73◇混浴
窓の外は暗い。
廊下には蝋燭が灯されているので、周囲はなんとか確認できる。
俺が欠伸混じりに問うと、フェリスが申し訳なさそうに答えた。
「皆様が勇者さまをお呼びです。もちろん、眠いようでしたら……」
「いや、行くよ……。ところで、なんで呼んでるかは分かるか?」
「それは、のちほどご説明いたします」
フェリス先導のもと、廊下を進んでいく。
寝起きで足許が覚束ないと思われているのか、フェリスが俺の手を優しく引いていた。
すべらかで温かいフェリスの手をそっと握りながら、夜の建物を進んでいく。
俺と子供たちは二階の部屋に泊まっていたが、目的地は一階のようだ。
一階には温泉や食堂などの各種施設が揃っている他、フローレンスのための特別な部屋など客室も用意されている。
どうやら、目的地はフローレンスの部屋のようだ。
「ここにみんなが集まってるのか?」
「はい。ところで、勇者さまは家族風呂というものをご存知でしょうか」
フェリスが扉の前で立ち止まって、そう尋ねてくる。
「家族風呂? いや、聞いたことないな」
「先程、勇者さまはお一人で入られたのでイメージが難しいかもしれませんが……世には公衆浴場で他者に裸体を晒すことに抵抗がある、という方もいるといいます」
「……なるほど」
魔王城の大浴場も、あれは本来王族用だ。
王都に住む一般人は公衆浴場を利用していると聞く。
人間領にもそういった国は多い。
専用の風呂、というのは一部の限られた者達だけのものなのだ。
だが、誰しもが公衆浴場に馴染めるわけではない。
風呂には入りたいが、人の目が気になる……という者もいるだろう。
「家族風呂とはいいますが、小規模な温泉を貸し切るもの、と考えていただければ問題ございません。フローレンス様のご提案で導入されたシステムとのことです」
「へぇ。ん? その家族風呂ってのは、フローレンスの部屋と繋がってるのか?」
「他にもあるようですが……。えぇ、その通りです」
「……待ってくれ。まさかみんなが俺を呼んだのは――」
フェリスはフローレンスの部屋の扉をそっと開きながら、困ったように微笑した。
「勇者さまと、露天風呂を共にされたいとのことです。どうされますか?」
◇
風呂に『七人組』の面々が現れたことはある。
全員ではないが、エレノアやレジーなどは水着を着用して入浴を共にすることがあった。
「それは、その……水着を着てるんだよな?」
「大変残念なことに、水着の着用は禁止されているとのことです」
そのルールを作ったの、フローレンスだったりしないだろうか。
あるいはこういった施設では常識なのか。
判断がつかないまま、フェリスの手を振りほどくことも出来ず、部屋に足を踏み入れる。
「あー、こういう時はその、ミカも呼ばないとあとで拗ねるから……」
「聖剣さまには事前に許可をいただいております」
――いつの間に?
ミカは大体常に俺と一緒に――って、風呂の時か。
男女別に分かれた際、ミカを女湯に連れて行ってもらったのだ。
さっきの『……行ってきなさい』というのは、家族風呂についても納得済みの上での発言だったのか。
「あいつがよく納得したな」
「モナナ様が人間化装置の改修を急ぐとお伝えしたところ、特別に許可が下りたそうです」
「あー……」
ミカは以前、人間化を果たした。
エレノアたちが住む魔族の国にやってきて以降、疎外感を感じることが多く、人間の姿になれば俺に置いていかれないと考えての行動だった。
その際、色々あって『聖剣で、相棒』という立場に納得し、剣の姿に戻ることを決意。
しかし人間化装置の副作用? によって一時的に剣身に錆が浮いてしまったのだ。
だが、その一件で人間化に興味がなくなった、というわけではないらしい。
「なんでも、装備できるくらいの小型化を図る他、勇者さまの呼びかけに応じて即座に聖剣に戻れるよう機能の改善を求めたとのことです。モナナ様は顔を青くされていましたが……」
モナナからすれば、相当大変な作業ということだろう。
ミカはミカで、前回人間化した時に俺の側にいられず、そのことで俺が怪我を負ったことを大変気にしているようだ。
もう一度人間の姿になるのだとしても、俺に迷惑を掛けたくないという思いが、改修希望に表れている。
「しかし、モナナ様は勇者さまと共に入浴できるならばと、心強く頷いておられました」
モナナを勇姿を伝えるように、フェリスが言う。
断りづらくなってしまった。
「ちなみに、もしレイン様が家族風呂に来てくださるのなら、みなさま本日の競技で獲得した『ご褒美』はここで消費しても構わないとのことでした」
更に断りづらくなってしまった。
俺は気まずさを覚え、思わず部屋を見回す。
俺達の部屋だと『カケジク』が飾ってあった壁に、五歳の時の俺の肖像画が掛けてあったり。
卓上に俺の全身を象った銅の置物があったり。
最近の俺の姿が描かれた長い枕が転がっていたり、気になる点はあるものの。
特別な部屋という割には、高級感などは感じられない。
きらびやかさより、旅館の素朴な内装を楽しむことを優先したようだ。
一瞬、床に敷かれた布団がぺらりと捲られているのが目に入った。
誰かが一度入って、抜け出した痕跡。
ここはフローレンスの部屋だから、彼女だろう。
脳裏に浮かんだのは、はだけたユカタ姿のフローレンス。
「乙女の部屋をそうまじまじと眺めるのは、マナー違反かと」
フェリスが囁くように言った。
「あ、あぁ、そうだよな」
俺は慌てて室内の様子から意識を逸らした。
フェリスがスッと俺の耳許に口を寄せる。
「どうしても気になるようでしたら、後日わたしの部屋にお招きしますので、好きなだけご覧になって行ってください」
鼓膜を舐め上げられるような感覚に、俺は思わず耳を押さえた。
「フェ、フェリス?」
フェリスはいつもの優しげなものとは違い、どこか蠱惑的な、悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
「露天風呂は『七乙女』のみなさまだけとのことで……勇者さまの記憶に残るようなことをしてみたくなりまして。ふふ、申し訳ございません」
「い、いや……」
なんだか胸がそわそわするが、嫌ではない。
「それより『七人組』だけって……フェリスは競技に参加しなかったからか?」
「誰かが、子供達のお側についておりませんと」
「あ、それは確かに……」
ミカや白狐がいるから安心していたが、年長者が一人ついている方がいいだろう。
「それでは勇者さま、ごゆるりと」
一礼して、フェリスが去って行く。
俺は部屋の奥へと向かった。
俺達の部屋だと、謎の空間と窓があるスペースだ。
この部屋では、そこから露天風呂に繋がっているようだ。
そちらへ向かう。
脱衣所があり、カゴが幾つも並んでいた。
何故か名札付きで、誰の衣類が入っているか一目で分かるようになっている。
そしてその中に、風呂で待っているだろう七人分のユカタが、畳まれて入っている。
何故か、ごくりとつばを呑んでしまう。
俺は自分も脱ぐべく帯を緩め――天井を見上げた。
今週分の更新となります。
また、本作の書籍版第3巻の発売が決定いたしました……!
3/18頃発売となります!
web3章に関しても、3巻発売までに結末まで投稿予定です。
引き続き何卒よろしくお願いいたします。




