20◇学園編には突入しない(前)
「ふふふ、本当にレインさまなんですね~。覚えていますか~、わたしも昔エレノアちゃんと一緒に助けてもらった一人でして~」
女性は名をルートといった。
あと今分かるのは胸が大きくて柔らかいことといい匂いがすることと、力が強いことだ。
「……苦しい」
「ひゃあっ……もうレインさまったら、息が掛かってくすぐったいですよ~」
話を聞いてもらえるか?
『ちょっと離れなさいよ巨乳魔人! レインが窒息したらどうすんの!』
「あらっ。わたしったらごめんなさいね~」
ようやく解放された。
ルートはふわふわした茶髪の魔人だった。目は線のように細まり、笑みの形に弧を描いている。
二十代前半ほどに見える。
そういえばエレノアもレジーも魔人だったな……。
魔王のおっさんもそうだし、その子供であるフリップとミュリも当然魔人だ。
人との差は、目に見える限りだと角の有無。
みんながみんなというわけでもないようだが、魔人の中には特別魔力の高い者が生まれやすいのだろうか。
人間だと女の魔法使いの方がずっと多く、男は二割か三割いるかどうかといった感じだ。
【賢者】も【聖女】も女だしな。
「……思い出したよ。あの時、生贄にされる寸前だった子だろ」
「! そうなんです! レインさまのご登場があと数秒でも遅かったら死んでいたわけで~。まさしく運命ですよね~」
『奇跡とか幸運とか言うんじゃないの』
「運命ですよ~」
そう言いながら、ルートは俺の腕を手にとった。
「……あー、ルート先生? でいいか? 今日はよろしく」
「まぁ! まぁまぁまぁ! 『ルート先生』だなんてそんな恐れ多いですけれど~……そういうのもいいかもしれませんね?」
「それで……教師と生徒が手を組むのって普通なのか?」
「そういうことも時にはあると思いますよ~?」
「ありませんよ、ルート先生」
フリップが呆れたように口を挟む。
「あらフリップくん。この度は素晴らしい功績でしたね。成績はオールAにしておくので安心してくださいな~」
「やめてください! そのような手段で評価に手を加えるなどあってはならないことです!」
「冗談ですよ~」
「くっ、たちが悪い……」
どうやら彼女は自由で掴みどころのない性格らしい。
フリップは真面目なので微妙に相性が悪そうだ。
俺たちは奇異の視線を向けられながら教室へ向かった。
机と椅子がおそらく生徒の人数分並んだ、そこそこ広い部屋だ。
一度学院長のいる部屋に寄ったからか、俺とルートが入った頃にはもう席はほとんど埋まっていた。
学院長室に行く前に一旦別れたフリップもいる。
どうやら学院内では身分も関係ないらしい。
そういえばルートもくん付けで呼んでいたもんな。
生徒はみな平等ということか。
「はいみなさんおはようございます~。今日は【勇者】のレインくんが一日だけ学院の生徒となります~。ぱちぱち~。みなさん仲良くしてあげてくださいね~。放課後はレインくんが魔法を教えてくれるそうなので、希望者は残ること~」
うんうん。さっきまでと違い、俺のこともくん付けになった。
五年ぶりの再会に高まっただけで、普段はしっかりしているのだろう。
生徒は平等という学院の理念にも忠実――
「もし無礼があったりしたら該当生徒は退学処分とするので気をつけて~」
――じゃなかった!
これはあれだ、職権乱用とかいうやつだ。
めちゃくちゃ一人の生徒を贔屓してしまっている。
「もうみなさん、今のは笑うところですよ~?」
どうやら冗談のようだった。
そうだよな、そうだと思った。
「えぇと、レインです。一日だけだけど、よろしく」
「それではレインくんの席は~っと、こちらですね~」
そう言って、ルートは教壇の横に椅子を置いた。
「先生、みんなと同じように座りたいです」
「え~? 大丈夫ですか? 寂しいと思うんですよ~ ――先生が」
それは知りません。
その後なんとか説得し、席はフリップの隣となった。
みんなの間を通って最後列に向かう――途中で、とある生徒が足を出してきた。
普通の人間なら引っかかって転んでしまうようなタイミングだ。
――こ、これは、洗礼!
意味はまったく分からないが、傭兵団でも見られる通過儀礼のようなもの。
あちらは急に殴りかかったりなど内容が過激だったりするが、これへの対応次第で最初の立ち位置が決まるのだ。
実力を見定めるものと考えれば、無意味ではないのかもしれない。
他の方法で確かめろよと思うが、そこは集団それぞれのやり方というものがあるのだろう。
別に引っかかってすっ転ぶ分には構わないが……それだと【勇者】が侮られる。
そのこと自体も構わないが、それによってわざわざ人間である俺を食客に迎え入れた魔王軍や、俺を五年前から慕うという七人の印象まで悪くなってしまうのだとしたら、よくない。
あんな雑魚を厚遇してんのかよ、こんなやつにずっと感謝してたのかあの七人……みたいな。
――じゃあ避けるか?
いや、回避の必要があったなどと捉えられるか?
くっ、かくなる上は――済まんクラスメイトの少年、諦めてくれ。
俺はそのまま足を進めた。
傍目にはゆっくりと足を前に出しただけに思えるだろう。
しかし俺の足は、引っかけようと出された少年の足を圧し折り何事もなく歩みを続けた。
「――――ッ!? がぁッ……!!」
若干ニヤけていた足の主は起こったことが理解出来ないとばかりに目を見開いた後、自分を襲う痛みに叫ぶ。
だが、すぐにそれも収まった。
「どうした?」
と尋ねると同時に、治癒魔法で彼の骨折を治したからだ。
「お前の足を踏んでしまったりしただろうか?」
「……! い、いやっ……なんでもない」
「そうか。改めて、今日はよろしく」
「あ、あぁ……」
少年は目も合わせてくれない。
果たしてこれで正解なのだろうか。
学校は初めてなのでよく分からないのだ。
「……調子に乗っちゃって」
という声がどこからか聞こえた気がしたが、まぁいいか。
フリップの横に座って彼を見ると、苦笑していた。
「何か間違ったか?」
「いや、過激だけど穏便でもあって、妙な感じだ」
足は折ったが最終的に怪我人はなし。フリップに言わせれば過激だけど穏便、か。
「普通はあぁいう時、どう対処するんだ?」
「それが中々難しくてね、悲しいことに正解らしい正解はないんだ」
「むちゃくちゃじゃないか」
それとも学校は攻撃したもん勝ちなのだろうか?
なんだそれ、魔界か?
「彼には後で注意しておくよ。僕が言うまでもなく……ルート先生が何かしそうだが」
見れば、何かが弾ける音のあとに先程の少年が机の上に倒れた。
彼の周囲には白い粉が舞っている。
「もう、居眠りなんていけませんね~。いい成績がとれませんよ~?」
ルートの手にあるチョークと少年の気絶に関係がありそうな感じがするが、触れるのはやめておく。
さっきの調子に乗る云々の発言者が、どこからともなく高速で飛んできたチョークを指の間で挟んで受け止め、舌打ちしながら床に捨てているが、それにも触れないでおく。
「学生って、思ったより大変かもしれないな……」
『安心なさい、最悪あたしを振るえばいいわ』
そんなことをしたら生徒が死んでしまうじゃないか。




