人間も同じはずなのですけれどね」
『ふふふ』
三人称の文章が書けない。書くしかない。