残されたノートと彼女の優しさ
火の竜となったお方へ。
そう書かれたノートを手に取った私は、大きく深呼吸をして表紙をめくった。
ナディアさんの人柄を表す様な丁寧な筆跡で書かれた文字を、私は無言でそっと指でなぞる。全く見知らぬ文字だったけれども、私はこの文字の読み方を知っている。
「新たに火の竜となられたお方に、まずはお祝いと、そして貴方様に心からの弔いの言葉を贈ります」
最初に書かれた文字を声に出して読んでしまい、小さく吹き出す。
「そうよね。全然自覚無いけど、私、一度死んでるんだもんねえ。確かに、お弔いの言葉を贈られるのも間違ってはいないわよね」
肩を竦めてそう呟いて、また文字を追う。
「恐らく今の貴方は、何が何だか分からなくてパニックになっておられる事と思います。私もそうでしたから、お気持ちはとてもよく解ります。ですが、このノートを読んでいるという事は、少なくとも人の姿にはなれているのだろうと思い話を進めます。もしも未だドラゴンの状態で何らかの方法でこれをお読みになっているのだとすれば、まずは貴方の近くにいるはずの、ビオラという蝶のような妖精に詳しい説明を求めてください。彼女は人とは考え方の違う存在であるため、最初、私の疑問を一切理解してくれなくて、とても苦労しました。彼女から説明を聞き出すコツは、出来るだけ具体的に何が解らないかを言葉にする事です」
そこまで読んで、また吹き出す。
「やっぱりそうだったのね。本当に不親切チュートリアルだわ」
小さく笑ってそう呟き、胸元に潜り込んできた土猫の琥珀を撫でながら笑う。
その後、不親切チュートリアルちゃんからも聞いた柱の竜の説明と共に、マーカス達の事も詳しく書かれていた。
やはり彼らも私と同じ世界からの異世界転生者達で、驚いた事にマーカスが来たのが一番最近で、50年ほど前のアメリカから。デボラさんは産業革命直後のイギリスから、モルティさんはこれまた何と、フランス革命真っ最中のフランスから、そしてラディウスさんに至っては、何と古代ギリシャからだと言う。マジ?
ファイサルさんは、服装や顔立ちからの予想通りアラブ系ではあるらしいのだが、自国の事や自分の過去を一切話そうとせず、服装も頑なに変えようとしない、と書かれていた。なので、ファイサルさんに生まれ故郷の話はしないようにとの注意書きが書かれていた。
ため息を吐いてノートから顔を上げる。
「そっか、きっと何か思い出したくない過去か、あるいは絶対に忘れたくない過去があるのね……何この萌える設定は! ……ああダメダメ、腐女子的思考が発動してあらぬ方向に脱線するじゃないの。落ち着け私。それにしても、見事に年代がバラバラね。まあ、産業革命とフランス革命ならデボラさんとモルティさんは辛うじて近い年代だけど、国が違うから同じとは言えないわね。へえ、これってどういう事なのかしらね?」
時折独り言を呟きながら、ひたすら読み進めていく。
そして、そのページの最後の行に少し迷ったような文字で小さく、私の生まれ故郷はスウェーデンです。とだけ書かれていた。
「へえ、ナディアさんは、スウェーデンの生まれなのね」
そう呟いてから、スウェーデンがどんな国か考える。
「ごめんなさい。北欧の国だって事と、超臭いっていうあの缶詰と、有名な家具のメーカーの国だって事くらいしか知らないわ」
小さくそう呟いて笑ってしまった。
もう一度深呼吸をして次のページを開く。
魔力について。それから膨大な魔力を使った魔晶石と守護石であるルビーの作り方も、感覚的な事なので解りにくいかもしれないが、必ず出来るので大丈夫だと繰り返し書かれていて、当時の彼女の苦労がしのばれて何だか笑ってしまった。
きっと、ナディアさんは魔法や精霊についてさえよく知らない、全く無知の状態でこの異世界へ来てしまったのだろう。そりゃあ大混乱するだろうね。
「それを考えたら、予備知識だけはふんだんにあった私は、かなりラッキーかもね」
そう呟いて琥珀を撫でていると、自分も撫でろとばかりに肩に留まっていた風呼び鳥の浅葱が、私の頬に小さな頭を擦り付けてきた。サラマンダーの茜は、琥珀の横にちゃっかり潜り込んで一緒に私の膝に収まっている。
「はいはい、あなた達もいるわね」
順番に手を伸ばして撫でてやり、またページをめくる。
そこにはこう書かれていた。
「この世界について」
声に出して読んでから、身を乗り出すようにして読み進める。
そうよ、これこそまさに今の私に必要な情報よ。
しばらく無言でひたすらに文字を追った。
それによると、どうやらこの世界は大きな一つの島国らしい。島の周囲には急峻な山の峰が連なっていて普通の人には超えられないと書かれていた。要するにこの世界では島の中が全てで外海には行けないって事。
大体5,000キロメートル四方くらいの島である事。そして島の中央部分に直径1,500キロメートル近くある巨大な湖があり、陸地部分はドーナッツ状になっていて各街は同じくドーナッツ状に街道で繋がっている事、それから湖沿いも全部で六つの大きな街があり、街同士を繋ぐ水上交通が発達している事が書かれていた。
「そっか、一つしか無い島国で真ん中に巨大な湖があれば、当然水上交通が発達するわよね。5,000キロってどれくらいなのかしらね? オーストラリア大陸くらい? この大きさだと島っていうよりも大陸よね」
何となく納得して、各街の名前が書かれた欄を読み進めた。
まあ、今地名を聞いてもさっぱりだけど、いずれ外に出たらお世話になる情報だもの、とりあえず今は分からなくても良いから読み進めて行く。
どうやらこの世界には大きな街が全部で十二個あるみたい。って事は、湖沿いの街が六個と、それ以外が六個って事ね。
「私は、メンフィスと、ヘルムデンの二箇所に家を持っています。家の鍵と権利書をビオラに預けてあるので、必要があれば使ってください」
声に出して読んでから、驚いてもう一度読み直す。それから上を向いて顔を覆った。
「ナディアさん、あなたどれだけ出来た人なの。次に来る人に全部残していってくれるなんて。ありがとうね。是非とも使わせていただくわ」
人の姿になれるのなら、やっぱり家は必要よね。ここはありがたくナディアさんの遺産を使わせていただきましょう。
その次に書かれていた内容によると、ヘルムデンの街は農業が盛んな地で、のんびりとした長閑な良い街だと書いてある。要するに何もない田舎って事ね。
対してメンフィスって街は湖に面した都会のようで、人の往来も激しく華やかで賑やかなところだと書かれていた。
どうやらメンフィスの街にあるのが店舗兼住宅で、ヘルムデンにあるのは、街の郊外にある、いわば別荘みたいな家らしい。郊外の森や山で薬草などを採取する時に、その家を使ってたんだって。ナディアさんは薬屋さんをしてたって言っていたものね。
「そうか、街で暮らすのなら何かのお店をするのも良いわね。へえ、自分の店を持つなんて素敵じゃない」
薬屋は知識が無いから無理だろうけど、ちょっと何か出来ないか考えてみよう。嬉しくなって小さく呟き、次のページを開く。そこには、一行だけこう書かれてあった。
「ビオラにこの世界の地図を預けてあります。出来る限り詳しく描いた地図ですので、よかったら受け取って使ってください」




