53、学食の崩壊(物理)
「今回のことは精霊の仕業だったのよ。カルミアとリシャールが身体を張って食い止めてくれたってわけ。リシャールはこの有り様だけどね」
「そうだったの!?」
オランヌは驚くが、カルミアもまた「そうだったの!?」と危うく口を滑らせるところだった。ドローナはリシャールが守ろうとしたものを察し、そのためのシナリオを用意してくれたのだ。
カルミアはとっさにドローナの手を掴んでいた。
「ドローナ!?」
「なあに?」
言いたいことも、カルミアの戸惑いの理由もわかっているくせに。きょとんと首を傾げるのは止めてほしい。
ドローナはカルミアだけに聞こえるように囁いた。
「私、嘘は言っていないわ。遅かれ早かれ、最近の人間たちの態度には苛立っていたのよ。そのうち王家にも精霊が殴り込みに行くんじゃない?」
「殴り込み!?」
「私たちの存在を蔑ろにするなってね。カルミアに出会わなかったら今頃城に乗り込んでいたと思うわ」
(確かにゲームのドローナは憤りを見せていたし、ベルネさんも人との距離を感じさせるような発言をしていたけど……)
「けどカルミアと出会えた。人間との間にあるのは距離ばかりじゃないみたい。だってカルミアは私のこと、とっても大切にしてくれているでしょう!?」
「え、ええ、もちろんよ」
ドローナはぎゅっとカルミアの手を握り返した。
「さてと、一緒にベルネの様子でも見に行きましょうか。多少はベルネも心配だしね」
リシャールをオランヌに任せると、ドローナはカルミアの身体を引き上げる。手を握られたまま、カルミアは礼拝堂から連れ出されていた。
その背後で、レインが声を張り上げる。
「カルミア! 私、もう逃げません。これからは自分の意志で世界を見つめます。物語に流されるのはやめるから、だから、本当にごめんなさい!」
深く頭を下げたままのレインに手を振ったところで気付かれないだろう。だからカルミアも負けじと声を張り上げた。
「レインさんなら出来ますよ!」
事件を経て成長したレインは、もうゲームの運命に囚われることはないだろう。いずれは立派な魔女となり国を支えていくはずだ。
レインの成長を喜びながら学食へ向かう途中、ロシュと合流を果たす。
「ロシュ! 良かった、無事だったのね」
「はい。カルミアさんの用意してくれた香水のおかげで順調に撃退出来することが出来ました! 今はお城から役人の方たちも駆けつけてくれて、指揮をとってくれています」
「そうだったの。私たちはこれから学食へ向かうところよ」
「僕もです。ベルネさんや学食のことが気になって」
「ベルネさんも無事みたいよ。ね、ドローナ」
「そうね……」
あれだけ自信満々に走り出していたはずが、明後日の方向を見て口元を引きつらせている。
不思議に思ったカルミアが口を開きかけた時、まるでこの世の終わりのような絶叫がこだまする。
「い、今の声、ベルネさん!?」
カルミアは走り出すが、背後ではドローナがやはりのんきに声をかけていた。
「あ、カルミア、急がなくてもあれは多分……」
多分、なんだろう。ベルネに何かあったのだろうか。いずれにしろ、尋常な叫びではなかった。ドローナに何を言われようと、無事な姿を見なければ安心は出来ない。
たどり着いた学食で、カルミアは信じられない光景を目にする。
「え……」
あるべき場所に学食は存在しなかった。
学食が建っていた場所はただの空き地と化している。無残に崩れ落ちた瓦礫の山が散乱し、それを前に崩れ落ちているのがベルネだった。
「あらあら、ついに全壊しちゃったのね」
「全壊!?」
ドローナはとっくに知っていたようだ。特に動揺することもなく、ショックのあまり抜け殻となったベルネを揺さぶっていた。
「もぉベルネ! いい加減元気出しなさいよ。あれだけ寄ってたかって総攻撃を受けたら学食の一つや二つ、倒壊するに決まっているじゃない!」
ドローナの呼び掛けにさえ反応はない。
「あたしの、あたしの城が……」
ひたすら同じ言葉を繰り返していすだけだ。
カルミアの背後ではもう一人、誰かが崩れ落ちる気配を感じた。
「僕、明日からどうすれば……」
明らかに営業は不可能である。職を失ったロシュが膝をついていた。
「ほらベルネ、早く立ちなさい! 私たちには仕事が残っているんだから」
仕事と聞いてカルミアは思わず手伝いを申し出る。
「何かやる事があるなら私も手伝うわ。こっちの仕事は、当分無理そうだから」
「心配してくれてありがとう。でも、これは私たちにしか出来ない仕事よ。気持ちだけで嬉しいわ。私のことはいいから、あの子をなんとかしてあげて?」
ドローナからも心配されるロシュの落ち込みようである。
ひらひらと片手を振りながら、もう一方の腕でドローナはベルネを引きずっていった。あの細い体のどこに力があるのか疑問である。
取り残されたカルミアは、ドローナの願いに応えることにする。そうでなくても放っておくことは出来ないだろう。
悲壮に暮れているロシュの肩を叩いた。
「もしも仕事を探しているのなら、紹介したい仕事があるんだけど」
カルミアには明日から忙しくなりそうな働き先の心当たりがあった。
その後、古代の危険生物が蔓延し、校長が倒れた学園には三日の臨時休校が言い渡された。
今回の事件はオランヌによって上位機関に報告され、事態の収束のために役人が派遣されている。
無論、唯一の目撃者であるカルミアは事情聴取を要求され、そのまま王城へと連行されていた。
いつの間にか、ドローナによって唯一の当事者とされていたのだ。一人は倒れているため、あの時目にしたものを語れるのはカルミアしかいない。
到着したカルミアが連れていかれたのは小さな部屋で、恭しくも扉が開かれると、なんと国王陛下が待ち構えていた。
そこでカルミアには新たな試練が与えられる。国家最高権力者の前で名前を名乗ることを求められたのだ。嘘はつけまい……。
「カルミア……ラクレットです」
その瞬間、室内には動揺が広がった。
何故ラクレットの令嬢が学食で働いて?
言葉はなくても伝わってくるものがある。こうなりたくないからこそ、身分を隠していたのだ。
「何故、ラクレット家の令嬢が学食で働いて?」
問われたからには答えなければならない。しかし学園の危機を公にするわけにもいかず、予め考えておいたシナリオを披露することにした。
「我がラクレット家は新たに食品事業を展開するため、独自にカレーという食品の開発に着手していました。そこで学食という場を借り実際に提供することで、現場の意見を集めていたのです」
「ご令嬢自ら?」
「食品事業は家庭内にとどまりません。今後は新たに学食の経営も視野に入れてみたいと思っていたところなのです。学園となれば歳が近い私の方が好都合。私はラクレット家の特別顧問として、事業拡大のために率先して市場調査にあたっていたのです。もちろん校長先生の許可は得ていますわ!」
「な、なるほど……」
カルミアは見事に周囲を納得させていた。
しかしこれによってカレーの存在は販売前に王家の知るところとなり、ラクレット家がそこまで重要視する品として興味を集めてしまう。よって早急に披露することを求められてしまった。