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6.ナノネットとIoTの街

 (憑人・星はじめ)

 

 後三十分ほどで付喪神が出るという街に着こうかという辺りで、不意に山中さんが言いました。

 「星さん。これを飲んでおいてください」

 見ると、山中さんはカバンの中から、白いカプセルを取り出し、僕に向けていました。毎度のことなので、僕は戸惑いません。

 「はい。分かりました。いつものナノネット・カプセルですね」

 それを素直に受け取って躊躇なく飲み込みます。これは紺野さん特製のナノネットの入ったカプセルで、これを飲んで散策する事で僕は体内にナノネット情報を溜め込んでおけるようになるのです。ところが、完全に飲み込んでしまってから、山中さんはこんな事を言うのです。

 「今回のは新作だって言っていましたよ、紺野先生。期待しておいてください」

 その説明に僕は俄かに不安を覚えます。

 「新作?」

 「はい。何でも単にナノネットの情報を集めるだけじゃなく、星さん自身もそれを視覚として捉えられるようにしたのだとか」

 「それって要するに、ナノネットが見えるようになったって事ですか?」

 「いえ、それはちょっと誤解を招く表現かもしれません。飽くまで、イメージをそのまま視覚として捉えるという、つまりは幻視のようなものみたいですから」

 「なんだ。じゃ、いつもとあまり変わらないじゃないですか」

 僕は今までに何度かナノネットに憑かれて、ホラーな映像を見させられた事があるのです。もう二度と体験したくはありませんが。

 「変わりますよ。いつもはナノネットが星さんに幻覚を見せていたんですが、今回は星さんが積極的に見るんですから」

 「でも、自分でどんな幻覚を見るのかはコントロールできないのですよね?」

 「まぁ、そうですけどね」

 それならやっぱりいつもとあまり変わらないような気もしましたが、口には出しませんでした。少なくともその幻覚に悪意はないのでしょうから。

 「とにかく、紺野先生によれば実験は成功しているそうで、大きな副作用も今のところはなさそうだということです。多分、星さんも体験すれば分かると思いますよ。紺野先生、なんだか自信ありそうでしたから」

 「そういう説明を聞くと、却って不安になるんですが」

 と僕は笑いながら応えます。今までの体験が酷かったものですから。僕はもう怪体験なんかしたくないんです。怪しい事が大好きな山中さんには羨ましがられそうですが。

 ですが、それからしばらく車が走って目的の街に入ると、その山中さんの言葉の意味を僕は実感したのでした。

 「あれ? 山中さん。なんか空の様子がおかしくないですか?」

 空に模様が描かれているような妙な違和感を僕は味わっていたのです。

 「空? いえ、別に普通のよく晴れた青い空だと思いますが」

 しかしその山中さんの返答を聞いている間に、その違和感ははっきりと具体的になっていったのでした。

 波紋。

 街の様々な場所で、水の上にできる波紋のようなものが淡い光をまとって次々と拡散している。そんなどう考えても普通ではない謎の光景が、僕の視界には展開されてあったのです。直ぐに僕は察しました。

 「なるほど。これが“ナノネットを幻視する”って事なんですかね……」

 そしてそう呟きます。明らかに怪体験とは別物です。僕の呟きを聞くと、山中さんは興味津々な様子で「どんなものが見えるんですか?」とそう訊いてきました。

 「水のような光のような波紋がいくつも見えています。不気味ではありますが、綺麗でもあります。多分、その波紋の中心にナノネットがあるのじゃないでしょうか? でも、だとすればこの街にはこんなにたくさんのナノネットが繁殖しているって事になってしまいますが……」

 山中さんはそれを聞くと大いに悔しがりました。普段の彼女からは想像もできないような態度です。

 「ああ、羨ましい! 私も体験してみたい! なんで私はアンチナノネットなんて嫌な体質なのでしょう?」

 彼女は僕と逆で、ナノネットに感応し難い体質の持ち主なのです。それはそれでナノネット調査向きの体質なのですがね。ナノネットの浸食を受け難いので。

 「こんなものが見えていると、運転の邪魔になりそうですよ」

 と、それを聞いて僕は言います。波紋が飛び交う空間の中をドライブなんて、気が散って運転ミスしそうです。

 それから気を取り直したのか、山中さんは淡々とこう言いました。

 「とにかく、星さんのその新しい能力を使ってナノネットの密集地帯を発見したら、そこで聞き取り調査をしましょう。何か分かるかもしれません」

 それに僕はこう言いました。

 「別に僕の能力ってわけじゃないですけどね」

 困り顔で。

 それから僕はある方向に特にたくさんの波紋が発せられているのを見つけて、山中さんに「あっちの方にたくさん波紋があります」とそう言いました。山中さんはそれを受けると「分かりました」と言い、そこに向って車を走らせます。しばらく進むと、辺りの様子から町工場の密集地帯に向っているのだとなんとなく僕らは察しました。怪訝そうな口調で山中さんが言います。

