37、リシャールへの差し入れ
「お待たせしました!」
差し入れを手に戻るとリシャールは変わらず机に向かい仕事をこなしていた。
たった一人で遅くまで。食事を疎かにするのは良くないが、真面目で仕事熱心な人だとカルミアは好感を抱く。
「お疲れ様です。少し休憩にしませんか? よければお茶も入れますよ」
校長室には簡単なキッチンも備え付けられているようだった。
「すみません。食事だけでなく飲み物まで」
リシャールが申し訳なさそうに眉を下げる。けれどこれはカルミアが自らやりたいと望んだことだ。誰に命令されたわけでもない。自分の意志で、この人のために何かしてあげたいと思った。
「校長先生の仕事を手伝うことは出来ませんから、せめて他のことで力になりたいと思ったんです。リシャールさんが倒れないように、ちゃんとご飯を食べさせることくらいは私にも出来ますからね。それに謝罪より、私が聞きたい言葉は別にありますよ」
カルミアの望みはしっかりとリシャールに伝わっていた。
「私が無粋でしたね。ありがとうございます、カルミアさん。ではお言葉に甘えて、いただきます」
リシャールがサンドイッチに手を伸ばす。
そして一口食べると、そのまま無言で食べ進めていった。
「驚きました……。どうやら私は空腹だったようですね。柔らかなパンに卵とベーコン、それからチーズの相性がいいですね。身体に染みわたるようです」
続いてリンゴジャムを使った物に手が伸びる。
「こちらがカルミアさんの作って下さったジャムなのですね。リンゴの食感が良いアクセントになっていますし、甘すぎずに食べやすい。とても美味しいです」
言葉通り、リシャールは次々と笑顔で平らげていく。作りすぎたかもしれないと感じていたが、どうやら完食してもらえそうだ。
「ご馳走様でした。おかげで残りの仕事がはかどりそうです」
「役に立てたのなら嬉しいです。あの、私がこんなことを言うのは迷惑かもしれませんが、きちんと食事もとって下さいね。リシャールさんが倒れたら悲しむ人がたくさんいるんですから。オランヌにも怒られますよ」
するとリシャールは深く考え込むような素振りを見せる。
やはり余計なお世話だったかもしれないと訂正しかけた時、ゆっくりとリシャールが口を開いた。
「先ほどから気になっていたのですが、カルミアさんは随分オランヌと仲が良いようですね。このリンゴもオランヌからもらったと伺いました」
「そうですね。顔を合わせれば気さくに声を掛けてくれますし、私としても話しやすい方だとは思っています」
「そうですか……」
またしてもリシャールは考え込んでしまう。何か問題でもあったのだろうか。
そこでカルミアは考え至る。
(はっ! そ、そうよね……学園の人間は信用出来ないみたいだし、私ももっと警戒すべきよね!? きっとリシャールさんの中ではオランヌも容疑者なんだわ!)
だとしたら仲良くしすぎるのは問題大ありだ。
「すみません! 私が軽率でした。これからはオランヌにも警戒して接します!」
「え? あ、いや、そこまで気を張っていただかなくても」
「いえ、私が甘かったんです。もっと自覚を持つべきでした」
攻略対象としての人となり、その後の人生までを知っているカルミアは、オランヌだからと疑うことを忘れていた。
けれどリシャールにとってはなんの保証もない相手だ。密偵としての自覚を持てと言われているのだろう。
(でもそれって、リシャールさんは寂しいわよね……)
学園では誰のことも信用出来ないということになる。
けれどこの学園でたった一人、自分だけは例外なのだ。
(私だけはリシャールさんの孤独を知っている。もしかして、それでよく私のことを気に掛けてくれるのかしら。私だけはリシャールさんの味方だから、少しは心を許してくれているのかも。だとしたらその期待に応えないとね!)
心を改めさせられたカルミアは自然とリシャールのことを誘っていた。
「リシャールさん。私、また作りますね。その時は時間が許す限り一緒に食べましょう。私も誰かと一緒に食べる方が好きなんです」
「はい、喜んで。いつでも大歓迎ですよ」
本当は、喜んでと言いたかったのは自分の方だとカルミアは思う。誰かが自分の食事を楽しみにしていてくれることが嬉しくてたまらないのだ。
もちろん学食では誰もがカルミアの料理を楽しみにしている。けれどリシャールに求められると、それとは別の喜びが溢れるようだった。
(私、リシャールさんに美味しいと言ってもらえることがこんなにも嬉しいのね)
自分の心を理解したカルミアは、すがすがしい想いでリシャールを見つめる。
ところがリシャールの顔つきは神妙なものへと変わっていく。その表情はいつか船の上で見たものと重なるようだった。
「カルミアさん。この機会に、実は貴女にお話したいことがあるんです……」
「な、なんでしょう」
もうカルミアは騙されない。上擦りそうな声を抑え、ひきつりそうな口許をこらえる。
(大変な要求をされそうな予感……)
リシャールの申し出でこうなった身の上としては不安が拭えなかった。
「実は職員会議に出席していただきたいのです」
「は?」
頼む相手を根本的に間違えているのではないだろうか。カルミアは真っ先にそう思った。
「ああ、学食の存続については会議を開くまでもなく決定していますのでご安心下さい。私たち職員も大いに利用させていただき、生徒たちからの人気も強い。存続については満場一致、異論ありません」
どうやらカルミアの奮闘により、学食は存続することが決まっているらしい。これで密偵としての立場は安泰だ。
「しかし問題はその予算にあります。次の会議で来年度の予算について話し合うことになっているのですが、カルミアさん。潤沢な予算、欲しくはありませんか?」
「欲しいです!」
商人として即答していた。たとえ一時的な勤務だとしても、予算は多いに越したことはない。
「ですから現場で働くカルミアさんにも出席していただいきたいのです」
つまりカルミアに学食の必要性と、予算の増加を訴えてほしいのだろう。
「もちろん私の方から進言することは可能です。しかし現場で働いて下さっている方から交渉されると説得力が違います。カルミアさんでしたら交渉も得意でしょうからね」
(さすがよくわかっているじゃない。確かに交渉は得意分野……はっ!)
リシャールに見つめられたカルミアはその瞳の奥に隠された真意を見抜いた。
(これはリシャールさんからの提案ね。学園教師が一堂に介す。すなわち学園乗っ取りを企てる犯人がいる可能性が高い。その人物の雰囲気、発言から、私に探れというのね。まさかリシャールさんはそこまでみこして私を学食に潜入させたってこと!?)
リシャールの完璧な計画を目の当たりにすると、生徒ではなかったことに不満を抱いた自分が急に恥ずかしくなった。
「わかりました。任せて下さい」
必ずや犯人の手掛かりを入手して見せると、カルミアは決意に満ちた眼差しで訴えた。
「頼もしいですね。それではまた明日、学食に伺わせていただきます」
「はい。また明日、学食で」
それはカルミアの仕事への監視か。それとも純粋に食事を楽しむためにか。叶う事なら後者の方が嬉しいと思うカルミアであった。
二人の距離も少しは縮まったでしょうか。
仕事上の理由で苦手意識ばかりだった頃に比べると進展ですね。
この二人がこれからどうなるのか、見届けて頂けましたら幸いです。
お気に入りに評価、ありがとうございました!