41、喜びと不安と拒絶
感謝を告げたカルミアは、リシャールを連れて自室へと案内する。
少しだけ待っていてほしいと部屋に消えたカルミアは、保冷庫から取り出した小さな箱をリシャールへと渡した。
箱を開ければ冷気とともに小さなケーキが顔を出す。華やかにクリームを絞り、苺を飾ったものだ。
「ケーキを焼いてみたんですけど、良ければ受け取ってもらえませんか?」
さすがに誕生日を知っていたとは言えないが、ケーキを焼いて渡すくらいは問題ないだろう。知ってしまったからには陰ながらでも何かしたいと思ってしまう。
カルミアは箱を差し出すが、リシャールは明らかに戸惑い、立ち尽くしていた。
やがて静かに両手を添え、慎重に受け取る。
「その、こんな偶然があっていいのか……実は今日が誕生日だったものですから」
やっぱりと、カルミアはほっとしていた。
けれど顔には出さず、初めて知ったかのように偶然を装う。
「おめでとうございます。お祝い出来てよかったです」
「偶然とはいえ、このようにケーキを貰うのは初めてでして、その……」
「リシャールさん?」
口籠るリシャールに、今更ではあるが甘い物が嫌いだったのかもしれないという不安が湧いてくる。
しかし心配は杞憂だったとすぐにわかった。
「こんなにも嬉しいものなのですね。こんなに幸せな誕生日は初めてです。ありがとうございます」
これまでの生活でリシャールからは何度も感謝を告げられた。笑顔だって何度となく向けられているからこそわかる。それはこれまでかけられたどの言葉より深く、最も嬉しそうなものだったと。
感動を噛みしめる姿は幼い子どものようにも見える。宝物のようにケーキを抱えるリシャールは、とてもラスボスとは思えなかった。
「ではまた明日。学食へ伺いますね」
「はい。お待ちしてます」
いつものように挨拶を交わして別れると、明日リシャールに会えることが楽しみでならない。その時はケーキの感想も聞かせてもらえるはずだ。
けれど翌日、いつまで待ってもリシャールが学食を訪れることはなかった。
オランヌによれば急な出張だと聞かされたが、それはカルミアが学食で働きだしてから初めてのことだった。
(今日も来なかったわね……)
それから数日の間、リシャールの不在は続いた。
毎日当たり前のように顔を合わせていたせいで急に不安になってしまう。きちんと食事をとっているのかと、大人相手に子どものような心配までする始末だ。
「はあ、疲れたっと。カルミアさん、フロアの方は一段落しましたよ」
営業時間も後半に入るとロシュが厨房へ顔を出す。カルミアが水を差し出せば喜んで飲み干した。
「ドローナ先生が入ってくれたおかげで随分と楽になりましたね」
「そうね。始めはどうなるかと思ったけど、ドローナには感謝しないとね。ところで、ロシュは最近校長先生を見かけた?」
「そういえば見ないですね。あんなに熱心に通って下さってたのに、どうしたんですかね?」
「忙しいのよね、きっと……」
もし、何かあったとしたら?
