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57、船がない!?

 アパートの次にカルミアが訪ねたのは街で異様なほどの列を形成する店だ。店内には収まりきらないほどの人が押しかけ、外では店員が列の誘導を行っている。

 改めて混み具合を目にしたカルミアは裏口から顔を出すことにした。カルミアに気付いた店長は、多忙にも関わらず仕事を抜けて挨拶に訪れた。


「ご無沙汰しております。オーナー」


「こんにちは。繁盛しているようね」


「オーナーのおかげです。速やかな商品手配、人員確保、いずれもオーナーが手配して下さらなければ、これほどのお客様にご満足していただくことが出来たかどうか。香水の需要がここまで高まるなんて、正直言って驚いています」


「みんな学園で起きた騒動を見たはずだから、宣伝にもなって多少は繁盛すると思っていたけど、ここまでの効果とは私も驚いているわ。有り難いことよね」


 カルミアが香水を使い竜を撃退したことはみなが目撃している。もちろんただの香水とは説明しているが、宣伝効果もあったのだろう。竜騒ぎの翌日から、カルミアがオーナーを勤める香水店は異様なまでの盛況ぶりを見せている。

 店長は疲労を感じさせない優雅な笑みで現状を報告した。


「ありったけの在庫を出せとリデロさんが現れた時には驚きましたが、怪我の功名と言うのでしょうか。未曽有の危機を救ったアイテムとして王家への献上も決まり、生産が追い付かないとは驚きました」


 香水はおしゃれとして人々の生活に根強いているが、店に行列が出来たことはない。王家の名がさらに人々の興味を駆り立てたのだろう。


「それに王都では、現在お守りに香水を送るのが流行っているのそうですよ。恐ろしい竜を退けたことから、大切な人を守りたいという願いを込めて贈るのだとか」


「それは素敵な贈りものね」


 まさか王都の新しい文化を創造してしまうとは驚きだ。今後も力を入れて商品開発にあたりたい。

 ところでとカルミアは話を変える。もともと店を訪ねたのは彼の様子を見るためだった。


「彼の様子はどう?」


「とてもよく働いてくれています。会計は正確で、何より早い。急な採用のために商品知識はありませんが、これほどの混雑となればレジ専用の店員として最適です。さすがオーナーのご紹介ですね。これから休憩に入る予定なので、会っていかれては?」


