61、お粥をめぐって
リシャールの言葉はカルミアにとって泣きたくなるほどの喜びを与える。けれど涙は似合わない、カルミアは笑顔で向き合った。
「ではさっそく……」
「それはだめです!」
「はい?」
まさか断られるとは思ってもみなかったリシャールは唖然とし、カルミアの表情を窺った。どうやら怒っているというわけではなさそうだ。
「待って下さい、ちょっとそれは、あの、心の準備が!」
「心の準備?」
「リシャールさんがいけないんですよ! リシャールさんがあの人だって知って、急に……今までは平気だったんです。でも、せっかくならこんな、急いで作ったものじゃなくて、ちゃんとしたものを食べてほしいという気持ちがあると言いますか……少し時間を下さい。作り直してきます!」
踵を返して調理にかかろうとしたカルミアだが、リシャールに手を掴まれたことで逃げ場はなくなった。中途半端に立ち尽くしたまま、情けない声を上げてしまう。
「な、なんですか!?」
「作り直す必要などありません。私はあれが食べたいのです。カルミアさんが私のために作って下さったものは、あますことなく堪能したい」
うっとりと告げられたカルミアはすかさず思った。
「重くないですか!?」
カルミアの料理へ向けられている感情が重すぎる。
しかしリシャールはしれっと答えるのだ。
「おそらく重ねた年月の分、愛が重いのでしょう」
「あ、愛って……そんな、何度も言わないで下さい!」
「いいえ、何度でも言わせて下さい。危うく伝え損ねる所でしたから」
触れていた手に力が籠められる。もう逃がさないと言われているようで、リシャールなりに黙って学園を去ったことを根に持っているのかもしれない。
「あ、あれは……」
けれどカルミアにはカルミアなりの理由があったのだ。カルミアは隠していたはずの心を伝えようとした。
「リシャールさんの顔をみたら決心が鈍ると思ったんです。私はラクレット家の娘。それなのに学園に残りたいなんて、身勝手なことを言い出しそうになる自分を否定していました」
期間限定のはずだった。ラクレット家の利益になるからと引き受けたはずだった。
それなのに、心のどこかではここに残りたいと願う自分がいる。そんな自分に驚かされ、必死に押し隠していた。けれどリシャールの眼差しの前ではもう隠しておくことは出来そうにない。
「父も、リデロたちだって、こんな私の願いを知ったら呆れてしまう……」
いつだってラクレット家の人間として胸を張っていたかった。それが道に迷うなんてらしくない。カルミアは不甲斐なさに俯いていた。
そんなカルミアにリシャールは優しく声を掛ける。
「心配は無用です。お父様は許して下さっていますよ」
「そうですよね、父も……許すってなんですか!?」
あまりにも自然と父という単語を出されたため、あやうく素通りするところである。
「大切な娘さんをお預かりさせていただくのですから、きちんと筋を通すのが道理でしょう。貴女という人を知り、ともに過ごすうち、カルミアさんがあの日の少女であろうとなかろうと愛するようになりました。ですので勝手ながら、ご両親に挨拶に伺わせていただきました」
「何やってるんですか!?」
本当に何をやっているのだろう。
リシャールに騙される形で学園へやって来て、しかも本人は父に挨拶を済ませているなど、どこまでリシャールの掌の上にいたのか。
「リデロさんたちも応援して下さっています」
「リデロ!?」
慌ただしさに忘れていたが、カルミアは自分がされた仕打ちを思い出した。
「そうよ、リデロ……て、もしかして私が置き去りにされたのって……」
「はい、私がお願いしました。船に向かったと聞いて、カルミアさんを引き止めてほしいと」
足止めが難しいと判断したリデロたちは物理的に足を止めさせる戦法を使ったようだ。
「わ、私……私は……」
もはや何を心配していたのかわからなくなってきた。カルミアは気持ちを切り替えるためにも、自らからその提案をする。
「食事にしましょうか、リシャールさん」
「はい。喜んで」
彼の口からその言葉を聞けるのも随分と久しぶりだった。しかしリシャールはさらに言葉を重ねる。
「安心して下さい。私はカルミアさんが作って下さったものでしたら、どんなものでも美味しく食べられる自信がありますよ」
(それは、どうなのかしら……)
根負けしたカルミアは準備のために席を離れる。
するりとリシャールの手が離れ、彼はベッドからカルミアの動向を見守っていた。
お粥をベッド横のテーブルに置いたカルミアは、食べやすいようにとスプーンを差し出す。しかしここでも衝撃の一言がカルミアを襲った。
「食べさせてはいただけないのですか?」
「はいっ!?」
そんな風に、当然のように言わないでほしい。こちらは心臓が張り裂けそうなほど驚いているのだ。
「これでも病人なもので」
リシャールはわざとらしくふらついてみせるが、カルミアの反応を見て楽しんでいるようにしか思えなかった。
(リシャールさんてこんな人だった!?)
ゲームでは冷酷に。ここでは大人の男性として接していたはずだ。それが告白されてからというもの、遠慮がなくなったように思う。
「少しで良いですから、ね?」
首を傾げて下から見上げてくるのは狡い。年上の男性でありながら、弱っているような仕草は卑怯だ。助けてあげなければという良心が刺激されている。
カルミアは恨めしい思いでリシャールのお願い攻撃を受けていた。