35◇幸せヒモ太り
「うぅん……こう、か?」
俺は今、エレノアとテーブルを挟んで向かい合わせに座っている。
そして二人の間にあるテーブル、その上には盤が置かれていた。
マス目で区切られた正方形の盤上には、無数の駒が乗っている。
駒には幾つかの役職があり、それによってどう動けるかが違ってくる。
互いに一回ずつ駒を動かし、敵の王を潰せば勝ちな遊戯だ。
自分の順番が来た時に、相手の駒の上に自分の駒を動かした時、その駒を倒すことが出来る。
「……お見事です。私の負けですね」
【軍神】とも似たようなことをしたことがある。
ちょっとルールが違ったので手間取ったが、四回も戦う頃には慣れてきた。
四戦目にして初勝利である。
ちなみにミカはルートが新しい鞘を作ってくれると言うので彼女についていった。
俺から離れようとしない聖剣だったが、ルートとはそれだけ打ち解けたということか。
いや、英雄達が俺を取り戻しにくるという未来に備えてピリピリしていたのかもしれない。
【軍神】からの手紙を見て、あいつが俺を放置する方針なのが分かって気が緩んだのだろう。
「やりましたね、レインちゃん……! グラディウス並の知略と貴方自身の不屈の魂が引き寄せた勝利です!」
大げさに叫んだのは【聖女】マリーだ。
今日もふわふわした黄色い長髪と美しい肌は健在。
そして今、俺の背中には柔らかいものが二つ、当たっていた。
そう、マリーに後ろから抱き締められているのだ。
「……え、えぇさすがはレインさまです。しかし対局中から気になってしょうがなかったのですが、マリー……さまは何故レインさまを抱きしめておられるのか」
最初はエレノアと普通に勝負していたのだが、そこにマリーが登場。
どうやら任務の隙間時間を利用して、俺に会いにきたようだ。
前回のような暴走とは違い、【賢者】の空間魔法によるもの。
マリーは俺が勝負事に臨んでいると分かると無言で俺を抱き上げ、再度座った。
俺の方は勝負に集中したかったので無視していたのだが、どうやらエレノアは気になってしょうがなかったようだ。
「姉が弟を抱きしめることに理由が必要だとも?」
マリーが自慢げに言う。
穏便に帰ってもらうために漏らしたお姉ちゃん呼びは、彼女にとってかなり重要なものだったのかもしれない。
「くっ、私は貴女含め他の英雄たちがレインさまにした仕打ちを許していませんからね……!」
エレノアがマリーをキッと睨みつける。
マリーは首を傾げた。
「はて、使命を果たすのに必要なことをしたまで。心苦しいことではありましたが、レインちゃんの活躍で一体どれだけの命が救われたと? わたくしの記憶が確かであれば、貴女も救われた命の一つであったはずですが?」
「正当化されるつもりですか……!」
「正しいか正しくないかの議論をするつもりはありません。必要であったか不要であったかです。人類のため、貴女がたのように罪なき者のため、【勇者】の力は必要でした」
「だとしても、それを強いた英雄がまるで家族のような顔でレインさまに接するなど――」
「それを決めるのはレインちゃんでは?」
この議論は終結しない。
エレノア達の意見の方が、こう倫理的にというか、人道的にというか、きっと正しい。
しかし、五英雄がそれらを遵守していたら今生きていないという者が何千何万といるだろう。
俺としてはもう気にしていないので、あまりそのことで争ってほしくないのだった。
英雄たちとの生活も、嫌な思い出ばかりというわけではなかったし。
「よく分からないけど、これが気になってるなら、エレノアもやってみるか?」
これというのは、後ろから抱き締められる状態のことである。
マリーは英雄としての振る舞いも気にしていて、ひと目のあるところでは姉状態にはならない。
ここは魔族領ということもあり、普段抑えているものを解放しているのだろう。
それはいいとして、エレノアが気になるなら俺としては構わない。
…………?
構わない、よな。
なんだか想像すると心臓が早鐘を打つのだが、これは何故か。
「そんなのダメです! 不健全です!」
マリーが叫び、俺をぎゅうっと抱き締めた。
背中にあたる柔らかい感触が強くなる。
「んなっ! では貴女はなんなのですか……!」
一瞬嬉しそうな顔をしたエレノアが、マリーの発言で再び怒り顔になる。
「姉は特例と認められています。わたくしに」
「なんという暴君! とても英雄とは思えませんね……!」
「レインちゃんは人間関係に疎いのでちょっとした接触による興奮を恋愛感情と間違えてしまう可能性があります……!」
「そもそも他人と関わらせなかったのは貴女達でしょうに……!」
「愚かにもレインちゃんを利用しようと目論む者が大勢いたのです! 下手に友人を作ろうものならばその者まで利用されていたことでしょう……!」
「だからと言って……!」
この二人、すぐ喧嘩するな……。
「【勇者】の小僧はいるか……!」
ノックもなしに部屋に入ってきたのは、獅子の頭をした獣人タイプの魔族だ。
確か四天王の一人だったと思う。
前に『裂け目』を開く儀式を開こうとしているやつらがいて、それを倒しに行く前に寄った魔王軍の会議室にいた。
ちなみに男で、立派な鬣をしている。
「いるよ」
俺は空間転移でマリーの拘束から逃れ、獅子の男の前に立つ。
「やはりな、小僧。お前……前に見た時よりも……太ったな」
「えっ」
ふ、太った……?
俺が?
「そんなことはありません! レインさまは元々がやせ細っていただけで、これくらいが標準的です! ちょっとほっぺたとかふにっとしてきて大変可愛らしいではありませんか!」
エレノアが言う。
「いえ、そちらの方の言う通りです。暴飲暴食や昼寝に休憩。あらゆる怠惰を全肯定していては、幸せにするどころか不健康にさせてしまいます。家出前より体重が増加していますし」
マリーが冷静に言った。
太っていたのか、俺が……。
ちょっと美味しいものを食いまくり、移動は空間移動で済ませ、チビ達と遊ぶ以外ではあまり動かず、戦闘は一瞬で済ませ、眠くなったら寝ているだけなのに……どうして……。
理由がまったく分からない。
いや、嘘だ。分かる。明白だ。
「食客としての待遇を否定するつもりはないが、聞けばお前の周りには男が少ないという。フリップ坊はあれで忙しい。子供時代を取り戻したいというのであれば、俺が手を貸そう」
「し、獅子の人……!」
「ライオだ」
「ライオ……!」
「行くか、レインよ」
「あぁ、行こう……!」
別に体重が少し増えようが構わないとも思うのだが、堕落したくはない。
ここいらで気を引き締める必要があるだろう。
あと、ライオの見せてくれるものが楽しみというのもあった。
「それでライオ、何をするんだ?」
「――キャンプだ」
続きます。
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