 会計のすきを見てレジを抜けたロシュは懐かしい笑顔でカルミアの元を訪れた。


「カルミアさん!」


 ロシュは現在カルミアの経営する香水店で臨時職員として雇われている。それというのもあの場で項垂れるロシュにカルミアが働き先を紹介したことが始まりだった。


「こんにちは。仕事は順調みたいね」


「はい! しっかり働かせてもらってます。でも本当に、大忙しですね」


 ロシュは改めて裏側から見る景色に圧倒される。


「それにしても、カルミアさんがあのラクレット家の人だったなんて驚きましたよ」


「黙っていてごめんなさい。わけあって内緒にしていたの」


「驚きましたけど、色んなことに納得がいきました。カルミアさんはこれから港ですか?」


「ええ。最後に店の様子が気になってね。ロシュにも会いたくて」


 ロシュとはこの店を紹介した時に退職について話していた。毎日のように仕事にあたるロシュとはもう話すことは難しいと思っていたのだ。


「ベルネさんたちにはもう会ったんですか?」


「ベルネさんにはここに来る前に会ってきたわ。食堂で上手くやっていたわよ。ドローナとは授業の前に話せたし、ロシュにも会いたくて」


「嬉しいです! でも、寂しいですね。僕、またカルミアさんと一緒に働けるって楽しみだったので……」


 しゅんとロシュの目尻が下がった。


「ありがとう。私も短い間だったけど、刺激的で……とても楽しかったわ。ロシュには本当にたくさん助けられた」


「僕は何も!」


「そんなことないわ。ロシュがいなかったらベルネさんと上手くいかなかったと思うのよね」


 最初のころを思い出してひとしきり笑いあう。ベルネが聞いていたら目をつり上げて怒りそうだ。けれど賑やかな空気はすぐに消えてしまう。


「なんだか、みんなばらばらになってしまったみたいですね」


 カルミアが言えなかった本音をロシュは簡単に口に出来てしまう。彼の素直さが羨ましかった。

 憧れるだけではなく、自分もほんの少し素直になってみようか。


「私も寂しいわ。こんなにも大切な場所になるなんて思わなかったから」


 与えられた仕事のはずだった。それどころか最初は嘆いていたはずだ。それが今となっては空色の制服はカルミアの大好きな制服になった。

 これが永遠の別れではない。でもロシュの言うように、あの日と同じ学食は存在しない。どうしたってそこにカルミアの姿は存在しないのだから。

 いくら言葉を重ねても、ロシュの寂しそうな顔は最後までカルミアの心を揺らしていた。


 船へと近付くほど、カルミアには躊躇いが生まれていく。ずっと誰かに呼ばれているような気さえする始末だ。


(そんなはずはない。私はこれでいい……)


 まだ悪役令嬢であることを思い出す前、必死に自分へと生き方を言い聞かせていた時と同じだ。まるで他の生き方があるかのように思えてくる。


(考えたってしょうがない。船に乗れば忙しさに紛れて忘れてしまうわ)


 カルミアは慣れ親しんだ海の香りに険しくなっていた表情を改める。戻ってきた船長が笑顔でなければみんな心配するだろう。

 呼び止められるような後悔には、もう目を瞑ろう。ここが自分のあるべき場所だと、そう信じよう。

 カルミアの脳裏には愛する船と船員たちの姿が浮かんでいた。


「さあみんな! 船長の帰還よって船は!?」


 ところが現実は、船が忽然と姿を消していたのである。ここでカルミアの到着を待つようにと伝えたはずだ。


「船がない!?」


 カルミアは必死の形相で、作業をしていた人たちに問いかける。


「あの、ここに停泊していたラクレット家の船を知りませんか!?」


「その船ならちょっと前に出航したぜ」


「船長乗せ忘れてる!」


「なんか、えらい大慌てで出航してたなあ。なんでもお嬢が来る、お嬢が来るって、しきりに叫んでたよ。出航してからも魔法使いが総出になって速度を上げてたぞ」


「私、実は嫌われていたのかしら……いやいや、みんなを疑うなんてどうかしてるわ。どういうことよリデロ! いいわ。すぐに追いついて聞きだしてやる」


 ばきばきと指を鳴らしたカルミアは自身の周囲に風を起こす。

 地を蹴り、いざ空へと跳躍する。まさにその瞬間のことだった。


「待って、カルミア!」


 強い力で引き留められる。今、自分の腕を捕まえているのは誰だろう。


「リシャールさん!?」


 眠り続けていたはずだ。しかも何故ここにいるのか。混乱するカルミアだが、さらに大事件が起こる。

 そのままリシャールはカルミアの腕を引き、背後から抱きしめた。


「目が覚めたら貴女が学園を去ったと聞いて、急いで追ってきました」


 その証拠にリシャールの呼吸は荒い。


「え、あ、あの……」


 当然カルミアは混乱しているが、リシャールも取り乱しているように見える。

 さらりと銀色の髪が視界を霞め、頬にふれてくすぐったい。リシャールの吐息が頬に触れていた。

 ここで振り向けばどうなるだろう。カルミアの鼓動は高鳴るが、密着した状態では筒抜けなのではと急に焦りが湧いた。


「リシャールさん?」


 しかしリシャールからの反応は無い。

 気力が尽きたのか、背後の重みは増していた。


「リシャールさぁん!?」


 カルミアが呼びかけても返事はない。それどころか、どんどん重みが増していき、押しつぶされそうだ。


(もしかして意識がない!?)


 カルミアはリシャールを落とさないよう、ずるずると一緒にしゃがんでいく。力を失くしたリシャールを腕に抱え、港で途方に暮れていた。

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