97◇初代勇者の仇
本日複数更新
こちら3話め
『裂け目』から出てきたのは、一人の女だった。
灰色の長い髪に、同色の瞳。肌は白いが、皮膚表面の大部分を、黒い鱗のようなものが覆っている。まるで、服のように。それらは蠢いているようにも、波打っているようにも見えた。
それにしても、大きい。
メイジのように、女性の中では身長が高い、というのとは違う。
身長も、肩幅も、腕や足の長さからして、違う。
子供、大人ときて、もう一段階成長できたなら、これくらいの大きさになれるのかもしれない。
俺はもちろんのこと、メイジですら見上げるほど背丈。
それでも、絶妙のバランスで、同じ生き物だと言われれば頷いてしまいそうになるレベルに留まっている。
異様だが、異形ではないのだ。
彼女の出現に、『七人組』とメイジが膝をつく。
まるで、重力魔法で圧力でも掛けられているみたいに。
彼女たちだけでなく、俺以外の英雄たちも辛そうだ。
耐えられているのは、俺とミカだけ。
それだけの圧力が、女からは放たれている。
「二人、二人立ってる。勇者も、二人? 二人は、いないか。勇者は、一人のはず。合ってるか、正しい?」
女は首をこてんと傾げ、俺達に話しかけてきた。
「勇者は、俺だ」
「合ってた。勇者、一人だ。やっぱり」
ニタァ、と女が笑う。
「随分嬉しそうだな」
「?」
「お前一人をこっちに呼ぶために、かなりの魔族が死んだぞ」
女が俺を指差す。
「死んだ。違う。殺した。勇者が、沢山。そういう、それが、作戦?」
「お前のために命を捧げたやつらがいるんだ。ヘラヘラするなよ」
「? 弱き命に、価値はない」
女の影が具現化し、彼女自身を縛り付ける。
マッジの魔法だ。
そこに、スワロウとマッジが斬撃を見舞う。
ここにいるのは、いつまでも圧力に屈する奴らじゃない。
「美女をぶった切るのは後味が悪いが」
「レイン様の敵は神でも斬る」
二人の実力に疑いの余地はない。
だが、斬れなかった。
二人の斬撃は、彼女に触れたところでピタリと止まる。
「勇者じゃない。要らない」
「マッジ! スワロウ!」
マッジは即座に自分の影に沈み込んだ。
だがスワロウにそういった回避手段はない。
女は影の拘束を一瞬で解き、スワロウに手をかさず。
瞬間、スワロウ周辺の空間が歪んだように見え、彼の身体が吹き飛ばされる。
「うわー、勇者様、これあれですよ。わたくしお得意の……」
『万有属性』。
人間の世界に無数に重ねられた『透明の紙』を行き来する魔法。
異なる紙に存在を描いた者は、たとえ見えたとしても違う世界にいるので、攻撃が届かない。
この属性を意識的にでも無意識にでも使えて、同じ世界に干渉しない限りは。
「だが、魔法を使ってる気配はないぞ」
「ですねー。じゃあ素で違う紙にいるんでしょう」
幽霊と同じだ。
世界に生じた瞬間から、人間と生きる世界が異なる。
だが、幽霊とは格が違う。
「あれが『神』だというのなら、レイン以外には殺せない。自分の魔力では、やつの世界に届かない」
【賢者】アルケミが悔しそうに言う。メイジも「右に同じくー」と続ける。
「っていうか、こいつさっき変なこと言ってなかった?」
ミカは額に汗を掻いていた。
「今日は入れたって言ってたな。それに、さっきの男は勇者だけが彼女を傷つけられるって言ってた。なぁ、ミカ。お前、あの『神』を知ってたりしないか」
「……だいぶ昔のことだからハッキリとは言えないけど、気配は似てる、かも。でも、サイズ感が全然違うわよ」
――『初代勇者が「裂け目」から指だけ出てきた巨大な魔族に重傷を負わされて、しかも傷口に呪いが掛かった所為で「聖女」の治癒も効かずに……そのまま死んだわ。なんとか追い返して「裂け目」も閉ざしたけど……もしかするとあれが……』。
以前、ミカがそんな話をしていた。
それを、『神』クラスではないかと言ったのはエレノアだったか。
「待ってくださいレインさま……では、あれが初代勇者を指だけで殺した『神』だと?」
その時の会話を覚えていたのか、エレノアが信じられないという口調で言う。
「勇者? 指? そう。勇者と遊んだ。その時、これ、ここ、人差し指? 右の。怪我した。ちょっと、痛かった。楽しかった」
左手で右手の人差し指に触れながら、女が言う。
どうやら、初代勇者の仇が、この時代に顕現してしまったようだ。
あの男がこの女のどこを愛したかは分からないが。
初代勇者の時に指しか人間界に出てこられなかったこいつの為に、数百年もの時を掛けた準備したのは確かなようだ。
「もっと、ちゃんと? 遊ぶ。遊べるように、小さくなった」
「勇者様と遊ぶために人間に近づいたと。聖剣様と同じですね?」
「メイジ、あんたあとで覚えてなさいよ」
「あとがあることを祈りましょうか」
俺達は女神を警戒しつつ、倒し方を考えていた。
並の攻撃は通らない。
『万有属性』が鍵だが、その使い手であるアルケミとメイジの魔力でも足りない。
だから俺がやるしかない。
それはもう分かっている。
問題は、俺の最大出力でも、女神の存在が描かれた紙に届きそうにない、ということ。
おそらく、初代勇者の時代よりも、この女神は強くなっている。
俺は歴代最強の勇者だが、彼女は俺が生まれる何百年も前から強くなり続けているのだ。
「大丈夫。ずっと隣にいる」
影から這い出たマッジが、俺の手を握る。
「おほん! レイン様、一つお願いしてもよろしいでしょうか?」
フローレンスが一歩進み出る。
「もうすぐ行われる『レイン祭』にて、我々の出逢いとなったあの救出劇の舞台を披露するつもりなのですが、レイン様役がいまだ決まっていないのです」
そういえば、フローレンスと再会した時も、その劇のオーディション中だったんだ。
「……まだ決まってなかったのか」
「えぇ。やはりレイン様を演じられるのは、レイン様本人しかおられないとの結論に至ったのです。どうでしょうか? わたくし主催の演劇の主演、務めていただけますか?」
あまりに場違いな話題だが、それが虚勢であることくらい俺にもわかる。
「考えとくよ」
「ありがとうございます」
「俺の方からも、みんなにお願いがあるんだけどさ」
たった一人の人類最強で届かないなら。
「――みんなの魔力を俺にくれないか」
信じられる仲間の力を全て結集すればいい。
「そうしたら、絶対にあいつに勝ってみせるから」




