生きる
私たちは生きたいと願う生き物かもしれない、
そして家族がいるなら、長生きしてほしいと願う生き物なのかもしれない。
平均寿命が延びて、超高齢化社会となり、医療費や痴呆の問題、
面倒を見る家族の負担の問題があとを絶たない。
長生きしたいと願う人とそうでない人がいる。
人々が長生きしたいと願った結果、今のこの超高齢化社会を生んだ。
医師に「助けて下さい」とせがみ、医師は正義をもって助けたいと思う。
医学はどんどん間違った方向に発展して、人が本来持っている治癒力を生かすことを忘れ
手術や薬や放射線で治療することを当たり前の世の中としてしまった。
その結果、人の身体も薬に依存する身体に変化してしまい、即医者を頼り
自分の力で治そうとはしないという選択肢を選ぶ人が多くなった。
「それでも生きたいですか?」ということだ。身体が自由に動かなくなって
本来なら、寿命を全うしているはずなのに、生かされる。
その生き方は、自分が本当に選んだ生きかたなのですか?ということだ
美しい時に、美しいまま死ねる方が私は、幸せだと思う。
それは人それぞれの価値観の違いだから、長く生きたいという人がそれを
望むことを否定はしない。
でもそれで本当に幸せなのかということだ
家の母は、腰椎圧迫骨折で手術をして以来、寝たきりになった。
リハビリをしても、なかなか歩けない。
手術前に医師は、「歩けるようになる」と母に言ったそうだ
腰痛が激しくなって、家で1日中、寝ていることが多くなり
痛みをとるために手術を選択した。医者がそう言ったからだ
「歩ける」という言葉を信じて、母は痛みをとりたくて、また自由に
歩けるようになりたくて、手術を選んだ。
そして今は、手術をしたことを後悔している。
医者のせいにして、その場所から立ち直れない
歩きたい、でももう歩けないという思いとの闘いの中
父に介護をしてもらい、不自由な身体と、やるせない精神状態の中
毎日を生きている。生きたくないのに
私は何度も、母に言った。「手術を選んだのはお母さんだ」と
だから、強い意志を持って、歩けるようにリハビリをするしかないと
足が動かないわけじゃないのだから
でも、母の中での葛藤は日々ある
「なんで、こんなになってしまったのか」その思いから逃れることはできない
私のお客様で、頚椎を骨折した方がいる、年齢は80歳だ
その人の施術をして、しばらくしてから、退院された
その人は、歩いている、医者には、「半身不随になるかも」と家族が言われていた
のにも関わらず、
私の施術のお陰ではない、その人の力だ。「絶対に歩く」という強い意志
それが相乗効果を生んで、私の施術は生きてくる
母にももちろん、施術はしていた、施術後は、とても痛みが楽になると
言っていた母、もうそのころは薬も効かない状態だった。
毎日施術をすることが、私にはできなかった、時間的に・・・
それでも、母はきっと手術を選んだだろう。
娘の言うことではなく、医者を信じて
どんな人生を歩もうと、それはすべて自分が選んでいること
自分自身が決めていること、今ある姿は、自分が選択した結果に過ぎない
でも人はそうは、思えない、悪いことは誰かのせいにして、何かのせいにして
生きたい動物だ。それは結局自分自身を苦しめることになる。
そのことに気付いていない人の方が多いけど
生まれたら、必ず死ぬ。そこからは、逃れられない。
だからこそ、どう生きるのかという事を、日々問われるのだ。
人生は常にえらんでいる。自分自身で、
今日の洋服、朝食、出勤の為の電車、いつも同じ電車に
乗れるとは、限らない昨今。
どのエレベーターに乗り、ランチはどうする?
仕事を、今日中に終わらせるのか、残業するのか?
帰りはどうするのか?
友達と飲んで帰るのか、はたまたデートか
毎日、毎秒、選んで生きている。
何を選択するかで、人生は大きく変わる。
そして、選択した事柄を、後悔する事も多々ある。
何故あの時、あっちを選ばなかったのか?
そんな事は、何度もある。
後悔してもまた、同じように、選択ミスを
する事もしばしばしある。
それでも学習せずに、同じ事を繰り返しながら
少しずつ、成長していく。
そうやって人生を生き抜く。
そして死ぬ。
何故生まれ、何故生きるのか
生きるとは何か?
幸せとは何か?
