55、学生向け物件も経営しています
カルミアは学園を訪ねて来た時と同じように大きなトランクを持ち上げる。しかし港へは向かわず、あるアパートを訪ねていた。
呼び鈴を鳴らすカルミアの手からはトランクが消え、その代わりとでもいうように小さな鍋を乗せたトレーを抱えている。
しばらくして扉から顔を出したレインは訪ねて来た人物を見るなり硬直した。
「こんにちは。お邪魔してもいい?」
「な、ど、どうしているんですか!?」
「聞いたわよ。自分にも責任があるって、オランヌに進言したそうね。自主謹慎と聞いたから、様子を見にきたの」
「だからって、なにもカルミアがこなくても……」
レインはぼそぼそとカルミアの来訪に抵抗していた。
「みんな仕事があって忙しいのよ。私? 私は学食が営業不可能になったから時間があります。お邪魔してもいいかしら? 差し入れもあるのよ!」
トレーを差し出せば怪訝そうな顔をされてしまう。やはり歓迎はされていないのだろう。しかしレインは諦めたように言った。
「駄目って言っても入ってくるんですよね」
「私、そんなに不躾に見える?」
困り顔で問いかければ視線を外されてしまった。
「不躾というか、横暴でした……私の知っているカルミアは」
なるほどと妙に納得してしまった。レインはカルミアをゲーム通りの悪役令嬢と思っていたのだ。ゲームのカルミアならばとっくに部屋へと押し入っているだろう。そういう横暴なキャラクターだった。
「でも、その……貴女がどうかは、わかりませんけど……」
レインはカルミアをゲームの登場人物ではなく、個人として見る努力を始めたらしい。その言葉を聞けただけで嬉しかった。
「私は友達の部屋には許可を取ってから入るわよ」
そう答えればレインは躊躇いながらも中に入れてくれた。
「そこに座って下さい」
レインは勉強机の椅子を指し、自分はベッドに腰かける。
部屋にある家具は机とベッドがほとんどをしめていて、クローゼットには制服が吊るされている。小さな本棚には隙間なく本が並び、整理の行き届いた部屋という印象だ。
「カルミアが来るなんて驚きました……。でもちょうど良かったのかもしれません。私も貴女には聴きたいことがありましたから」
「いいわよ。なんでも訊いて」
軽い口調で答え胸を叩く。しかしレインは表情を曇らせていた。
「どうして私のことを責めないんですか? そんな、友達みたいなノリで来ると思わなかったので、正直どうしていいか今も戸惑っています。私が何をしたのか、忘れたわけじゃないですよね?」
「もちろんよ。でもリシャールさんが貴女を許すのに、私がいつまでも怒っていたらおかしいと思うのよね。それに私、レインさんが悔やんでいることも、反省していることも知っているわ」
「お人好しですね」
薄い笑いは皮肉の表れだろうか。レインは自分が転生者だとばれてから、カルミアに対する言葉に遠慮がなくなったように思う。しかしカルミアは怯えられているよりもこちらの方が良いと感じていた。
「何笑ってるんですか」
「別に」
「だからお人好しだっていうんです。リシャールもカルミアも悪役の癖に……。でも、あの学園の人はみんなそうでしたね。謹慎するとは言いましたが、私が逃げ出すとは思わないんですか? 見張りの一人も付けないなんて」
「お人好しねえ。それはどうかしら? もちろん見張らせてもらっているわよ」
「嘘! そんな人どこにもいないじゃないですか!」
「このアパート、私のなの」
その瞬間、レインは意味がわからないと顔をしかめた。
「ここは私が経営している学生向け物件よ。レインさんのことはアパートの管理人に頼んで見張ってもらってる。今は食堂で知り合いも働いているから、何かあればすぐに報告してもらえることになっているわ」
よほど信じられなかったのか、真相を知ったレインはわなわなと震え始めていた。
「わ、私、敵の所有物件で生活していたの……? しかもご飯が美味しいとか、家具つきで便利とか、家賃が安いとか喜んでいたの!?」
