7、リシャールとカレー
「お肉に玉ねぎ、にんじんとじゃがいも……」
(この顔ぶれが揃っているのなら、リデロの好きなあれが出来るわね)
メニューを伝えるまでもなく、匂いだけで喜ぶリデロの顔が浮かぶ。
(まだ市場には流通はさせていないけれど、お客様の反応を見ることも出来る。メニューは決まりね)
「決めました。今日はカレーを作ろうと思います」
「カレー、ですか?」
「リシャールさんも聞いたことはありませんか?」
始めて聞いたというようなリシャールの反応にカルミアは落胆していた。博識なアレクシーネの校長だからと、どこかで勝手に期待していたのかもしれない。
不思議なことに、カルミアは何故自分がカレーという料理を知っているのかがわからない。
カルミア以上に博識な両親も、同じ船に乗る仲間たちも。時には仕事で訪れた異国の人間に訊ねたこともあるが、誰に聞いてもそんな料理は知らないと言われてしまった。
(でも私は確かにカレーという料理が存在して、どうやって作ればいいのか手順も知っていた。美味しいことも理解しているから、どこかで食べたことがあるはずなのよね)
自分はいったいどこでカレーを食べたのか。いくら考えても思い出すことは出来ず、もどかしさばかりが募っていく。
「カルミアさん?」
リシャールの呼びかけでカルミアは記憶巡りを中断する。作り手が悩んでいては食べてくれる人にも不安を与えてしまうだろう。
「すみません、お待たせして。すぐに作りますね」
(きっと私は前世で料理の天才だった。そういうことにしておきましょう)
無理やり自分を納得させたカルミアは馴染みのエプロンを纏う。早く完成させなければ空腹に絶えかねたリデロあたりが乗り込んでくるかもしれない。
ところがカルミアはまたもリシャールの申し出に驚かされることになる。
「私に手伝えることはありませんか?」
「お客様にそんな」
「私が手伝いたいんです」
やんわりとした物言いではあるが、譲らないという強い意思も感じさせる。何度も言わせては逆に申し訳ないだろうと考えた結果、カルミアは了承することにした。
「では皮むきと、野菜を切るのを手伝ってもらえますか? 量が多いので、結構時間がかかるんです」
「お任せください」
カルミアは保冷庫から運んできた野菜を広げた。
三百年前は水を調達することにも苦労したが、現在では魔法の普及と技術の発達により、手をかざせば蛇口から簡単に水が流れるようになっている。
ジャケットを脱ぎ、腕まくりをしたリシャールも野菜を洗い始めた。
(もう一着エプロンを用意しておくべきだったわね)
船員たちはエプロンを着て調理場に立つことがないためエプロンはカルミア専用となっていた。しかし次からはもしもの時に備えてもう一着積んでおくことも考えておこう。
そんなことを考えながら、皮をむくリシャールの隣でカルミアは米の準備を始めた。カレーには白いご飯が欠かせないのだ。
あらかじめ浸しておいた米の水を切って鍋に移す。水を加えて火にかけると、リシャールはカルミアの行動に目を見張った。
「コンロに蓄えてある魔法具の力は使わないのですか?」
水と同じように、コンロは予め魔法具に込められた魔力が燃料となり火を起こす。しかしカルミアは自らの力で火を放ち、それも一定の加減を保っている。
リシャールの疑問に対してカルミアの答えは単純なものだった。
「節約です!」
蓄えられた魔力は使えば減っていくもので、尽きれば当然補充しなければならない。船という限られた空間においては節約するに越したことはないだろう。自分の魔力で足りのならそれが一番だ。
「火加減も、先ほどから一定に保たれていますね」
「温度が変わっていては美味しいものが出来ないんですよ」
「しかし、こうも自然に火を生み出すとは……」
カルミアにとっては何気ない行動で、船員たちにも見慣れた光景ではあるが、リシャールが驚くのも無理はない。
火を生み出すことは高度な魔法であり、一定に保つにことも難しい。コンロのような限られた範囲で、鍋を温めるためだけに使うとなれば、なおさら繊細な技術が必要になるだろう。
いずれも訓練が必要なものであり、それを補うために技術が進歩した。人は魔力を持って生まれていても、コントロール出来るかはその人の努力次第だ。そのために各地に魔法教育の場が存在している。
「アレクシーネの生徒とはいえ、ここまでの技量は……。リデロさんが我が校の生徒にも引けを取らないと話していましたが、本当のようですね」
「褒めすぎです。私なんて」
「とんでもないことですよ。ここまでの魔法を習得されるまでには大変な苦労が伴ったはずです」