 「おかしいですね。この街に出たっていう付喪神の噂話は、どちらかと言うと、生活臭が感じられる話が中心だったのですが。工場は不釣り合いです」

 それを聞いて僕は尋ねます。

 「例えば、どんな話なんですか?」

 それまで気付いていなかったのですが、僕は肝心の付喪神の噂についてまったく知らないままだったのです。怖そうな怪談ならあまり聞きたくはありませんが、付喪神なら大丈夫でしょう。単なる偏見かもしれませんが、昔話っぽいほのぼのとしたお話な気がします。山中さんは直ぐにそれを教えてくれました。

 「例えば、こんな話があります。

 一人暮らしをしている女性が夜寝ていると、“捨てないで、捨てないで”と外から声がする。ところが、不気味に思って外を覗いてみても誰もいない。怖いのを我慢して、外に出てみてもやはり誰もいなかった。何回かそれを繰り返すうち、やがてその女性は気が付いた。その声が聞こえて来る辺りはゴミ捨て場で、しかも先日、自分が捨てた冷蔵庫がそこにはまだ置いてある事を……。翌日、その冷蔵庫が回収されると、その声は聞こえて来なくなった。しかも、その声が聞こえていたのはどうやら彼女だけで、近所の人に尋ねてみても誰も知らなかった……」

 聞いてみると、それなりに怖かったです。聞こえるはずのない声と冷蔵庫が声を発していたのかも、という正体不明性は充分にホラーでしょう。山中さんは更に続けました。

 「この話には後日談がありあす。その女性は少し前に離婚していて、子供は父親の方に引き取られたらしいんです。そしてその“捨てないで”って声は、後になって思い返せば、自分の子供の声に似ていたような気がしたそうなんですよ。不安になって、子供に連絡を取ってみると子供は無事でしたが、その子が彼女に会えなくて淋しがっていたのは事実だったみたいで、何度か彼女の家の前まで来ていたそうなんです。彼女はそれで反省したのだとか。もうちょっと頻繁に会いに行ってやるべきだった、と」

 僕はそれを聞いて変に思いました。

 「そこまで聞くと、なんだか付喪神って感じじゃなくなっちゃいますね。物の霊じゃないじゃないですか。その子供の生霊みたいな印象を受けます」

 山中さんは頷きます。

 「そうですね。ただ、ナノネットを絡めて考えると、気になりませんか? どうして彼女には子供の声が聞こえたのでしょう?」

 それで僕は察します。

 「ああ、なるほど。冷蔵庫に憑いていたそのナノネットが子供の精神をコピーしていたって事ですか。それで、彼女に子供の声を使って訴えていたのかもしれないと」

 「はい。そうです」

 それから近づいてくる町工場を軽く見やってから、少しの間をつくると、彼女は再び口を開きました。

 「他にもパソコンや、スマートフォン、エアコンなどが“化けた”とする話がいくつかありますが、特徴的なのはそれらがいずれも電子機器の類である点です。採取して紺野先生に調べてもらえばはっきりすると思いますが、今回のナノネットはどうも電子機器が好きなようなのですよ」

 「なるほど。如何にも現代の付喪神って感じですねぇ」

 そう答えたところで、僕は目を見開きました。この辺りはナノネットの波紋が見える家が多いみたいなのですが、その中でもある家の波紋が特に大きく、しかも二重に見えていたからです。

 「ちょっと車を停めてください、山中さん」

 それでそう言います。すると彼女は「どうしたのですか?」と直ぐに車を停めてくれました。

 「ここの家、なんだかおかしいんです。ナノネットが二重にあるみたいな」

 「二重?」

 表札を確認すると、“高田・稲盛”と書かれてありました。二つ姓があるから、ナノネットも二重なんてそんな話ではないでしょう。一応、大よその場所をメモすると、それから僕らは車を降りて、その家を観察してみました。別に不可解な点は何もありません。普通の一軒家です。

