26、対決の朝
朝、職員寮で暮らすカルミアを訪ねる人物がいた。といっても呼びつけたのカルミア自身であり、校門まで迎えに行くことに不思議はない。
「リデロ!」
懐かしいと表現するには経過した時間はあまりにも短いが、不安だらけの生活を始めたカルミアにとっては顔を見るだけで頼もしい相手だ。
リデロもまた、カルミアの姿を見ると見慣れた笑顔で応えてくれる。
そして開口一番、カルミアの癇に障った。
「いやー、良い朝ですね」
「よくもこの私の顔を見て言えるわね。これが良い朝に見えて?」
詰め寄るカルミアの顔は青白く、その手には栄養ドリンクが握られている。目は完全に座っており、恨めしそうにリデロをにらみつけていた。
「ですよね!? お嬢、なんかやつれてません? すんごい目が血走ってるんですけど、怖いっ!」
「ちょっと徹夜しただけよ。怖くて悪かったわね」
「大丈夫なんですか?」
「安心安全、ラクレット家特製栄養ドリンクで体力は回復させたわ」
「これは本家で働いている仕事仲間から聞いた話なんですけど。昨日の夜カルミアお嬢様が、敵襲の如くすっ飛んできて、書庫にこもって徹夜で帳簿を漁っていったと報告を受けたんですが」
「なんだ、知ってるんじゃない」
昨夜何をしていたかと聞かれれば、すべてリデロの報告の通りである。
「何してたんですか?」
「急にうちの業績がとてつもなく気になってしまったの。どうしても自分の目で確認したくてね」
「はあ……? それで、どうでした?」
「特別顧問も満足の成長ぶりだったわね」
「それは何より、ですね?」
リデロは訳がわからないと首を傾げているが、カルミアもわからないのだ。
調べてみてもラクレット家の業績は好調。没落に繋がりそうな問題はどこにも見当たらない。不正も疑い予告もせずに自ら屋敷に乗り込んでみたが、帳簿は正確そのものだ。
「それで? 頼んでおいたものは揃っている?」
「当然です!」
「ご苦労様。さすが私の船の副船長ね」
「もっと褒めてくれていいですよ!」
カルミアは差し出された包みを受け取る。
任務を達成したリデロもほっとしたようだ。
「まあその、突然わけのわからない行動を取られて焦りはしましたけど、元気なようで安心しましたよ。ちょっとやつれてはいますけど……」
「そういうこと、私以外の女性には言わない方がいいわよ。というか私にも遠慮なさい」
「お嬢のことは女性だと思ってな……いえなんでもありません!」
殆ど言い終えていたが、リデロは大慌てで訂正する。怒る気力さえ惜しいとカルミアが思ったことが彼にとっての救いだった。
そしてここぞとばかりにリデロは強引に話題を変えていく。
「船を降りてどうなることかと思いましたが、お嬢の人使いの荒さも変わっていないようで安心しましたよ」
「まだ船を降りて一日じゃない。それに、船には頻繁に戻る予定よ。貴方達こそ、私のことを忘れないか心配なんだけど」
「なわけないでしょう! 今日もお嬢の料理が恋しいって、みんなして話してたんですから!」
「そういうところよね。はいこれ」
カルミアは手にしていたバスケットを差し出す。
「これは?」
「朝早く働かせて悪かったわね。私が抜けた負担も大きいでしょう? それなのに、嫌な顔せずに送り出してくれて嬉しかったわ。ありがとう、副船長。貴方がいるから私はここにいられるのよね」
「お嬢……で、これなんですか! なんか、美味しい予感がするんですけど!」
ここでムードをぶち壊すのがリデロなのだと思う。良いことを言ったつもりが台無しだ。
「朝食にと思って、リデロの好きな卵サンドを作ったの。前に美味しいって言ってくれたでしょ。あとはベーコンに、ロールパンにハムとレタスを挟んだものもあるわ。甘いのもね。たくさん作ったから、みんなで食べてちょうだい」
昨日、カルミアが買い出しに走ったのはこのためである。リデロたちにお礼をしたいと思い立っての行動だ。
バスケットを覗いたリデロの表情がぱっと輝く。どうやらお礼は喜んでもらえたようだ。
「大事に食べさせてもらいます。これで今日の仕事も乗り切れそうですよ」
「大袈裟ね」
「何言ってるんですか! 食事は俺らの楽しみなんですよ。お嬢が食事の楽しさを教えてくれたんじゃないですか」
「そうなの?」
「そうなんです。っと、俺らはこれから旦那様の使いがあるので、そろそろ行かないと」
「お父様の依頼で商品を搬送するんだったわね」
「はい。いったんロクサーヌを離れますが、明日にはまた港に戻る予定です」
「そう、明日には戻るのね。ならついでに朝一番で届けてほしいものがあるんだけど」
「ほんっとに変わってないようで安心しましたよ! なんなりとご命令下さい、船長!」
投げやりになりながらもリデロはしっかりと依頼を引き受る。それはカルミアが対決で勝てば必要になるものだ。
「ではお嬢――いえ、船長。どうかお気をつけて」
リデロだけはカルミアが学園にいる本当の目的を知っている。そのための心配と気遣いだろう。
「ありがとう。貴方たちもね」
海に出る彼らも常に危険と隣り合わせの生活を送ることになる。カルミアは彼らの無事を心から願った。
「またね」
小さくなりつつある背中に声を掛け、カルミアもまた自らの戦場へと向かう。
次回、ベルネとの対決が始まります!