「ご利用いただきありがとうございます」
これもカルミアが提案したラクレット家の事業の一つである。アパートは家具つきで、深夜まで営業している共同の食堂と、厨房を併設しているのが売りだ。この世界には初めてとなる奇抜なスタイルの貸し物件でありながら、毎年予約で満室になるほどの人気を見せている。
「う、嘘だ……」
「残念ながら本当のことよ。それより厨房で働いている知り合いに聞いたけど、あまりご飯を食べていないんですって? 無理にとは言わないけど、食事はしっかりとらないとね。今日もまだ食べていないみたいだし、厨房を借りて差し入れを作ってみたの」
「でも私……」
レインは最初から学食へ来ることを拒んでいたが、悪役令嬢の作る料理を食べることに抵抗を覚えていたのだろうか。となればまずは自分が先に食べることで毒が入っていないと証明したほうがいいだろう。そこまで想定してもなおカルミアはレインに食べもらうことを望んでいた。
「食べたがっていた物なら食べてくれるんじゃないかと思ってね。はいこれ、好きなんでしょう?」
カルミアが蓋を開けると湯気が立ち込め、懐かしい匂いが部屋に広がる。
「これ、味噌!?」
レインは驚愕に席を立つとカルミアが開けた鍋を覗きこむ。
優しく色のついたスープにはにんじんやじゃがいもといった野菜に、バラ肉が一緒に煮込まれていた。
「豚汁よ」
声もなく見つめるレインにカルミアは補足する。
「味噌汁もいいかと思ったんだけど、空腹の時は物足りなく感じるじゃない? これなら具もたっぷり入っているし、満足感もあるでしょう。ここに来る前には学園で個人的に振る舞ってみたんだけど、好評のようだし今後は学食でも食べられるように手配しておくわね」
「そうじゃなくて! どうして味噌がここにあるんですか!?」
「部下に頼んで用意させたの。レインさんに言われて、私も食べたくなっちゃった」
レインは土鍋の中身とカルミアを交互に見比べる。彼女の困惑の理由を察した上で、カルミアは悪戯が成功した気分だった。
「味噌なんて、この世界で見たことありません」
「市場には出回っていないけど、昔立ち寄った国で見たことがあってね。時々取り寄せてるの」
「取り寄せるって、そんな簡単に……」
この世界に通販というシステムはない。国外から品を取り寄せたいと願ったところでそれを叶えてくれる業者など存在しないのだ。個人がそれをおこなうことも難しい。しかしカルミアにはそれが出来てしまう。
「私、ラクレット家の娘だから」
「ラクレットって……あのラクレット!?」
「改めまして。カルミア・ラクレットよ。よろしくね」
「そんな設定聞いてない!」
「私だって聞いてないわよ」
「こんな、こんなことって……」
レインは現状についていくのがやっとのようで、押し寄せる真実の目まぐるしさに疲弊していた。そしてある可能性にたどり着く。
「ま、待って! 聞いてないって……まさかカルミアも?」
カルミアの口調から、レインも気付いたようだ。答えを急かされるように見つめられたカルミアは笑顔で言い放つ。
「そういうことよ。アレクシーネの魔法は徹夜でプレイした。私のゲーム史に刻まれた名作ね。けど、悪役令嬢だったことを思い出したのは最近よ」
「それが本当なら私、とんでもない誤解をして、いました……?」
「まあ、わりと」
その瞬間、レインは猛烈に頭を下げ始めた。
「ごめんなさい! カルミア、私、本当にごめんなさい。勝手に一人で誤解して、みんなに迷惑をかけて、リシャール……ううん。校長先生にも許されないことをした!」
「謝罪なら私はもういいわ。レインさんの気持ちはわかったもの。誤解が解けたならそれでいいのよ」
顔を上げたレインは泣き出す前のような表情に無理やり笑顔を浮かべていた。
「カルミアは、カルミアなんですね。貴女はゲームとは違った。私、もっとちゃんと、カルミアと話していれば良かったんですね」
すべての真実を知ったレインは腰が抜けたようにベッドへ舞い戻る。しかし長年の重責から解放されたのか、どこか晴れやかだった。