そんな不安が浮かぶのはリシャールから受けた依頼のせいだ。
仮に何かあったとして、学園の乗っ取りに関わる事態だとしたら……
仕事が忙しいだけだとわかっているのに、ただのカルミアとしても、密偵としても不安が募っていく。
「カルミアっ!」
考え込むカルミアに背後から抱き着いたのはドローナだ。
「どうしちゃったのよ。ぼーっとして、悩み事?」
先ほどまではロシュと話していたし、リシャールは学食の常連でもある。ここで彼の話題を出すことは不自然ではないだろう。それにドローナに聞けば彼女の視点から得られる情報もあるかもしれない。
「校長先生のことなんだけど、最近来てくれないなって、心配していたの」
「リシャールのこと? 確か仕事で学園を離れているのよね。明日には戻るらしいけど、もし会えたら学食に顔を出しなさいって私からも伝えておくわ」
「そう、明日には戻るのね。ありがとう、ドローナ。でも学食は無理に来てもらう場所じゃないから、忙しいのに無理強いはちょっと……」
「なら新作デザートを出すといいわ。甘いに匂いにつられてリシャールも誘い出されるわ!」
「たく、甘いのはあんたの考え方だろうに」
口をはさんだベルネにドローナは露骨に嫌な顔を向けた。
「ベルネに話しかけているわけじゃないのよ。デザートの素晴らしさもわからない石頭は黙っていなさい」
「砂糖菓子みたいにふわふわした女に言われたくはないね」
「なんですって」
「なんだい」
妖精たちはバチバチと火花を散らす。ロシュは慌てているが、その賑やかさはカルミアに笑顔をもたらした。きっと浮かない顔をしている自分を励ましてくれたのだろう。
(ドローナのアイディアとは少し違うけど、明日は学校も休みだし、お弁当でも作って持って行こうかな)
早速買い物リストを作成したカルミアは仕事が終わると買い出しに向かう。
また、美味しいと言ってくれるだろうか。買い物をしながらも考えるのはリシャールのことで、早く会えるようにと願うばかりだった。
新鮮な卵に野菜、それから鶏肉等を購入すると、脇目も振らずに寮へと戻る。
さすがに朝食に弁当を用意するのは違うと思い、ならば昼食に間に合わせようと朝早くから調理に励む。
(卵焼きに、定番のから揚げも入れて。あとは野菜に、デザートも付けようかな)
ついつい買い過ぎてしまうのは自分の悪い癖だと思う。でもきっと、美味しそうに食べてくれる周りの人にも責任はあるはずだ。
弁当を手に、まずはリシャールの部屋へと向かう。呼び鈴を鳴らすが、やはりこちらは留守のようだ。
続いて学園へ向かったカルミアは迷わず校長室へ向かう。もう何度も通っている道だ。迷いはないが、手にしている物のせいか、やけに足取りが重く感じた。久しぶりに会うことで緊張しているのかもしれない。
(そういえば、リシャールさんが荷物を持ってくれたことがあったわね)
初めての仕事を終えた夜。夜風に身震いをすれば上着を貸してくれた。両手でかごを抱えていると、手から荷物を奪ってみせた。
船で出会ってからまだ一月も経っていないのに、ほとんど毎日顔を合わせていたせいか、随分と長く会っていないように思えてくる。
「リシャールさん、いますか?」
しばらく待つと、中から待ちわびた反応があった。喜び入室したカルミアだが、肌に触れた空気に足を止める。
(何? いつもと空気が違うような……)
「どうかしましたか?」
リシャールは不思議がるカルミアに目もくれず、書類に視線を落としている。
「仕事中にすみません。あの、お久しぶりです。このところ仕事が大変だと聞きましたが、きちんと食べていますか? 学食にも来れないようなので心配で。もし食事がまだでしたら仕事の報告も兼ねて、一緒に食べませんか?」
カルミアはバスケットを掲げるが、リシャールは見向きもしない。そして一言だけ、簡潔に告げた。
「いりません」
「え?」
リシャールが手を止めることはなく、視線さえも上げずに答えた。
今の言葉は本当に彼が言い放ったものだろうか。信じられずにカルミアはその場に立ち尽くしていた。
「聞えませんでしたか? 食事など時間の無駄です。私には必要ありません」
「リシャールさん……?」
どうか聞き間違いであってほしいと願いながら、もう一度呼びかける。
「用が済んだのなら出ていってもらえますか。私は忙しいのです」
返された言葉の鋭さに、弾んでいた気持ちは急速に沈んでいく。
やっと会えると思った。きっとまたあの笑顔でありがとうと、美味しいと言ってくれると思っていたのに。
けれどそれ以上に、リシャールなら受け取ってくれると期待を押し付けていた自分が嫌になる。一人で盛り上がっていた自分が恥ずかしい。
「すみませんでした」
約束をしていたわけではない。リシャールにだって都合はあるだろう。もう食事を済ませてしまったのかもしれない。だからリシャールを責めるつもりはなかった。
ただ、行き場のなくなった弁当は悲し気だ。
「これ、どうしよう……」
自分で食べるしかないだろう。そう諦めかけた時、休日だというのにカルミアは頼もしい二人と出会った。
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