27、カルミアのカレーvs精霊の味
出勤すると、ベルネは昨日と変わらずお茶を啜っていた。しかしカルミアの姿を目にすると、ふっと唇だけで笑い明らかな挑発を見せる。
だが徹夜明けのカルミアにはあまり効果がないようだ。目くじらを立てるだけ労力の無駄と、朝の挨拶で受け流す。
それを見て本人たちよりも狼狽えているのはロシュで、なんだか申し訳ない気がした。
時間になるとベルネは見せつけるように立ち上がる。
「さて、始めようかね」
保冷庫からいつもの材料を運んできたベルネは野菜を切り始めた。
一方カルミアはあらかじめ水に浸しておいた米を火にかけると、それきりベルネが調理する様子を観察する。
「なんのつもりだい? 白い粒を鍋に入れたきり料理を始める様子もないとは、まさかそれで完成とでも言うつもりかい?」
(もしかしてベルネさんて、お米を知らないの……?)
ロクサーヌに米が出入りするようになったのは国が再建され、流通が安定してからのことである。それから食卓に定着するまでにはさらに時間がかかり、ベルネが知らない可能性も考えられる。
「怖気づいたのかい、小娘」
意地の悪い笑みを向けられたところでカルミアは怯まない。全ては自身が思い描くシナリオを生かすための行動だ。
「ご心配ありがとうございます。私も準備は整いましたので、あとはベルネさんのお手並みを拝見させてもらおうと思います」
「ふんっ!」
しかし昼休みを告げる鐘が鳴ろうとカルミアが調理を開始することはなかった。
さすがにベルネだけでなく、ロシュも不安を見せ始めている。
「あんた、真面目にやる気があるのかい?」
「もちろんです」
「もう昼だってのに、わかってんのかい!?」
ベルネの声にも苛立ちが表れていた。
「そうですよ、カルミアさん! もう審査が始まっちゃいますよ!」
ロシュはベルネの顔色を窺いながらもカルミアを案じてくれた。
「そうね。そろそろみんな集まっている頃かしら」
フロアにはカルミアが審査を依頼した三人が揃い、先行してベルネの料理が提供されることになった。
カルミアはロシュに続いてフロアへ向かうが、ベルネは頑なに厨房から動こうとはしなかった。
お馴染みのスープにパンが並ぶと、三人は揃って食事を開始する。
そして最後まで無言のまま、まるで義務のように完食していた。食べ終えた後も手を下ろしたきり、感想を口にすることもない。
「次はカルミアさんの料理ですね」
表情を変えることなく見事完食したリシャールが問いかける。
「はい。私はこれから調理を開始しますので、少々お待ちいただけますか?」
「これから?」
オズも首を傾げた。
「お待たせしてすみません。でも、どうしてもこの料理の後でないといけないんです。すぐに用意しますね! それとロシュ、外の扉と窓を開けておいてくれる?」
カルミアは重厚な入口の扉を指して言う。
「いいですけど、暑いんですか?」
「いいえ。ただ、良い風が吹きそうだと思って」
「風……?」
ロシュは対決に戻るカルミアを最後まで不思議そうに眺めていた。しかしカルミアの表情は頼もしく、ロシュは言われた通りにすることを決める。
一方、厨房ではベルネに出迎えられたカルミアが驚きに目を見張る。
てっきり姿を消していると思っていたので本物かと疑いもしたが、さすがに今日は最後まで見届けてくれるようだ。
「何をするつもりだい、小娘」
「料理に決まってますよ」
カルミアはリデロから受け取った包みを広げる。
容器に収まっていたのは固形の茶色い物体で、正体はカルミア特製カレーのルーだ。
しかしベルネにとっては奇妙な物体に見えたことだろう。それをベルネが見ている前で、彼女が作ったスープに投入する。
「何するんだい!」
「他人の作ったものに手を加えてはいけない、というルールはありませんでしたから、こちらを使わせていただくことにしました。残ってしまっては勿体ないですから」
カルミアは慣れた手つきでカレーを完成させていく。
ベルネは次第に立ち込めていくカレーの香りに呆然としていた。
「なんだい、この香りは……刺激的で、惹き付けられてしまう!」
「これはカレーという料理で、スパイスを使って作るんですよ」
「スパイス?」
「香辛料のことです。近年では国外から良質な物が輸入されるようになり、積極的に料理でも使われるようになりました」
意外なことにベルネはカルミアの説明を大人しく聞いている。
カルミアが鍋に触れた瞬間に感じた攻撃的な眼差しは消え、料理の完成を見守ってくれた。ベルネの瞳には初めて目にするもの、未知への興味が現れている。
カルミアは炊き上がった米を皿に盛り、反対側にカレーのスープを流し込んだ。まっさらだった皿には白いご飯と茶色いカレーの美しいコントラストが生まれる。
「ベルネさんの分はここに置いておきますね」
「は!? あたしは食べるなんて一言も!」
「私はベルネさんの料理を食べさせていただいたので、ベルネさんにも食べてもらわないと!」
抵抗していたベルネも好奇心に負けたのか、次第に口を閉ざしていった。カレーに抱いた興味からは抗えないようだ。
カルミアは三人分のカレーを手にしてフロアに向かう。カルミアの姿が消えるまで、ベルネは一歩も動こうとはせず、葛藤しているようだった。
「お待たせしました」
「この香りは、カレーですか?」
すっかりカレーの虜となっていたリシャールはいち早く気付いたようだ。
「カレーってなんですか? なんだか凄く良い匂いがするんですけど!」
ロシュは興奮気味に席を立ち、運ぶのを手伝ってくれる。
料理が並ぶと三人はすぐに食べ始めた。
「え、これっ……凄い、凄いですよカルミアさん! 僕、こんな料理初めて食べました。なのに凄く美味しいです!」
「ロシュの言う通りだ! 今まで食べたどんな料理とも違う。だが手が止まらない!」
「喜んでもらえて良かった。私の料理は美味しいと思ってもらえたのよね?」
「もちろん! いくらでも食べたいくらいだ!」
「ありがとう。オズ」
「僕もです!」
「ロシュもありがとう。校長先生はいかがです?」
「私の感想はあの日から変わっていませんよ。また食べることが叶って嬉しいですね」
「ありがとうございます。では私は少し席を外しますので、みなさまごゆっくり召し上がって下さいね。申し訳ないけど、ロシュは急いでもらえると助かるわ」
「わかりました! でもどうしてですか?」
「これから忙しくなるからよ。ここは任せるから、お客様がいらしたらよろしくね」
「お客様?」
そんな人たちがどこにいるのだろう。ロシュは入り口を振り返るが、開け放たれた扉から覗く人影はない。
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