塩山一族
この事件が起こる10日ほど前ののどかな日、JR大糸線の
ジーゼル車に塩山清一と亜紀の父娘が乗っていた。
木崎湖から中綱湖、青木湖を経て白馬山麓をゆっくりと走る、
すばらしい眺めだ。清一が遠くを指差して、
「亜紀、見てごらん。あの山の上のほう」
「わあ、きれい!まだ雪があんなに残ってる」
「ああ、よく見てごらん。あそこ、何の形に見える?」
「お馬さん!お馬さんにそっくり!」
「ああ、お馬さんにそっくりだねえ。あれを目印にしてこの
村の人は田植えをするんだよ、だからここは白馬」
「ほんと?」
「ああ、ほんとさ」
あまりの美しさに、亜紀は大きなため息をついた。白馬の
次の駅が信濃森上の駅だ。白馬駅でほとんどの人が降りて
しまって、がらがらになった車内で二人降りる準備をする。
亜紀は小さな赤いリュックを背負い、清一も大きなリュック
を棚から下ろす。
「おばあちゃん、元気かな?」
「そうだな。去年おじいちゃんが亡くなって一年ぶりだ
もんな。でもそう変わっちゃいないさ」
「そうだよね」
仲のよい父と娘、顔を見合わせて微笑んだ。駅から踏み切り
を越えて田舎道を岩岳のほうへ歩む父娘の後姿。白馬八方
山麓を背景にそのシルエットが美しい。
その昔、塩山一族は森上から小谷村にかけての
塩の道を制する豪族だった。戦後の農地改革でも山林地主
として生き残り、祖父の代まで膨大な山林を所有していた。
父の代で山林は三分の一に減少したが、それでも時価十数億
の山林であった。その父が去年亡くなった。母ヨネからの
連絡で急遽亜紀をつれて久しぶりに帰郷した。ぐれて手の
つけられなかった弟清二も隣村から駆けつけて来ていた。
豹がらのミニスカートを着た女房春子を連れて。
ヨネは弟夫婦を心底毛嫌いしていた。ことに春子とは
全く気が合わなかった。父の遺言で全財産はしばらく
ヨネが一切管理することになっていたのだが・・・・。
ヨネには唯一の妹ヨシがいて、年は離れていたが一番
気の合う肉親だった。ヨシも5年前に亭主を亡くし、
一人娘の小百合とみそらのエコーランドで可愛い
ブティックを経営していた。今年29歳になる小百合
もまた、3年前に夫と死別して母の元に戻ってきていた。
仲のよい母娘であった。
ヨネは主人が死んでからこの1年、畑仕事をしながら
この大邸宅に独りで住んでいた。時々ヨシと小百合が
訪ねて来るくらいで閑散とした塩山邸であった。