50◇元聖剣で、今は美女(上)
聖剣。
選ばれし者だけが扱える、意思を持った剣。
現存するのは一振りのみで、それがミカだ。
使い手に合わせて形を変える他、魔法制御の手助けを行い、戦闘をサポート。
剣自体が視界と感知能力を持ち、それによって得た情報を勇者に伝える。
たとえば背後から敵が迫っている、遠くに魔力反応があるなどを察知し、勇者に警戒を促すわけだ。
ミカの使い手は、これまで一人の例外もなく【勇者】の英雄紋を持った者だった。
そしてミカには、死した英雄の力を蓄えるという能力がある。
彼女の中にも、莫大な魔力が眠っているのだ。
そんな聖剣ミカが、人間の少女の肉体を手に入れた結果――。
「はぁっ!? 美味しい! これが『味覚』ッ! 口の中に広がる旨味! 脳みそが弾けるような多幸感! これが人間ッ……! ずるいわ……! 人間ずるすぎよ……!」
夕食時。
金髪碧眼の十代女子になったミカは一心不乱に食べ物を詰め込んでいた。
これまで人間の営みを見てきたからか、食器の扱いなどには問題ない。
肉料理、パン、サラダを掻き込み、スープで流し込むように胃に納めていく。
その様子を見て、チビたちは呆気にとられていた。
ミカが人間になった時などは、子供特有の驚くべき順応性を見せて「えー、ほんとに聖剣さまなの?」「でも言われてみればミカちゃんっぽい……かも?」「ミカちゃん、人になったんだ!」と即座に受け入れいた童女たちだったが、これには驚くらしい。
「料理は逃げないから、落ち着いて食べろよ」
「そ、そうよね……! でもこれは本当に美味しいわ。レインが太った理由もわかるもの」
「そっか」
ちなみにミカは俺の右隣の席に座っている。
「あ! そうだアレやりたかったのよ!」
ミカはフォークで肉の塊を貫くと、それを俺の口許に近づける。
「ほら口開けなさい。『あーん』ってやつ」
「えー……」
「何よ、あたしのご飯が食べられないわけ!?」
どうしてだろう。
ミカにやられると、妙な気恥ずかしさを覚える。
彼女が頬を膨らませて拗ねるような顔をするので、渋々口を開いた。
「んぐっ」
一口には少々大きかったが、なんとか口の中に入った。
「ふふふ、なんか楽しいわね。どう? おいしい?」
「そうだな」
俺が答えると、ミカはとても嬉しそうに笑顔を輝かせた。
◇
「背中を洗ってあげるわ!」
王城内の大浴場だ。
「いや、自分で出来るから」
「何よ、あたしには洗われたくないってわけ!?」
『あーん』の時と同じパターンで押し切られ、ミカに体を洗われることに。
「……………………」
普段は絶えず柔らかい微笑みを湛えているフェリスが、石鹸を手に持った状態で固まっている。
『七人組』がいる時こそ影に徹する彼女だが、普段は俺の近くで世話を焼いてくれるのだ。
それは朝の挨拶から始まり、着替えの手伝いやスケジュールの管理、俺が何かを望んだらその実現に必要な各種手配など多岐にわたる。
入浴前に背中を流すというのは、ここのところフェリスの仕事だった。
『最近中々お世話ができていないのでせめてこれくらいは……』と言われて以来、断れなくなったのだ。
メイド水着の姿で俺の体を洗うフェリスは、こころなし普段よりも楽しげに見えた。
そんなフェリスの仕事を、だ。
今日はミカが担当することになった。
「えぇと……ごめんな、フェリス。ミカのやつ、人間の姿になれて嬉しいみたいでさ」
ちなみにミカの水着は上下一体となっているタイプだ。ただし下部分に飾り布などはなく、足の付根付近まで大胆に晒されていた。
水着の色が白いのは、聖剣時代の刀身を表しているのだろうか。
金の髪が装飾を、青い瞳が宝玉を連想させるので、水着もそういうものを選んだ可能性はある。
「悪いわね、フェリス。今日は譲ってちょうだい」
「いえ……お気に……なさらず……」
フェリスの声には覇気がない。
それに気づいているのかいないのか、ミカはノリノリで石鹸を泡立てる。
「痒いところはないですか~、とか、こんなことを訊くのよね確か」
たどたどしい手つきではあるが、俺を傷つけないよう丁寧な動きを心がけているのが伝わってきた。
「あぁ、大丈夫だよ」
そんなふうにミカと話していると。
「う。ウルもやる」
狐耳の童女、ウルがやってきた。
彼女はちび白狐をマフラーのように首に巻いた状態で、俺の近くへやってくる。
一人が言い始めたら、あとは連鎖するように他のチビたちも手を上げ始める。
