5.良い人は孤立する
(高校生・並木ヒカエ)
例えば、こんな“良い人”がいたとする。誰に対しても平等で、悪い点よりは良い点をできる限り見つけようとし、誰かが仲間外れになりかけたり、何か問題を抱えていたなら、ほぼ必ずカバーしようとする。
多分だけど、もし仮にそんな人がいたとするのなら、その集団ではいじめや仲間外れは起こり難くなるだろう。その集団は居心地の良い場所になると思う。ただし、それでもそんな集団内に漠然とした仲間グループのようなものは形成されるはずで、その場合、その“良い人”は他の人に比べれば恐らくは孤立してしまうのではないだろうか?
だって、誰も悪く言おうとしないのだ。誰かを悪く言う事で結束しようとする仲間グループにとってみれば、その“良い人”は異分子になってしまう。そして、どんな仲間グループにでも多かれ少なかれそんな傾向があるのは人間社会の悲しい性質。その良い人を迎え入れてくれるような懐の深い仲間グループは滅多にないだろう。だから、つまりは、そんな“良い人”は、孤立してしまい易いということになってしまう。
で、
――丹内穂香は間違いなく良い子なのだ。
――しかも、完全とは言わないが、先に挙げたような平等主義的な良い人に近い性格だろうと私は思っている。
誰も仲間外れにならないように立ち回り、皆の間を良好に保ってくれている。わたしはどちらかと言うと友達付き合いは好きじゃない。そんなわたしが、クラスの中で上手くやれているのは、もしかしたら、彼女のお陰なのかもしれないとも思う。一人でいても、蔑視やいじめの対象にならなくて済んでいる。それを恐れる必要もない。私は孤独が好きだから、非常に気楽に過ごせて助かっている。そして、そんなわたしと同じ様に、丹内穂香も孤立しているのじゃないかと思う。もちろん、先に説明したようなことが原因で。
ただ、或いは、丹内穂香はわたしと違って孤独を好むという性質ではないのかもしれないとも思う。彼女は誰かと一緒にいたがっているのじゃないか。だからその孤独が辛いのじゃないか。彼女が哀しそうな表情を見せるのに気が付く事が偶にある。
誰かが誰かの悪口を言っている。丹内穂香はそんな場面に出くわすと、大抵はフォローをする。
「誰にだって欠点くらいあるわよ。もちろん悪い点を指摘し合って良くしていこうってのは大切だけど、ある程度で妥協して、お互いを許し合っていかないと、永遠にいがみ合う事になっちゃうわよ」
そんな感じで。
だけど、それを言われた相手はあまりピンと来ない様子で不機嫌な色合いを含めた不思議そうな瞳で彼女を見返すのだ。
そして、そんな時、丹内穂香はとても哀しそうな表情を見せる。
恐らく、相手は彼女の言う理屈は理解できている。だけど、その相手にとってみれば、根本から発言理由が違うのだと思う。
欠点があるから悪口を言っているのじゃなくて、悪口を言う為に欠点を探している。きっとそうなのだ。だから、丹内穂香の言葉は正論ではあるけど的外れ。丹内穂香自身にそれが分かっているのかどうかは読み切れない。だけど、どちらにしろ彼女が根っからのお人好しであるのは変わらないと思う。そしてそんなお人好しであるが故、彼女には誰かを悪く言うことで快感を覚える人の気持ちが理解できない。そしてだからこそ、そこにある断絶を、彼女はどうする事もできない。
そんな構図。
理不尽で納得がいかないと思うのは、わたしだけじゃないだろう。
「――男だな。その娘に必要なのは」
姉貴がそう断言した。
姉貴は既に家を出ていて、滅多に帰って来る事はない。ただ、思い出したかのように久しぶりに顔を見せる時がある(本当に思い出しているのかもしれない)。姉貴は別に相談し甲斐のある相手というのでもないのだけど、一応、人生の先輩なので、わたしは丹内穂香の件について語ってみたのだ。