教育者だけあってリシャールは鋭かった。
(そうね。何度も失敗して、その度に悔しい思いをしたわ。でも、いつか私を馬鹿にしたリデロをぎゃふんと言わせてやるって、特訓を重ねたのよね)
何も出来ないお嬢様。
そう言われることが悔しくてたまらなかった。
(それなら私は何でも出来る魔女になって驚かせてやるって、そう誓ったのよね)
航海において水や火は貴重なものだ。風が止めば船は速度を失い、嵐が訪れれば為す術がない。しかし、それらをたった一人で解決してしまうのが優れた魔法使いの存在だ。
幸いなことにカルミアには魔法の才能があった。それも日々の船旅で訓練を重ね、繊細な魔法も大規模な攻撃魔法も得意となっている。
そんなカルミアの努力をリシャールは即座に見抜き賛辞を贈った。
けれど幼い頃の失敗談を知られたくないカルミアは何でもないと笑う。身体に染みついた年上への対応か、弱さをさらけ出すことを拒んでいるようだ。
「船旅って、結構暇なんですよ。私はその時間を使って、人よりちょっとだけ練習時間が多かっただけなんです。船のみんなが頑張ってくれるのなら、私だってみんなが誇れるような立派な船長になりたくて」
リシャールがその通りだというように頷いてくれる。あまりにも真剣に話を聞いてくれるので、自分で言っておきながら次第に気恥ずかしさが生まれてしまった。
「あの! みんなお腹をすかせていると思うので続きを!」
改めて褒められると恥ずかしいもので、カルミアは早々と調理モードへ切り替える。
カルミアもリシャールを手伝って皮をむき、野菜を刻んでいく。
リシャールにはカルミアほどの速度はないが、正確な動きで作業を進めていた。
「玉ねぎはまず半分に切ってから、くし切りにしましょう。じゃがいもも半分に切って、食べやすい大きさに切ります。じゃがいもは変色しやすいので、水につけておきますね。にんじんも食べやすい大きさに切りましょう」
「随分と手際がいいですね。誰かに習ったのですか?」
「そうですか? 独学なのであまり誇れるものではありませんが、そう言ってもらえると嬉しいです」
「昔から料理を?」
「子どものころからですね。昔はよく、危ないから調理場には立つなと怒られていました」
「カルミアさんが?」
「これでも一応ラクレットの娘なので。普通は料理なんてしませんよね。それなのに私、料理がしたいと言って周りを困らせてばかりいたんです。大人たちの目を盗んでは調理場に忍び込んでいた気がします」
「随分とお転婆な幼少期ですね」
「あはは……」
誤魔化すためにもカルミアは次の作業へと移った。
鍋に油を入れ、切った材料を炒めていく。
「肉に焼き色がついて、玉ねぎがしんなりするくらいまで炒めます。ここに水を加えて煮込むんですよ」
リシャールは時には頷きながら熱心にカルミアの話を聞いていた。
「ここで秘密兵器の登場です!」
そう言ってカルミアが自慢気に取り出したのは茶色い塊だ。
「それは……?」
クッキーほどの大きさに砕かれた塊は色合いからチョコレートのようにも見える。しかし質感は粉のようでもあり、リシャールは怪訝そうに見つめていた。初めて目にするのなら当然の反応だろう。
「これは、入れるとたちまちカレーが完成する魔法のもとなんです!」
「それは素晴らしい!」
パチパチと拍手を贈り、自分のテンションに付き合ってくれたリシャールには感謝したい。
「鍋に入れてとかせば手軽にカレーが作れるんです」
リシャールが興味深そうに鍋を覗きこむ。
「先ほどまで透明だった水が茶色く! それにこれは、香辛料の香りでしょうか?」
「はい。詳しくは企業秘密ですが、私が調合したスパイスが入っています」
「企業秘密ということは、売り出す予定があるのですか?」
「先日立ち寄った国で良いスパイスと出会えまして、試しに作ってみたらリデロたちにも好評なので売り出してみようかと。そのためにもスパイスの配合を研究しているところなんです。これは初めてでも食べやすい味付けにしてありますよ。あとはとろみがつくまで煮込めば完成です」
次第にとろみがついていく様子をリシャールは見逃すまいと見守っていた。
「不思議ですね。魔法も使っていないのに……完成が楽しみですね」
相変わらずリシャールの姿は調理場には不釣り合いではあるが、カレーの完成を楽しみにしてくれる無邪気さは船員たちと変わらないものだった。
(リデロたちも初めてカレーを食べた時ははしゃいでいたわよね)
始めは茶色い液体を警戒しながら。そして一口食べればたちまち虜になっていた。
別名リシャール初めてのカレー体験。
さて、お味の方は……
続きは20時に更新予定です。