50、アレクシーネの声
アレクシーネ王立魔法学園には魔法学園らしく隠された部屋が存在する。資格のある者が礼拝堂のアレクシーネ像に触れると、たちまち地下へと転移する仕組みだ。
礼拝堂に着いたカルミアは息苦しいほどの霧に顔を顰める。
霧は少し扉を開ければ少しずつ外へと溢れていく。それは長い時間をかけて力を蓄え、ようやく一匹の竜となるだろう。ゲームのオープニングで主人公を襲う竜は一匹だった。
けれど現実は、それとは比べ物にならない数の竜が群れを成している。扉は開ききっていると考えるべきだろう。
(特定の人物でなければ閉められないわりに、開けられる人物の幅が広いっていうのは考えものよね。そこのところは偉大な魔女でもご先祖様でも物申したいところだわ)
アレクシーネが封じた邪悪なものは同じ心をもつ人間を求め、自身の一部とみなす。だからこそゲームのリシャールは扉を開くことが出来た。
しかしカルミアの出会ったリシャールは悪とはかけ離れた存在だ。心から学園を想い、優しく仕事熱心な人だった。おそらくレインの薬で心変わりが起きなければ開けることは叶わなかっただろう。
(ゲームのオープニングで竜を放つのはリシャールさんの役目。だからきっとこの先にいるのは……)
いくら邪悪なものたちが呼び掛けようと、地下に向かうことが許されるのはアレクシーネに許可された人間だけだ。
判別を下すのはアレクシーネの力の残滓であり、それは魂の生まれ変わりである乙女ゲームの主人公や、学園を託された校長といった人物だ。
(そしてもう一人、可能性があるとすれば……)
初めて学園を訪れた時、確かにカルミアはアレクシーネの声を聞いていた。
それから礼拝堂を訪れた時、誰かに呼ばれた気がしたのだ。
(あの時はゲームのやりすぎから聞こえた幻聴かと思ったけど)
生まれ変わりではない。学園を託された者ではない。けれどカルミアにはアレクシーネとの繋がりがある。
霧を掻き分けながらアレクシーネ像に触れたカルミアは清廉な力に包まれた。
(アレクシーネ様、私に語りかけていたんですか?)
遠くに聞こえていたはずの声はすぐそばにあった。
『ええ、私は貴女に呼びかけた。他でもない、私の愛しい子――その遠い子孫である貴女に。会いたかったわ、カルミア』
彼女の力に触れているからだろう。言葉にせずとも想いは伝わっていた。
(偉大なご先祖様に名前を呼ばれるなんて光栄ね)
『ああ、嬉しい。ようやく貴女に声が届いた。あの子は立派に成長したのね。こんなにも素敵な未来を繋げたのだから』
カルミアに語りかける声は力の残滓だ。過去に生きたアレクシーネの記憶が意識を再現させている。そうとわかっていても偉大な魔女の声を聴けば自然と背筋が伸びていた。
『ねえ、ドローナをありがとう。あの子を止めてくれて』
ゲームでのアレクシーネはドローナの犯した罪に心を痛めていたことを思い出す。
(私は何も……)
自分はただ引っ掻きまわしただけで感謝されるようなことはしていない。
しかしアレクシーネは言った。
『いいえ。貴女の言葉がドローナを変えた。過去に囚われているからこそ、私にはわかる。貴女が未来を変えたのよ。カルミアには未来を変える力がある。だからこそ私は貴女に呼びかけ待っていた。貴女が来てくれる日を』
(私、大切な人に会いに来たんです)
『ええ、彼は心を偽られて苦しんでいる。私では彼を止める事は出来なかった』
(助けたいんです)
『貴女なら出来るわ。無力な私と違って、貴女は現在を生きているのだから』
次第に声にはノイズがまざり遠ざかっていく。
『気をつけて、この先は霧が濃い……私は……介入することが、出来ないわ』
声が消えるとカルミアは洞窟のような場所に立っていた。
広い空間の奥には巨大な扉が見える。そこから溢れ出す邪悪な力は黒い霧として漂い、竜の形を得た者たちはカルミアを排除すべき敵とみなしている。
けれどカルミアはその人の姿を認めた瞬間、わき上がる喜びに笑顔を浮かべていた。
「会いに来ました、リシャールさん。一緒に帰りましょう」
「何故? 私は学園を去るように告げたはずですが」
冷酷なまでに言い放つリシャールは背後の扉を守るように立ちはだかる。
(まずはこの人をなんとかしないとね。私のレベル、大丈夫かな……)
もちろん普通に生きていく上でレベルなどという概念は存在しない。それでも甦るのはゲームでレベルが足りず、ラスボスリシャールに叩きのめされた苦い記憶である。
(私が負けたらどうなるか? それはまあ、いつかは主人公が何とかしてくれるんじゃない? ただし状況はこれより悪くなっているから、ここにたどり着くまでが大変ね。まずロクサーヌは竜の蔓延した国になって、人々は竜に怯えながら暮らすことになるでしょうね)
たちまちバッドエンドの完成である。
そうはさせまいとカルミアは平和的に会話から試みた。
「あのですね、いきなり解雇されても困るんです。学食はただでさえ人手不足なんですから、最低三カ月は前に言ってもらわないと」
不安を隠し、軽口を叩く。
(笑ってやる。私は憎しみに引きずられたりしない)
焦りや不安、負の感情を抱けば相手のペースに引きずられてしまう。
「知ったことではありません。立ち去らないと言うのなら力ずくで従わせるまてです」
「どうぞご自由に。もちろん私も反撃させていただきます」
カルミアの掌で魔法が生まれる。
リシャールもまた、静かに攻撃の体制を整えていた。
同時に放たれた魔法は二人の間で衝突し、相殺される。
(よ、良かった! 私、そこまでリシャールさんとレベルが離れているわけじゃないみたいね!)
この世界には個々の力量が数値化されるというシステムはないが、レベルが足りていなければ最初の攻撃ですべては終わっていただろう。
次いでリシャールの手から放たれた暴風がカルミアに向けられた。黒い靄を巻き込み、嵐のように迫り来る。
しかしカルミアは真正面から挑んだ。
「風を操るなら私も得意なんですよ!」
嵐の海でも進み続けるラクレット家の船を操っていたのはカルミアだ。リシャールの風を巻き込み、自分の力としてしまう。
しかしカルミアの敵はリシャールだけではない。竜たちにとってリシャールは仲間ではあるが、カルミアは明確な敵だ。油断すれば牙と爪の餌食になるだろう。竜に意思はないが、強い敵意が向けられていることを感じる。
「邪魔よ!」
ベルネのように風で薙ぎ払い、攻撃魔法をぶつけるが、向こうの手数が尽きることはない。