45、突如明かされるカルミアの新設定
礼拝堂を後にしたカルミアは迷わず学食に向かい、静まり返ったフロアを通って厨房へと顔を出す。
最初にカルミアに気付いたのはロシュで、目が合えばぱっと笑顔を浮かべて駆けつけてくれた。
「お帰りなさい!」
何事もなかったかのように出迎えてくれる。それがロシュの優しさだった。カルミアが口を開こうとすれば、ロシュは自身の指を唇に当てて見せる。
「戻ってきてもらったところ悪いんですけど、今日はもうカルミアさんの仕事はありませんよ。僕がぜーんぶ終わらせちゃいましたから。いつも働き過ぎなので、今日はゆっくり休んで下さいね。では、僕は失礼しまーす!」
カルミアが口を挟む隙を与えずロシュは走り去っていく。
ロシュがいなくなると、入れ違うようにドローナから強く抱きしめられていた。
「カルミア!」
よほど心配させてしまったのか、ぎゅうぎゅうと抱きしめるドローナの力は強いものだった。
ドローナの肩越しには定位置でお茶を啜っているベルネの姿が見える。そこだけはいつもと同じようで妙な安心感があった。
「良かった戻ってきてくれて! ベルネから聞いたわ。リシャールに酷い事を言われたって。もう信じられない! あんな人が校長の学校なんて私も辞めてやるんだから!」
ベルネが話したのか、口ぶりから察するにフロアで起きたことは全て耳に入っているようだ。しかしこの状況を作り出した張本人のベルネは落ち着き払っている。
「まったくうるさい女だねえ。あんたが本人より騒いでどうするんだい。少しは落ち着きな」
抱擁を解いたドローナはベルネに向けて猛烈な抗議の姿勢を示した。
「だって! ベルネは悔しくないの!? あたしたちのカルミアの料理が不味いって言われたのよ! リシャールったらどうかしてるんじゃない? こんな侮辱、許せないわ!」
「それは、あたしだって信じられないが……」
カルミアの料理を認めてはいるが、ベルネはドローナほど言葉や態度に表すことはない。そんな彼女が褒めるような発言をすることが珍しく、カルミアは驚きからじっと見つめてしまった。
「なっ、なんだい!?」
視線に気付いたベルネは同時に自らの失言に思い至る。強い口調でカルミアを威嚇するが、すでに手遅れだった。
「ふん! まあ、なんだ。何か変な物でも食べたんじゃないのかい。腹が痛かったとかね! と、とにかくだ。今日はもう帰りな。そんな顔で働かれても迷惑なんだよ」
「ほら、ベルネも心配しているみたいだし。今日は帰って休みなさい」
「誰が心配なんか!」
「はいはい。ベルネは素直じゃないわね。素直にカルミアが心配でさっきまで落ち着かなかったって言えばいいじゃない」
「あ、あたしは別に!」
「ならカルミアが戻ってくるまでうろうろしてたのはどうして? いつもは置物と間違えるくらいじっとしているじゃない」
「黙りな!」
賑やかなやり取りが聞こえる。けれど二人ともカルミアの決意を知っているはずだ。
カルミアが学園から去れば学食がどうなるのか。加えてリシャールが学食への態度を一転させたことで、今後この場所がどうなるのかもわからない。ドローナたちにだって不安はあるはずだ。
迷うカルミアの手をドローナが優しく握る。
「ね? 今日は疲れたでしょう。だからまた明日、これからのことを話し合えばいいわ」
ドローナの優しさに、消えたはずの涙が浮かぶ。
(でも私は、それでいいの? 二人に甘えて、このまま逃げ帰るような私を、私はカルミア・ラクレットだと誇れる?)
自身に問いかけておきながら、答えはとっくに出ている。
ここで泣き帰るような自分を、自分は決して認めるわけにはいかない。
(確かにリシャールさんから美味しくないと言われて悲しかった。でも、だから何? それがどうしたっていうのよ。ここで諦めるなんて私らくしない。今までだってずっと、何度だって諦めなかった)
最初から料理が出来たわけじゃない。何度も失敗を繰り返し、リデロには面と向かって不味いと言われた。その度に泣き、いつかぎゃふんと言わせてやると誓ったはずだ。そんな小さな努力を忘れていた。
(美味しくないならもっと頑張りなさいよ。いつかリシャールさんに心から美味しいと言ってもらえるまで何度でも。それに、こんな風に急にクビなんて理不尽よね?)
