31◇聖女襲来
『いくら聖女でも、これだけ離れててあんたの魔力を感知するとか無理……よね。どうして居場所がバレたの?』
俺は魔王城のある王都から出る。
『空間転移』を利用して、【聖女】を迎え撃つのに最適な場所を探す。
いや、こういうことを想定して、事前にいくつか選定してある。
しかし【聖女】の動きが早すぎて、ほとんどの地点が既に使えなかった。
「知らん。バレてる事実だけ分かってれば戦えるだろ」
最終的に選んだのは瘴気に侵されきった森だ。
どんよりとした雲のせいで薄暗い。
エレノア達のいる国の領土は、結構狭い。小国、というのか。
魔王の結界術によってなんとか瘴気に汚染されていない空間を確保している状態なので、仕方ないのだが。
『あぁもう、あたしあの女苦手なのよね。あんたと喋ってると笑顔で睨んでくるし』
笑顔で睨むってなんだ。
顔は笑っているが目は笑っていない状態だろうか。心当たりがあるな。
「俺も苦手だよ。あんま『普通』が分かってない俺でも、あいつが『変』なのは分かる」
英雄はそれぞれどこか変だが、人間らしい感情もある……と思う。
じゃなきゃ命懸けで人間のために戦わないだろう。それもロクな報酬も求めず。
俺があの女を苦手なのは、よく分からないからだ。
【軍神】は俺を有用な駒として運用するし、【剣聖】や【魔弾】は弟子扱いだろうか、【賢者】は普段こそ無関心だが魔法は真剣に教えてくれた。
俺個人というより、【勇者】を【勇者】として見ているのがちゃんと分かった。
だが【聖女】はそのあたりがなんというか、いびつなのである。
『そりゃあそうよ。だってあの女……あれであんたのこと弟みたいに思ってるとか抜かすくらいだからね、まともじゃないわ』
【剣聖】の鍛錬はかなりのスパルタで、俺は実際に斬られたことが何度もある。
腕を落とされたことも、喉を裂かれたり心臓を貫かれたりしたことも一度や二度ではない。
人間は慣れる生き物だが、致命傷に慣れるチャンスというのはほぼない。
しかし俺たちには【聖女】がいる。
相手が俺たちに大ダメージを与え、『勝った』と思った瞬間。
その僅かな刹那を、もし利用出来たら?
一瞬の動揺もなく、致命傷を受けてもなお反撃に出られる、という選択肢を持てたら?
ギリギリの戦いの最中、瞬きほどの時間が勝敗を分けることはある。
一つの動きが死を招くことがあれば、当然逆も。
そんなわけで、俺含めみんな『どんな傷を負っても動じず任務達成のために動ける』ように、様々な負荷を掛けては【聖女】に治癒してもらう、という訓練を積んでいた。
この時代の六英雄は真実歴代最強だろう。
強さだけではない。
俺たちは頭の半分が吹き飛んでも、下半身を失っても、心臓を握り潰されたって、最後の一呼吸分まで任務達成を優先出来る。
「レインちゃーーーーん!!!」
あ、来た。
転移前にヴィヴィの報告を聞いた感じだと、道中で彼女の邪魔をした悪い魔族は全員倒されたらしい。
二つの砦が破壊され、幾つかの軍が壊滅し、四人の『将』クラスがこの世から消えたとか。
『将』というと、『王』の二つ下のランクだ。とはいえ、これでも並の人間では束になっても傷一つ付けられない強敵。
こんなむちゃくちゃなやり方は、帰還を考慮しない一点突破だからなんとか成立している。
だって六人しかいない人類の英雄が、瘴気に満ちた土地を手ぶらで爆走するなんて誰も予想出来ないだろう。
魔族の軍だって、ちゃんと準備して襲ってきたら人類にはかなりの脅威なのだ。
『ちょっとレイン来たわよ、なんであたしを抜かないの!?』
ミカも随分魔王軍のヒモに染まってきたなぁ。
最初の頃は人類から脱したことを随分嘆いていたが、今や人類の味方である英雄に対して自分を向けろと言っているのだ。
周囲の木々を薙ぎ倒しながら俺の前までやってきたのは、青と白を基調とした衣装に身を包んだ、神聖ささえ感じるほどの美女。
ウェーブの掛かった黄色の長髪をなびかせ、豊満な胸部を揺らしながら、こちらに近づいてくる。
「……久しぶりだな、マリー」
彼女の名前はマリーという。
「もう……! もう……! どうして家出なんかしちゃったの……!?」
『家出扱いなのね……』
ミカが喋ると、マリーの目から光が消えた。
「聖剣さまも、使い手を導くお役目を放棄して何をなされているのか。【勇者】を正しき道へと引き戻すことも出来ないのなら、その身に精神を宿す意味が問われましょう」
『……ほんとこいつ嫌い』
苦手から嫌いに変わった。
