朝市とお茶
「それでどう? ちょっとは落ち着いた?」
別のスタッフさんが持って来てくれた新しいジョッキを片手に、虎の獣人で商人ギルドマスターのテラさんがにこやかに尋ねてくる。
「あはは、実を言うとまだ全然家の片付けが進んでいないんです。申し訳ないんですが、店の準備に取り掛かるのはまだもうちょっと先になりそうですね」
まさか読書と萌えの吐き出しに丸一日以上かかっていたので何もしていないとは言えず、さも当然のようにそう言って誤魔化すように残っていた赤ワインを口にする。
「構わないって。別に期限がある訳じゃあないし、ゆっくりやればいいよ。薬の素材屋をするのなら、素材の採集や加工の段取りだってあるだろうしね」
私の言葉にテラさんは勝手に納得してくれてうんうんと頷いている。
「そうですね。出来れば一度郊外へ出て、実際に素材の採取をやってみようと思ってます」
「ああ、そりゃあ必要だろうさ。まあ、その子を連れていれば大丈夫だろうけど、無理はしないようにね」
私の足元で丸くなって寛いでいる淡雪を横目で見たテラさんは、苦笑いしてそう言うとまたお代わりのジョッキを貰った。
「大丈夫ですよ。私だって痛いのや怖いのは嫌ですって」
「おや、そうなのかい」
何か言いたげだったけど、もう一度淡雪をチラッと見て肩を竦めた。
「ギルドマスター、ミサキさんはその従魔がいる上に全属性の精霊魔法を使えるんですから、ソロでも心配はいらないと思いますよ」
リロルさんと名乗った精霊使いの彼女は呆れたようにそう言って、カウンターに立てかけてあった自分の杖をそっと撫でた。
「平和な日常に乾杯!」
半分冗談、半分本気でそう言ってグラスを掲げると、二人も笑って乾杯してくれたわ。
「それじゃあお先です」
二人はまだ店を変えて飲むらしいので、お腹も一杯になった私は先に失礼させてもらった。
「ああ、お疲れ様。それじゃあ何かあったらいつでも遠慮なく相談しておくれ。もちろん、何もなくても顔見せに来てくれれば歓迎するからね」
「あはは、ありがとうございます。じゃあたまにはギルドにもお茶をいただきに顔を出しますね。それじゃあ」
笑顔で手を振る二人に一礼して、驚くくらいに安かった代金をイケおじマスターに払った私は、居酒屋を後にした。
「うん、近くに安くて美味しい店があるっていいわね。また来よう」
振り返って店の場所を確認した私は、小さくそう呟いて淡雪をそっと撫でてから家へ戻った。
そしてそのまま家の扉から火口へ戻り、竜の姿に戻って、念の為火の魔晶石を大量に作ってサラマンダー達に渡してからその夜はゆっくり休んだのだった。
翌朝、ドラゴンのまま熟睡した私は火山の火口で気持ち良く目を覚ました。
「ううん、火口で休むとスッキリ回復するって言ってた意味がよく分かったわ。確かに完璧に回復してるわね」
寝る前に残っていた倦怠感みたいなのが綺麗さっぱりなくなって、なんだか視界までクリアーになった気がする。
「よし、今日はあの萌えの塊のスケッチブックをラディウスさんに届けて、それから郊外へ一度出てみようかな。ずっと家の中にいるのもつまらないしね」
「ミサキ様、それなら前のご主人がいつも行っていた場所をご案内します」
「それなら、この季節の薬草だけでなく、珍しい素材や季節外れの薬草の在処などもご案内出来ますよ」
私の呟きに反応して、サラマンダーの茜だけじゃなくて土猫の琥珀までが出て来て得意気にそんな事を言ってくれる。
「へえ、ナディアさんが行ってた場所なら確かにそうなんでしょうね。じゃあお願い。ええと一度街へ出て、食料をもう少し買ってから行くからね」
