17、潜入先がなくなりそうです
「ベルネさーん! 新しい人、来ましたよー!」
厨房に入るなりロシュは元気に声を上げるが返答はない。けれどこっちですと手招きされた先には初老の女性がいて、のんびりとお茶を啜っていた。
手にしているのはティーカップではなく、持ち手のついていない陶器だ。前世風に言うのなら湯呑だろう。それを両手で包み、傾けて飲んでいる。
カルミアと同じ制服を着ているが、こちらはデザイン違いで長袖となっている。だがベルネという女性にはこのデザインの方がしっくりくる気がした。
「ベルネさん、こちら新しく入ったカルミアさんですよ」
ロシュの言葉は綺麗に無視された。
聞こえなかったのだろうか。カルミアはもう一度、今度は自ら挨拶をすることにした。
「カルミア・フェリーネです。よろしくお願いします」
カルミアが名乗ればベルネが僅かに視線を寄越す。皺の刻まれた目が僅かに見開かれ、湯呑を持つ手も止まっていた。
「あんた……名は?」
(名乗ったばかりよね!?)
しかしカルミアはめげずにもう一度答える。
「カルミアです。カルミア・フェリーネ!」
いささか強調して告げると、じっと見つめ返された。睨まれたとも言えるほどきつい眼差しは、何かを探ろうとしているようにも感じる。
「本当かい?」
カルミアは頷く。偽名を名乗ることには抵抗もあるが、これも密偵生活のためだ。
その名を聞いてベルネは目に見えて落胆していた。興味が失せたとでも言いたげに、あからさまなため息を吐いていく。
「なんだい。ただの小娘か」
「は?」
ピクリとカルミアの口元が引きつる。
「なんでもないよ。知ってる奴に似ていただけさ。少しだけどね」
もう一度、ベルネがカルミアを顧みることはない。どうやらよほど落胆しているようだ。
ところがロシュは信じられない物を目にしたように興奮している。
カルミアが困惑していると、小声で呼びかけられた。
「カルミアさん、カルミアさん! ベルネさんが誰かに興味を持つのって、すっごく珍しいことなんですよ。僕が知ってる限りでは初めてかも!」
「それは……喜べばいいのか、私には判断が難しいわね」
それ以降マイペースに茶を啜っていたベルネだが、飲み終えるとカルミアへの不満を口にする。
「まるでいいところのお嬢さんみたいな娘だねえ。あたしはあんたみたいな苦労を知らなさそうな小娘は嫌いなんだ。どうせいつもみたいにすぐ辞めるんだろう。よろしくしてやる義理はないね」
「なっ!」
仕事に対する不誠実を疑われたカルミアは反論しようとした。しかしロシュがカルミアを押し留めて間に入る。
「まあまあ、そう言わずに! カルミアさん。ベルネさんは今ちょっと気が立ってるだけなんですよ。ほら、ベルネさんも! 校長先生からは料理上手だって紹介されたじゃないですか。僕、カルミアさんの作った料理、楽しみですよ」
「ロシュ、誰にでもしっぽを振るのはおよし。本当にこんな小娘に料理が出来るのか、あたしには疑問だね。役立たずは隅で掃除でもしてな。どうせあんたの仕事なんてありゃしないんだ」
「まあ確かに、今更新しい人が来るって不思議な話ですよね。ここ、もうすぐなくなっちゃうのに」
「待って! それ、どういうこと!?」
「あれ、聞いてないんですか? ここ、次の職員会議で閉鎖が決まるらしいですよ」
聞いてない!!
(え、な、なに!? いきなり潜入先がなくなりそうなんですけど!?)
「といってもあと一週間くらいはありますし、仲良くやりましょうよ!」
どうやら密偵生活は一週間の命らしい。快く職場に迎えてくれるロシュには悪いが、カルミアはとてもそんな気分にはなれなかった。
(潜入先がなくなったら私の密偵生活はどうなるの!? まさか一週間で終わらせろってこと!?)
考えなければならないことは多い。しかし業務の説明が入ったため、カルミアは耳を傾けざるを得なかった。
「えっと、僕の仕事はお客様を席に案内して、料理を運んで、お会計をすることです。料理を作るのはベルネさんですよ」
この学食は、どうやらレストランのようなシステムらしい。ロシュの説明はわかりやすいものだった。
「仕事の内容は理解したわ。でも、ロシュは随分と大変な業務を一人で行うのね。その作業を一人でこなすにはロシュの負担が大きいと思うんだけど、凄いのね」
よほど優秀なのだろう。しかし褒めたつもりがロシュは目を泳がせている。
「それは、えっと……この学食、ちょっと人気がないみたいで……」
「人気がない? 学園の人達はあまり学食を利用しないの?」
だから閉鎖されてしまうのだろうか。
「みなさん街で買ったお昼を持参されたり、お弁当を用意していたり、あまり立ち寄らないみたいで」
「そうだったの……」
知られざる学園の食事情である。
(そういえば主人公もよくお弁当を用意していたわね。もちろん手作りで、攻略対象に渡すために)
「それとカルミアさん。大切なことを伝え忘れていました。これから何を食べても、この学食で不味いは絶対に言っちゃだめですよ」
「それが大事なこと?」
「なんでもこの学食のものを食べて不味いと言っていた人は、それはもう不幸な目にあうとかで!」
「なんて?」
「ああっ! さては信じていませんね!? 本当なんですよ! 実際に何人もの人が被害にあってるんですから!」
「はあ……」
「ホントなんですって! 足の小指をぶつけたり、コップが勝手に倒れて大事なノートが濡れたり、何もない所で転んだり、背中を押されたり、雨の日に傘を失くしたり、あとは、えっと……」
「一応、不吉な言い伝えがあることは理解したわ」
「良かったです。あ、もうすぐオープンの時間ですね。学食のオープンは十一時からですよ。今日も開店っと!」
「よ、よろしく……」
どうやらリシャールの元へ駆け込む時間は残されていないようだ。こうなったら仕事が終わった後、真っ先に乗り込んでやろうと決める。
生徒だろうと学食だろと、すでにカルミアの密偵生活は始まっているのだ。始まった以上は疑われないよう、表向きの職務を全うしなければならない。生徒ならば勉学を。学食勤務ならば料理の提供をだ。
「ところで私はロシュのサポートを? それともベルネさんのサポートに回ったほうがいい?」
ロシュはともかく、ベルネのサポートは不安だが、仕事であれば仕方がない。覚悟を決めるしかないだろう。
「うーん……どっちも一人で足りちゃうんですけど……」
「え?」
「あ、じゃなかった! えっと、じゃあその……臨機応変にお願いします!」
「わかり、ました」
ロシュには申し訳ないが、カルミアは不安しか感じていなかった。
元気っ子の攻略対象に、濃いキャラのおばあさんが登場され、賑やかになってまいりましたね。
書いていて楽しいです。
ここまで読んで下さってありがとうございました!
お気に入りに評価、ありがとうございました!