そう、【聖女】は一般人と接する時は、笑みを絶やさず常識的で優しいまさに聖女! って感じなのだが……。
「でもレインちゃんが無事で良かったぁ。お姉ちゃんもうずっと心配で心配でご飯も一日三食しか喉を通らないし睡眠もちょっとしか出来ないし寂しくて寂しくてレインちゃんの残していった服をぎゅっとしてなんとか正気を保ってたんだからね……!?」
英雄たちといる時は思ったことを言うし、ミカには聖剣らしさとやらを求めるし、あと、どういうわけか俺にはこんな感じなのだ。
これで扱いが弟を溺愛するような感じだったなら――それでも『普通』とは違うだろうが――俺もこいつをここまで苦手に思わなかったかもしれない。
「まったく、反抗期なのかな? ダメですよレインちゃん。わたくし達は神に選ばれし六人だけの英雄。みんなで力を合わせて、悪しき魔物共を滅し、世に平穏を取り戻すという使命があるんですからね? 年相応に遊んだりするような時間は、全てを終わらせてからにしましょう? それまでは我慢です。世の中には魔族共によって土地や愛する者を失った方々が沢山いるのですから、我々に贅沢や娯楽が許されるわけがありません。全ての罪なき者の為、英雄紋を刻まれたわたくし達は神の剣となって悪を打ち払わねばなりません。レインちゃんが家出中も頑張っているのは知っていますよ、使命を忘れていないようで嬉しいです。でもね、わたくしは思うのです。レインちゃんならばもっと出来ると。もっともっと正義を行えると、もっともっともっと救えると……!」
正直半分も聞いてなかった。
こいつは俺に人間らしい振る舞いを教える反面、英雄らしさも強く求める。
そのアンバランスさが、少し苦手だった。
マリーは瞳を潤ませ、ついには涙をこぼす。
「さぁ、抱き締めさせてくださいな。そのあとで帰りましょう? 次の任務までに少しだけお時間を貰って、お仕置きもしなければなりませんね」
「お仕置き?」
「はい、悪い子には――お尻ペンペンです」
「お尻ペンペン」
「それはもう悔い改めるまで、赤く腫れ上がっても心を鬼にして止めませんとも。でもちゃんと反省出来たらお姉ちゃんが治してあげますからね」
ふむ。
「俺、帰るつもりはないよ」
「――え?」
マリーは理解出来ない、みたいな顔をした。
「今の生活が気に入ってるんだ」
それに、お尻ペンペンは嫌だし。
マリーは俺の姿を改めて眺めた。
そして、くんくんと鼻を鳴らす。
「……海……海鮮料理……それと、女人! 女人! 女人! 子供も混ざっているようですが、なんたる数の女の匂い! レインちゃん! あなたは騙されています!」
「いや、待ってくれ。なんか勘違いしてるだろ」
「やはり単独任務はまだ早かったのです……! わたくしがあれほど近寄ってくる者には気をつけろと言ったのに……! レインちゃんは可愛い上にとても強くて優しいのだから、みんな欲しくなってしまうのは当然なのです! 悪しき魔族共め……わたくしのレインちゃんを籠絡しようとは……滅する他ありませんね」
「マリー」
思ったよりも、低い声が出てしまった。
「れ、レインちゃん。なんですその声は、怖いですよ……?」
まったく怯えていないが、それとは別にショックを受けたような顔をするマリー。
「俺が、自分で決めたんだ。さっきも言ったけど、帰らないよ。それに、あそこをあんたに滅ぼさせるわけにもいかない」
『そーよそーよ、この偽姉! さっさと人類領に引っ込みなさいな!』
【聖女】は悲しげに目を伏せる。
「…………そう、ですか。そこまで心を侵されてしまったのですね」
次の瞬間、周囲の木々が地面ごと吹き飛び、あたりが更地になる。
マリーが魔力を解放したのだ。
耐えられたのは、俺とミカだけ。
「六英雄が一、【聖女】マリー。この名に懸けて、レインちゃんの心を浄化してみせましょう。あと聖剣さま、貴方はレインちゃんに不適格なので、折ります」
『ほんとメチャクチャねこいつ……!? あ、あたしがあんたなんかに折られるわけないし!』
「……同じく【勇者】レイン。楽しいヒモ生活を続けるために、あんたを倒す。あと、こいつ以上に俺に適した剣はないよ」
『レイン……!』
「ひ、ヒモ……!? い、一体どういうことなのです……!?」
……余計なことを言ったかもしれない。
30000ポイント突破ありがとうございます……!
ひとまずの区切りのいいところまで、もう少しといった感じです。
引き続き応援していただけますと、作品を続けていく上で励みになりますm(_ _)m