水は、水晶魚の瑠璃がいれば大丈夫らしいけど、せっかくだからお茶と、簡単に食べられそうなテイクアウトの料理の用意くらいしておきたいからね。
人の姿に戻り、少し考えて郊外用に購入したやや分厚めのカーゴパンツと厚手の襟の詰まったシャツに着替える。靴も、底の分厚いアウトドア用のブーツに履き替える。
それから、大きめのマントを羽織れば完成。
「適当に合わせたけど、なかなか良い感じのハンターっぽい装備になったわね」
満足して深呼吸を一つした私は、杖を取り出して手にするとそのままメンフィスの街へ向かった。
「へえ、なかなか賑わってるのね」
淡雪と一緒に街へ出てみると、家から近い噴水のある大きな広場は朝市で賑わっていた。
「ううん、果物とかならちょっとくらいは買っても良いかも」
新鮮な野菜や果物なんかが山盛りになった、沢山の店を見て考えながらそう呟く。
実を言うと、私は料理はあまり得意じゃない。
全然出来ないわけじゃあないんだけど、材料をいちいち細かく刻んだり、下拵えをするのが面倒なのよね。だからちょっと肉を焼くとか目玉焼きくらいは出来るし、野菜を切ってサラダを作るくらいはの事はするけど、手の込んだ料理は基本外で食べる派。だって、一人前を上手に作るのって案外難しいのよね。
「インスタントの料理の素なんてこの世界にはないだろうしね。ううん、簡単に一人分を用意出来た即席味噌汁とかスープの素が恋しいわ」
苦笑いして小さく呟き、近くの果物が山盛りになったお店を覗いてみた。
「いらっしゃい。よかったら味見しとくれ」
エプロンをした大柄なおばさんが笑顔で差し出してくれたのは、半分に切った真っ赤なイチゴ。
「ありがとう。ううん甘い!」
思わず声が出るくらいに、本当に甘くて美味しい。
お皿は持ってないし、入れ物も無いけど買えるかしら? ちょっと考えて、素直に聞いてみる。
「ええと、欲しいんだけど入れ物とか持ってないんだけど、どうしたらいい?」
「ああ、じゃあこれに入れるね。イチゴでいいかい?」
そう言って取り出したのは、大きな葉を乾燥させて作った円錐形のカップ。成る程、あれなら確かにイチゴを入れて上を捻ればちょうど良い入れ物になるわね。
「じゃあ、そのイチゴを……あるだけもらっても良いですか?」
籠に入ったイチゴが全部で五個あるのを見て、全部買い占めさせて貰ったわ。
その後、パン屋の屋台を発見してハンバーガーっぽいのも種類があったのでお勧めをいくつか買い込み、レタスとトマトも見つけてお買い上げ。
その後、ゆっくり見て回っているうちに、お茶の専門店を発見。
こめかみの白髪と笑顔が素敵なおじ様店主を質問攻めにして、お勧めの紅茶を三種類と店主オリジナルブレンドのハーブティも幾つか購入。
話をしながら試飲だと言って淹れてもらったチャイも最高だったので、これも購入。ついでにすぐ近くにあった店主お勧めの農場直営店で、牛乳も瓶ごとまとめてお買い上げ。これは空き瓶を洗って持っていけば次からは中身だけ入れてくれるんだって。なるほど、エコね。
お茶を淹れる道具を持っていないって話をすると、郊外用の携帯のお茶セットがあるというのでそれも貰ったわ。マグカップが二個と大きめのポット、それからお湯を沸かすコンロとミニテーブルのセット。
金属製のマグカップには、細かい花の模様が彫り込まれていてなかなか綺麗。まあ、お値段はそれなりだったけど今の私なら余裕で何でも買えるもんね。
全部まとめて収納して、笑顔の店主に見送られて店を後にした。
「よし、これで出かける準備は完了ね。それじゃあラディウスさんの所に顔を出して、私の萌えの成果を見てもらわないとね」
朝市を後にして一旦家に戻った私は、白磁と一緒にラディウスさんに会う為にもう一度扉を潜ったのだった。