もっとも、その断言を受けて、相談しなければ良かったと後悔したけれど。
「姉貴の願望でしょ? それ?」
それでそう言うと、姉貴は心外だとばかりにこう返して来た。
「何を言う、妹よ。私はちゃんと考えた上で発言したのよ?」
わたしには条件反射で応えたようにしか思えなかった。
「その娘は、女友達の人間関係で孤立しちゃっているのでしょう? なら、男よ。男はそーいうの気にしない人も多いから。もちろん、冷たい男は駄目よ? 優しくて包容力のあるようなタイプ。そーいうタイプにたっぷりと慰めてもらうのよ!」
そう言いながら、姉貴は頬を赤らめつつ誰かと抱きしめ合っているかのような動作をした。やっぱり自身の今の願望を語っているようにしか思えない。
「ま、騙されたと思って一度試してみなさいってば。きっと上手くいくから」
何を根拠に姉貴がそんな事を言っているのかは分からなかったが、わたしに他に何も案が思い付かないのも事実だった。
それに、そんな男の当てならない事もなかったりするのだ。
稲盛太一、という男生徒。
絶対に彼は丹内穂香を好きだ。態度がかなり怪しかったから話を聞いてみたら、どうやら彼は彼女と同じ中学だったらしい。しかも懸命に勉強して、ワンランク高いうちの高校受験にパスしたとも聞いている。多分彼女と同じ学校に通う為だ。なら、ほぼ決まりだろう。
包容力が高いタイプかどうかは分からないし背はやや高めだけどヒョロッとしているから頼りにならなそうだが、少なくとも彼は優しそうではある。彼なら、彼女の孤独を癒してくれるかもしれない。
「そうね。向こうにとってみれば、余計なお世話かもしれないけど、試してみようかな」
姉貴の言葉にそう返すと、姉貴は「え? なになに? そんな感じの男の知り合いがいるの?」とそう言って来た。えらい食いつきようで。
……自分の好みを言っていただけだったのがバレバレだ。「歳の差を考えろ」と、わたしはツッコミを入れてやった。
学校の昼休み。
稲盛太一がうちのクラスに顔を見せていた。同じ中学の友達がいるから、というのがその理由だが、きっと表向きだろう。恐らく、彼は丹内穂香目当てで来ているのだ。注意深く観察していると、彼女を意識しているのが簡単に分かる。チラチラと見ているのだもの。
さて。どうするか。
と、わたしは思う。丹内穂香と稲盛太一をくっつけるには、まずはどちらかにコンタクトを取らなくては始まらない。こーいう時、どうすれば自然にできるのか、人間関係に不器用なわたしにはよく分からない。で、悩んでいても仕方ないので、正面からぶつかってみる事にした。ぶっちゃけ、面倒くさくなったのだ。
「稲盛太一君だっけ? 少し話があるのだけど、付き合ってくれない?」
友達と話している彼の所へ行くと、わたしはそう言ってみる。教室の外を指し示しつつ。彼は驚いたような顔をしていた。もっと言うと怯えたような顔を。しめられるとでも思っているのかもしれない。失礼な。これでもわたしは一応、カワイイ女の子だ。
稲盛太一と教室を出る時、丹内穂香の様子を見てみると、こちらを気にしている様子が見て取れた。もしかしたら、あっちも彼を満更でもないのかもしれない。
人気のない校舎裏にまで行くと、「あの、僕に何の用?」と相変わらず怯えたような感じで彼はそう尋ねて来た。尋ねられて私は困る。なんと言って切り出せば良いのかまったく何も考えないでここまで来てしまったからだ。で、取り敢えずはこう言ってみた。
「丹内さんっているでしょう?」
「い、いるね」と彼。