 「……あの、何か?」

 しばらく観察していると、不意にそう話しかけられました。見ると、高校生くらいの気の優しそうな少年が家の中から僕らを見ています。この家の住人でしょう。

 「あ、すいません」

 と、山中さんがそれに返しました。彼女はとても機転が利く人なので、こういう時の対応は任せることにしています。多分、丸く収めてくれると思いますので。

 「私達はナノネットを調査している者なのですが、少し奇妙な点を発見してしまいまして。もしかしたら、この家ではナノネットを繁殖させていたりしませんか?」

 どう誤魔化すのかな? と僕は思ったのですが、ストレートにそう彼女は言いました。考えてみれば別に悪い事をやっている訳でもないので、隠す必要はないのです。

 それを受けると、住人だろう彼はなんでもない当たり前の事のようにこう返しました。

 「はい。ナノネットを繁殖させていますよ。この辺りの人達は、それを電子家具に振りかけてIoTをやっているんです」

 僕らはその説明に驚きました。

 「それは本当ですか?」と山中さん。

 「はい」とやっぱり当然の事のように彼は言います。“信じられない”といった感じで、それに山中さんはこう返しました。

 「あの、少しそれを実際に見せてもらってもよろしいでしょうか? とても興味深いお話なので」

 それを受けると彼は、不思議そうな表情を少し浮かべはしましたが、それから「構いませんよ」とそう言いました。警戒心のない少年です。確かに僕らは危険性のなさそうな二人組ではありますが。

 それから僕らは家に上げてもらって、実際にナノネットのIoTを見せてもらったのですが、目の前にしても、僕らにはそれがまだ信じられませんでした。パソコン画面やスマートフォンから、冷蔵庫やエアコンや太陽電池の様子をモニターできています。そればかりかどうやら簡単な操作までできるよう。機能としては当にIoTとして知られるそれで、これが本当にナノネットで行わているとはとても思えません。

 「ナノネットには精神に感応する作用がある事はご存知ですか? これだけナノネットがあれば何か影響を受けそうですが」

 一通り見終えると、山中さんは彼にそう尋ねました。何でもない質問だと思うのですが、ところが、それを受けると何故か彼は明らかに動揺を見せるのでした。

 「はい。ええ、一応は知っていますが。でも、実際に何かあったとかはありませんし、特に気にしてはいません」

 おや? とそれを受けて思います。僕らは顔を見合わせました。これは何かありそうだぞ、と。

 山中さんは少し考えると、次にこう言いました。

 「ナノネットを繁殖させているという事ですが、できればサンプルを少しいただけませんか? 非常に面白いナノネットの活用方法なので興味があるんです」

 それにすんなりと彼は「良いですよ」と、言いました。それから無造作に食卓に置かれているペットボトルを開けると、「何か、容れる物はありますか?」と尋ねてきます。

 「あの、まさか、それが……」

 思わず僕はそう尋ねてしまいました。彼は「はぁ、この中でナノネットを育てています」とあっさり返します。

 辺りがナノネットの波紋だらけだったので気付いてはいなかったのですが、意識を集中させてみると確かにそのペットボトルから強い波紋が出ているように思えます。それから山中さんは、用意していた採取用の容器にそれを入れたのですが、そのタイミングで僕は“そういえば”と、思い出したのです。

 「ところで、この家ではもう一つ、ナノネットを繁殖させていませんか?」

 僕はこの家から外に向かって発せられる波紋が二重になっているのを見たのです。ならば、これだけではないのかもしれないと思って尋ねてみたのです。

 すると、また彼は動揺しました。しかも、明らかに顔を赤くしている。

 「え。あ、はい。育てていると言えば育てていますが、それが何か?」

 そして、狼狽えながらそう返します。分かり易い人です。何かがあるのでしょう。他人には言い難い何かが。

 「よろしければ、それも少し分けていただけないでしょうか?」

 すかさず山中さんがそうお願いします。

 「別に良いですよ」

 動揺してはいましたが、彼はやっぱりあっさりとそのお願いを聞き入れてくれました。それから「僕の部屋で育ているんです」とそう言うと、彼は自分の部屋から同じ様なペットボトルを持ってきました。山中さんはその中の水も採取用の容器に入れます。

 その後で僕らは彼に質問をし、とある工場がナノネットを利用したIoTを始め、それがこの辺りに広まったのだと教えてもらいました。彼の家で育てているナノネットも元は近所から分けてもらったものだそうです。だから彼も躊躇なく僕らにサンプルを分けてくれたのでしょう。ナノネットを初めて利用したという工場の場所を教えてもらうと、早速、車に戻って僕らはそこを目指しました。

 車の中で、山中さんが言います。

 「悪い予感がします。まさかここのナノネットが人為的に繁殖されていたなんて。もしかしたら、神原先生が暗躍しているのかもしれませんよ。もし、ナノネットが意図的に広められたものだするのなら、それをやるのはあの人くらいしか思い浮かびませんから」

 「神原さん? って、あの時々耳にする厄介と言われている人ですか? でも、悪意を持ってナノネットを使う人ではないのでしょう?」

 それを聞くと、山中さんは僕を見ます。そして、「星さん」と一言だけ発して、しばらく無言のまま車を運転すると、それからゆっくりと口を開きました。まるで僕に忠告をするかのように。

 「私は、あの人をそれほど嫌いではありませんが、それでも注意は必要だと思っているんです。悪意がなければ、何も悪い結果を引き起こさないとは限らないですから……」

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