46、校長の不在
「カルミア!」
会話が途切れたところでオランヌが息を切らして厨房へと駆け込んでくる。聞かれて困る話ではないが、困惑させてしまうことは間違いないだろう。ちょうど話が途切れたタイミングで助かった。
では何故、彼がここにいるのか。不思議がるカルミアの疑問に答えたのはドローナだ。
「私が連絡を入れたのよ。カルミアが戻ったら教えてと言われたわ」
何食わぬ顔でドローナが白状する。なんて良いタイミングだろう。
「リシャールに何されたの!?」
直前まで会っていたせいか、オランヌの中ではすっかりリシャールが悪者にされていた。そのためカルミアは違うと説明するところから始める。
「何もされてないわ。リシャールさんは悪くないもの。ただ、私の料理が美味しくなかっただけ」
リシャールの役に立てなかったこともすべては自分の責任だ。それでいて泣くとは情けないことをしてしまったと思う。
「うそ、リシャールがそう言ったの!? カルミアの料理が美味しくないって、そんなはずないでしょう!」
学食を飛び出そうとするオランヌの行き先など決まっている。だからこそカルミアは叫ぶように引き止めていた。
「止めて!」
「でも……」
「リシャールさんには悪いことをしちゃったけど、でも本当にもういいの」
「良くはないわよ。リシャールってばカルミアの料理を不味いって言ったり、学園から出て行けって言ったのよ」
やはりドローナは気が収まらないのか、洗いざらい吐き出してしまう。
この発言にオランヌは瞬く間に憤りを見せる。
「それどういうことよ!?」
「お、落ち着いて、オランヌ。私はただ仕事の期間が終わっただけなの。早く出ていくようにとは言われたけど、これから交渉してみるつもりだから!」
「あたしが余計なことをしたから?」
「オランヌは関係ないわ。こうなることは最初から決まっていたもの」
「でも……」
オランヌはそれでも納得出来ないと頭をかきむしる。
「ああもうなんなの!? どうしちゃったのよ、あの人! ねえ信じてカルミア。あの人、本当にカルミアの料理を楽しみにしていたの。こないだだって、カルミアからもらった飴を大事そうに食べてたんだから! 本当に本当なのよ!」
「飴を?」
「ええ!」
オランヌは力強く肯定するが、カルミアには覚えのないことである。自分が渡した菓子の類といえばケーキだけだ。
「ねえ、それ……リシャールさん、本当に何か悪い物でも食べたんじゃ……」
「え?」
引きつるカルミアの笑みにはベルネも混じって三人が首を傾げる。
「私、飴なんて渡してないけど……」
「でもリシャールはカルミアからだって……確か手紙、校長室に戻ったら手紙が添えてあったって話してたわ!」
「それいつのこと!?」
「確か、出張から戻ってすぐだったかしら」
ただの飴だ。それがきっかけでリシャールに何かあったとは限らない。けれどリシャールの様子がおかしくなった時期と一致していることから、どうしても気になってしまう。たとえ害のあるものではなかったとしても、カルミアの名をかたる人物がいることは確かだ。
「私、リシャールさんを探してきます!」
いてもたってもいられなくなったカルミアは走り出す。そんなカルミアに続いたのはオランヌだった。
「ならあたしも! ついでに一発殴りたいしね」
ウインクを披露するオランヌにはドローナが続く。
「それじゃあ私も。二、三発はひっぱたかないと気が済まないわ」
この時ドローナとオランヌは無言で頷き合い、二人はリシャールに近づけない方が良いと思うカルミアであった。
その後、手分けして校内を探し回るもリシャールの姿は忽然と消えていた。途中で合流したオズも捜索に協力してくれたが、見つけることは叶わない。ベルネは耳を澄ませて学園中を探ってくれたが、リシャールの声はどこからも聞こえないそうだ。
不安なまま朝を迎えたカルミアはいつも通り学食の制服に袖を通していた。慣れ親しんだ空色のワンピースに雲のような白さを放つエプロンは、近頃では着れば落ち着く馴染みの服装となっている。
戦闘服に身を包んだカルミアは慣れた足取りで出勤前にリシャールの部屋に立ち寄った。これからどうなるにしろ、まずはリシャールと話し合う必要があるだろう。
けれど肝心のリシャールは姿を消したままである。部屋の主はいつものように不在だった。
しかしリシャールが姿を消したことはオランヌによって伏せられ、学園は平常通り運営されている。アレクシーネの校長という役職は重要なもので、不在が知れ渡れば混乱が起きるというオランヌの配慮だ。それまでは彼が仕事を肩代わりするという。
いつものように学食へ出勤すれば、フロアでロシュに出迎えられる。厨房の方に顔を出せば、ベルネが茶を啜り、ドローナは授業が終わり次第手伝ってくれる予定だ。そんな当たり前の光景が随分遠い日の出来事に思えた。
するとフロアにいたロシュから来客を告げられる。
「カルミアさん、お兄さんが来てますよ」
(お兄さん?)
顔を出せば見慣れた人物が入口のところで手を振っていた。
(そういえば、そういう設定にしたんだったわね)
思い出したように応えたが、リデロはこうしてたびたびカルミアを訪ねてくれていた。リデロのことは名前も借りているのでそのまま兄だと紹介している。
「今日はありがとう。無理を言って悪かったわね」
カルミアが労うと、リデロは苦笑いを浮かべた。やはり大変だったようだ。
「急にあれを入手して届けろと言われた時は驚きましたけどね。まあ俺の方もお嬢に用があったんで、ちょうど良かったですよ」
「何かあった!?」
リデロに頼んでいた仕事は学園の調査とラクレット家の調査である。そのどちらかに動きがあったのかと身構えるが、急務にしてはリデロは落ち着き払っていた。
ロシュが掃除をしているため、二人は声を潜めて話し合う。
「お嬢が監督してる香水店なんですが、確認してほしいってサンプルを預かってきました。バラの香りらしいですよ」
「ああ、そういえばそんな時期だったわね。あとで確認させてもらうわ」
手渡された香水瓶をカルミアは制服のポケットにしまい込んだ。
「あと、例の物は港の船にたんまり用意してありますんで」
ここだけを聞けば完全に危険な取引現場である。しかし実際は、積み荷は平和的で美味しいものだ。
「なら私も一度船に戻ろうかしら」
「お、いいですね! ついでに俺らにもご馳走してくれると有り難いです」
「だから今日運んでこなかった、とか言わないわよね? 別に良いけど……」
そこでカルミアはまだリデロに報告していなかったことを思い出す。
「それとね、リデロ。私、もしかしたら船に戻ることになるかもしれないわ」
「え!?」
リデロは酷く驚いたような顔をする。何をそんなに驚く必要があるのか。それを問う前に別の異変が起きたことでカルミアの疑問は消えていた。
続きも明日更新致します。