心が立ち直れば理不尽さにも思うところが湧き上がる。それを思い出させてくれたのはこの優しい精霊たちだ。
(そうよね。リシャールさんには認めてもらえなかったけど、みんなが美味しいと言ってくれた気持ちを疑っちゃいけない。お父様にお母様、リデロだって。船のみんなも、ロシュにオランヌ。オズや、この学園のみんなが美味しいと言ってくれた。ベルネさんも、ドローナもね!)
賑わいに溢れた学食がカルミアの力を物語る。
カルミアは厨房を見渡すと、大きく空気を吸い込んだ。
「ご心配をおかけしました。明日も、よろしくお願いします」
「なんだい急に改まって」
しかし言葉とは裏腹にベルネは嬉しそうである。
「明日からのこと、リシャールさんに掛け合ってみます。私たちは対等に関係を結んだんですよ。それなのに急にクビだなんて理不尽すぎませんか?」
「それで?」
「私、諦めません。もう少しここで働かせてもらえるように交渉してみます。それが難しかったとしても、相談役くらいにはなってみせますから」
カルミアは繋がれていたドローナの手を握り返す。
「心配かけてごめんね、ドローナ。私、これから先のことを考えてみる。どうしたらここにいられるか、最後まで諦めない。泣いてるだけの私なんて、カルミア・ラクレットじゃないもの」
「カルミア……」
今度はドローナが泣きそうに顔を歪めた。
「ええ、そうよ。そうよね! ベルネに同意するのは癪だけど、自信満々に私に迫ったカルミアはどこに行っちゃたのかなって心配してた。私が惚れたカルミアは、あのカルミアだったのになーって!」
縋るように抱き着くドローナは、まるで子どものようにカルミアの瞳に映った。
「なんだい。情けない顔をして」
ベルネが冷やかすように声をかけようと腕の力が強くなるだけだ。しかし彼女もカルミアの復活を喜んでいることはぶっきらぼうな言葉からも表れていた。
「さすがはあたしの見込んだ人間だ。ここで泣き帰るような奴を、あたしは最初から認めたりしない。あたしに喧嘩を売るような女が、大人しく泣き寝入りなんて真似、するはずがないだろう」
最初からわかっていたと言わんばかりである。
ところが続く言葉にカルミアは目を見開いた。
「それでこそ、アレクシーネの血を引く者だよ」
「ベルネさん!?」
「なんだい?」
のんびりとした態度にカルミアの焦りは加速する。この人にはとんでもないことを言ったという自覚は欠片もないのだ。
「アレクシーネの血を引くってどういう意味ですか!?」
史実によればアレクシーネの血を引く者はいない。ゲームでさえ、そのようなことは語られていなかった。
「どういうって、そのままの意味だろうに。あんたはアレクシーネの血を引いているじゃないか、小娘」
最後に小娘と付け足されたことではっきりと自分のことだと釘を刺された気分だ。
「わ、私が? 何言ってるんですか。私はランダリエの子孫で」
「いいえ、カルミア。貴女はアレクシーネの血を引いているわ」
カルミアの胸から顔を上げたドローナはすっかり落ち着きを取り戻していた。それどころかカルミアが取り乱す理由も心得ているようだ。
「当時アレクシーネには娘がいたの。ラクレット家はね、本当はアレクシーネの子孫なのよ」
「小娘、あんた知らなかったのかい?」
ベルネは最初からカルミアが知っていると思いこんでいたらしい。しかしカルミアにとっては驚愕の事実である。
「知っているのは私たち精霊くらいよ。アレクシーネが眠りについてから、ランダリエが言ったでしょ。
アレクシーネの血を引いていることがばれたら利用されるんじゃないかって。だから真実を知るのは私たち精霊だけ。ランダリエはアレクシーネの娘を自分の娘と偽ることで守ったのよ」
「そんな……」
(これってゲームが根底から覆りそうな新設定過ぎない!?)
制作陣は続編ありきでこのゲームを製作していたのだろうか。カルミアに重要な設定を与えることで更なる敵として再利用するつもりだったとか……。いずれにしろ、全プレイヤーが知れば卒倒しかねない新設定である。
「けど、そんなのどうでもいいことよね」
カルミアが頭を抱えていると、あろうことかドローナはけろりと言い放った。
「たとえアレクシーネの子孫であってもカルミアはカルミア。私がカルミアを大好きなことにアレクシーネの血を引いているなんて関係ないんだから」
ドローナは無邪気な笑顔でカルミアに告げる。カルミアを見つめる眼差しに悪役としての面影はなく、ただの子どものようだった。