「ダメよ! 今日はあたしの番なんだから!」
抵抗するミカだが、数の有利はチビたちにある。
やがて泡だらけにされ、床をつるつると転がされていた。
今のミカは不意をついたとはいえ【聖女】マリーを撃退できるほとの魔法使いでもある。
本気で抗えばチビたちを押しのけることなど簡単だったはずなので、「あんたたちねぇ!」と怒鳴りつつも、内心悪い気分ではないのだろう。
「風呂場で走るなよー、転んだら危ないからなー」
チビたちに注意しつつ、俺は自分の頭を洗うべく桶に湯を汲むのだった。
◇
「くっくっくっ、見なさいもふもふ白狐! これでもうあんたに遅れをとることはないわ!」
夜、寝室だ。
上下に分かれたパジャマ姿のミカは、ベッドで俺の隣に陣取る。
これにはチビたちからも不満の声が上がるが、ミカは聞く耳を持たない。
ここに来てからは特に、俺の就寝時には誰かが一緒にいた。
それを同じ部屋の台座から眺めていたミカとしては、人間の姿で相棒と共に寝るというのは夢の一つだったのかもしれない。
そう思うと、俺には断ることができないのだった。
『……ふむ。剣の姿では万が一にも子供たちを傷つける可能性があった。人の身ならば問題あるまい』
言いつつ、ちび白狐は俺の首にしゅるりと巻き付く。
「近っ! ちょっとあんた張り合おうとしてるでしょ!」
『何のことか』
「とぼけないでよ!」
ミカが犬歯を覗かせて、シャーと警戒する小動物みたいな声を上げる。
『ふむ。遅れをとるとらないという話になるのなら、条件は対等である方がよいだろう』
「はぁ? なに、あんたも人間になるってこと? そんな簡単には――」
次の瞬間、白狐の体が光に包まれたかと思うと――白い髪に赤目の少女に変身した
「なッ――!?」
年頃は十代前半ほどで、今のミカに合わせているのか。
髪は長く胸は平坦。
美しい顔をしているが、表情には乏しい。
種族は狐の亜人。
さすがに裸での登場はよくないと思ったのか、狐の毛皮のようなもふもふなパジャマを身に纏っている。
「ヒモのレインよ、この姿はどうか」
いつもの白狐とは声まで違う。
「えっ、あ、あぁ。そうか……そういえば、精霊が人間の姿をとる、なんて話はよく聞くもんんな」
人ではない超常の存在が、敢えて人の姿をとる、という伝説は珍しくない。
聖剣には装置がなければ不可能な人化も、霊獣にはそう難しくないことなのか。
「人に見えるか」
「そうだな。可愛い狐耳の女の子、って感じだ」
「そうか」
先程まで自分がやっていたことを再現するかのように、白狐が俺の首に腕を回そうとする。
「ま、待ちなさい!」
それを阻止したのはミカだ。
「どうした、聖剣よ」
「あんた女の子だったわけ?」
「聖剣よ、本来我々のような存在に、人でいうところの雌雄は存在しない。伝承に残るそれらは人が我々に当てはめたイメージに過ぎないのだ。ゆえに、明確に己の人格を『女』と自認しているお主のような存在こそが、稀である」
ミカが震える。
「た、確かに……ッ! ――じゃなくて! 完全にあたしに張り合う気じゃない! あんたまで人になったら、あたしの印象が薄まるでしょう!」
「そうか」
「反応薄っ! 由々しき事態なんだからねこれは!」
ミカは不満げだ。
だがそんな会話も長くは続かなかった。
「……う」
狐耳のウルが二人の会話に割り込み、白狐の胸に飛び込む。
「どうした、ウルよ」
白狐の声にも何も返さず、ウルはただ同族の姿をとる霊獣の胸に顔を埋める。
時折漏れ聞こえてくるのは、嗚咽か。
ウルは、霊獣捕獲のためにやってきた魔族の軍に故郷を滅ぼされたのだ。
白狐が同族の姿をとったことで、幸せな記憶やそれが奪われた事実を思い出してしまったのかもしれない。
ウルの気持ちがわかるのか、他のチビたちも泣きそうな顔になる。
俺はミカを見た。
ミカも俺を見ていた。
頷き合う。
その日、俺とミカは隣同士で眠らなかった。
俺の左右にも、白狐の左右にも、ミカの左右にもチビたちがいる状態で眠る。
ベッドは広いので、問題なかった。
失われた命や故郷の代わりには決してなれないが、せめてこれからは安全なのだと、彼女たちが安心できるように、頭を撫でる。
鼻をすするような呼吸音がやがて柔らかな寝息に変わるまで、俺たちは起きていた。
今回にて本編50話到達です!
ここまでお付き合いくださりありがとうございます!
レインの物語はまだ続く予定ですので、
引き続きお付き合いいただけますと幸いです!
ではでは!!!




