58、物語の真相へ向けて
「どうすれば!? これどうするの!?」
先ほどまでは寝込んでいた人である。激しい衝撃を与えるべきではないだろう。むやみに動けず、どうしたものかと途方に暮れていると、頼もしい助っ人が現れた。
「カルミアー!」
どこからともなく聞こえてきたのはオランヌの声だった。
「はっ、はあっ――っ、大丈夫、じゃないわねえ」
オランヌは荒い呼吸を整えながら、後半はこうなることがわかっていたかのように呆れていた。
「オランヌ、リシャールさんが大変なの!」
「そうみたいね」
呆れ顔から一転、オランヌはカルミアの前で両手を合わせる。
「ごめんカルミア! あたしがこの人に余計なことを言ったばっかりに!」
「余計な事?」
「カルミアはあんたに愛想をつかして出ていった。二度と会いたくないって話したら真に受けちゃって! 止める間もなく魔法ですっ飛んでいったのよ。勢い余ってカルミアのこと押し倒してたらどうしようかと思ったけど、まさか本当に押し倒しているなんて!」
「これオランヌのせいなんだ」
頼もしいと思っていた助っ人は元凶だ。
「お、怒らないで! 待って、言い訳をさせて! この人ってば、目が覚めるなりカルミアのことを聞くのよ。カルミアのことを傷つけておいて虫が良すぎるわ。それでちょっとくらい痛い目みせてあげようかなーって意地悪言っただけなの。そしたら目にもとまらぬ速さで起き上がって窓から飛び出していくんだもの! あー怖かった」
あの時の迫力といったらと、目撃者は語る。
「ほら、これでわかったでしょ? この人がどれだけカルミアを必要としているのか。大切に思っているのかもね」
オランヌの言葉にはただただ混乱するばかりであった。
「とにかく、この人を運びましょう! いつまでもカルミアを潰させてはおけないわ」
「賛成よ!」
オランヌがリシャールを担ぎ、カルミアは落ちていたトランクを拾う。非常事態ということで、馬車を使って学園へと戻った。
さすがにカルミアもこの状態のリシャールを放って船を追跡することは出来なかった。
倒れたリシャールと、それを担ぐオランヌ、そして旅立ったはずのカルミアが並ぶ姿は学園を騒がせた。
ひとまずリシャールは職員寮の部屋に担ぎ込まれ、ベッドに寝かせることになる。一緒に部屋へと押し込まれたカルミアは帰るタイミングを失っていた。
こうなっては目覚めるまでとことん付き合おう。どうせ船に置き去りにされた身だ。
(そうと決まれば、何か食べるものを作ろうかしら)
リシャールはしばらく何も食べていなかったので、食べやすいお粥を作ることにする。
カルミアはトランクに詰め込んでいた米と塩を取り出した。何故乙女の鞄からこれが飛び出すかといえば、寮生活で残った食材だ。リシャールの部屋には生活感がないため、鍋は近隣の教師に貸してもらった。
水と米を入れて煮ていく。栄養のため卵も入れたいが、生憎持ち合わせがないため、常備していた小魚をちりばめることにする。
「うっ……」
「リシャールさん!?」
リシャールの声が聞こえると、カルミアは慌てて駆け寄った。
「ははっ……」
力なく笑うリシャールは何が可笑しいのだろう。
「あの日とは逆ですね」
「あの日って……」
カルミアも直ぐに思い出していた。あれはカルミアが学園にやって来た日のことだ。
あの時倒れたのはカルミアで、運んだのはリシャールだった。ずいぶんと昔のことのように思えるが、まだ一月も経っていないとは信じられない。もうずいぶんと長くこの人と過ごした気がするのはゲームの記憶があるせいだろうか。
(違うわね。私がリシャールさんとの日々を楽しんでいたから……)
けれど終わりは訪れる。
「すみません。先ほどはお騒がせを、見苦しいところを見せてしまいましたね。ですが、カルミアさんが学園を去ると聞いて、いてもたってもいられなかたのです」
「どうしてですか」
追いかけて来る理由がわからない。
「黙って去ろうとしたことは謝ります。確かに雇い主に挨拶も無しに退職したことは申し訳ないと思っていますが、こちらも出航の時間が迫っていましたので」
本当は言い訳だ。リシャールの顔を見て、別れが辛くなるのが嫌だった。
でもそれを知られてしまったら、リシャールに迷惑をかけてしまう。だから顔を合わせずに去るのがお互いのためだと思った。
「安心して下さい、リシャールさん。あの事件を収束させたのはリシャールさんの功績です。今回のことでリシャールさんの信頼は高まり体制は万全のものとなりました。だからもう、私はこの学園に必要ないんです」
顔を見ていたら別れが惜しくなってしまう。判断が鈍ると思った。
(そんなことがあってはいけない。私はカルミア・ラクレットだから)
カルミアは自分の想いにも気付いている。だから直面する前に逃げ出してしまいたかったのだ。
(大丈夫。船に乗ればまたいつもの生活が待っている。きっと忘れられる。陸の綺麗な思い出で終らせることが出来る)
しかしリシャールは終止符を打とうとしたカルミアの感情を揺さぶった。
「ああ、そうでしたね。すべては私がまいた種……」
リシャールは頭が痛むのか額を押さえている。やはりまだ体調が悪いのだろうか。
「あの、まだ無理はしないほうが。安静にしていてください」
「わかりました。そのうち安静にしますから」
(そのうち……)
何もわかっていないと思う。それでもリシャールは言い募ろうとした。
「ですがその前に私の話を聞いて下さい」
リシャールが身を乗り出せば、間近に美しい顔が迫る。
「き、聞きます! 聞きますから、あの、ちょっと離れてからに!」
これまでリシャールはカルミアにとって穏やかな雰囲気を放つ人だった。そのはずが、強引な一面を見せられた気がする。リシャールのキャラがまた違って見えた。
ゲームでもなく、これまで目にしていた優し気な姿とも違う。それほどまでに真剣な眼差しで、一体何を騙ろうというのか。
「学園に脅威が迫っているという話ですが、あれは嘘です」
「え……う、嘘?」
何を言われているのかわからない。とっさに繰り返せば、しばらくしてその言葉が身体へと染み渡る。美しい顔という衝撃はいつしかどこかへ消えていた。
「あれはカルミアさんをひき止めるため、とっさについた嘘なのです」
「どういうことですか!?」
「船を下りて貴女との繋がりが途切れるのが嫌だったのです。もっと私のことを知ってほしいと、欲が出ました」
「あの、意味が……」
リシャールの眼差しは船上で交わした時のように真剣だ。今度はいったい何を伝えるつもりなのだろう。
「カルミアさん。どうか学園に残っては下さいませんか。私は貴女を手放したくないのです!」
熱烈な告白だった。しかしカルミアはもう間違えるものかと冷静に対処する。同じ過ちは繰り返さないと誓ったのだ。
「今度はどこに潜入させたいんですか?」
カルミアの答えにリシャールは自らの過ちに気づいたようだ。
「ああっ、私はまた! 違う、違うんです!」
くしゃりとリシャールが髪をかき上げる。
「いけませんね。カルミアさんを前にするとどうも余裕がなくなってしまう。学園に残ってほしいと言うのは口実で、ただそばにいてほしいのです」
余裕がないと言うように、確かにリシャールの態度には落ち着きがないように感じる。必死に言葉を探しているように見えた。
しかしカルミアは慎重に対処する。