長生きを幸せと感じる人もいるだろうし
短くても、自身が成し遂げたい事を成し遂げられたら
幸せと感じ、後悔なく死ぬ事が出来る人もいるだろう
人の価値観はそれぞれだけど
生きるとは何かという所が理解出来ていないと
生きる意味さえ分からずに生きていると、
人生は無意味に思えてくる。
生まれて物心がついて、保育園やら幼稚園やらに通い
小学生になり、中学生になる。
その頃は概ね、何故勉強しなければ、ならないのかという
事が疑問になる。
ただ単に、勉強したくないからという理由もあるけれど
その疑問は正しいようにも思える。
義務教育を受ける理由や、高校生になる理由
必ず理由がある
高校生になる頃には、自分で高校を選択していく事になり
その後の進路は自分で決めていくことが多い
中には、親に決められてしまう人もいるけれど
それさえも、自身が決められる事を許しているから
そうなるのだ。
そうやって進路を決めて、就職も決めて、恋愛をして
相手を選ぶのも自身だ。
でもよく運命の糸などと言ったりする。
そんな時だけは運命だなんて言ったりするのが
人間だけど、
元々、決まっていたこと。
自身がこの世に生まれる前に決めていた事
どの親を選び、どのように生きるか
だからこの世に偶然は無いのだ
死ぬ事が元々決まっているように、いつ死ぬかも
自身で決めてきて生まれてきている
ただ、母のように、手術をするかしないかは
自由選択だ。
手術をしたから死ぬというわけででもないし
それは本人が決めてきた寿命で変わる。
生きる、何故生きるのかを理解していれば
死ぬ事も怖くない、人は魂の存在である事
再生をしているという事を理解していれば
死を恐れる事は無い。
長く生きたいというのは、死ぬ事が怖いと思っているから
死んだら終わり、という概念があるから
死んでも終わらない、魂は永遠にある
二度と人間として生まれ変わらない人もいる
でもその人の魂も、宇宙には浮遊しているのだ。
再生の論理が分かっていれば、死を恐れることはなくなる。
むしろ生きているほうが苦しい
痛みや苦しみを感じなければならないからだ
死んでしまえば、痛みを苦しみもなくなる
ただ自殺はダメだ。
それは死んでから苦しむ事になるから
自身で決めた寿命を全うしないのはルール違反だから
苦しくなる、次に生まれた時にも
同じ苦しみを味わって精算しなければならなくなるのだ。
よく生かされているなどと言ったりするが
それは比喩にすぎない。
自身で決めた寿命までは、なんとしても
生きなければならないように出来ているのだ。
一つの人生で何を成し遂げ、何を使命とするのかは
宇宙に浮遊している時に決める。
前世の反省を活かすのだ。
前世で成し遂げられなかった事を今度こそは成し遂げようと
意気込んで生まれてくる人もいるのだ。
そのシナリオは自我では思いだせない。
魂に刻まれているから
だから時々夢を見たり、なんとなく予感がしたり
理由もなく惹かれていくような事は自身の魂からの
メッセージだったりするのだ。
第六感などと言ったりもする
恋だって、理由もなく好きになる
それはその人と恋に落ちるという事を決めてきた
から、そうなるのだ。
前世でも縁があって、今世では結ばれる運命だとか
今世では不倫関係になってしまうとか、
人の道に外れるなんていう事は宇宙の法則では
関係ない、たとえ不倫でも、真に愛しあっている事もある
結婚という紙の形とか、時間という概念は宇宙には無い
今世の生き方を知らず知らずに生きている。
無意識に選んでいる。
それは選ばされていることもある。
生きて生きて生き抜く事が使命でもある
だから死ねる時まで、生き抜くしかない
それでも価値観が少しズレている今の時代
それを省みて、霊的な視点に返らなければならない
物質だけを求めて、幸せはお金や物にあると
それだけを求めてきた結果の今の状態
それであなたは本当に幸せですか?
勿論、霊的価値観に目覚めている人も沢山いるけど
まだまだ少ない
真実は何かを知っている人がまだまだ少ない。
真実は何か?
それは私達は何物で、何故生きているのかを知るという事だ
それが分かれば、人生は変わってくる。本当の意味で楽に
生きられ、幸せに生きられる。
長生きにこだわらず、お金や物にしがみつかず
日々、自分自身と向かい合い、自分自身を大切にして
生きることが出来る。
そこに至っても、まだ死は訪れない
まだまだ修業とでも言わんばかりに、生かされたりもする。
ここで言う生かされるというのは、自身の魂が決めた事を
自身の魂によって生かされるという意味だ。
私達は、何も恐れず、ただ委ねればいい。
死を恐れず、ただ日々に感謝して、今日やるべき事をやり
感謝して眠ればいい。
明日は無いかもしれないのだから
だから今を、大事に生きるのだ。