平静を装っているっぽかったが、まったく装えていない。彼女の名前が出ただけで、著しく反応している。かなり間抜けに思えたが、わたし的には好印象だった。騙すのが巧みなタイプでは、丹内穂香を癒せやしないだろう。多分だけど。
「彼女の事をどう思う?」
直球勝負とばかりにわたしはそう尋ねる。すると、彼は顔を真っ赤にした。
「どうって別に……」
はい。確定。
それを見てわたしはそう心の中で判決を下した。これはもう彼は彼女に気があるで間違いはない。
それからわたしは少し考えると次にこう言ってみた。
「彼女ってば、実は女子の間で孤立しちゃっているのって知っていた? ほら、あの子、空気を読まないとかそーいうところがあるから」
今度は変化球だ。この言葉にどんな反応を見せるかで、この男が信頼に足るかどうかが分かる。わたしはそう考えたのだ。わたしの言葉に乗っかって、彼女を批判するようならもちろん完全にアウト。
「へぇ、そうなんだ……。でも、別に僕はそれが悪い事だとは思わないけど」
彼は表情を曇らせるとそう言った。どうにも彼女を心配しているようだ。自分が助けてあげたいとか思っているのかもしれない。これなら問題はなさそうだ。
で、
「はい。合格っ!」
と、それを見てわたしはそう言った。人差し指を彼に向けつつ、ドビシッと。彼は何のことか分からなかったようで、「え、何が?」と首を傾げる。頭の上にはてなマークが出現。普通は分からないだろう。真っ当な反応だ。だからわたしは続けてこう言った。
「あなた、丹内さんと付き合いなさいな。そして孤立している彼女を癒してあげるのよ!」
それを受けて、彼の頭の上にはより一層大きなはてなマークが出現したようだった。しかも、照れ混じりで朱色に染まったはてな。顔を赤くしつつ固まっている。
これも無理はない。真っ当な反応だろう。なので、わたしはそれから彼に事の経緯を簡単に説明したのだった。
で、
「話は分かったよ。分かったけど、いきなり過ぎない? どう捉えれば良いのか、ちょっと頭が混乱している」
わたしが話し終えると、彼は動揺しつつそう言った。
「いきなりなのは認めるけど、混乱するような話じゃないわよ。あなたの恋の手助けをしてあげようってだけだもの。それとも、丹内さんの事が好きじゃないの?」
面倒だったので一気に押し切ってやろうと思ってわたしはそう言う。すると彼は更に動揺をした。
「いや……、そ、そーいう事じゃないけども、その、なんと言うか……」
煮え切らない。
わたしはあと一押しとばかりに口を開く。
「なら、この話を他の男子に持っていきましょうか? 彼女なら、付き合いたいって相手は簡単に見つかると思うわよ?」
それに稲盛太一は慌てる。
「いや、待って! それは困る!」
その反応にわたしは気を良くした。とても分かり易い。他の男を探すってのも面倒で嫌だ。彼に気合いを入れてもらわなくては。
「ふーん。で、どうするの?」
と、揺さぶる為にそう尋ねる。ところが、この期に及んでまだ彼はぐずるのだった。
「いや、でも…」
なんて言葉を濁す。往生際が悪い。いい加減、うざったくなってきた。ところが、怒鳴ってやろうかと思ったその時に、いきなりこんな声がわたし達の間に飛び込んで来たのだった。
『いい話じゃないか。協力してもらいなよ。彼女、女生徒だし、けっこー助かるゼ』
それは彼のズボンのポケット辺りから聞こえた。
「え? 何?」
とわたしが尋ねると、彼は慌てた様子でこう返す。
「いや、これは違うんだ。ちょっとスマフォが勝手に鳴っただけで」
わたしはそれに首を傾げた。
「スマフォが勝手に鳴っているにしては、会話に入って来ているように思えるけど?」
「それは偶然で……」
「偶然~? 怪しいわね。そう言うなら、そのポケットに入っている物を見せてみなさいよ」
それを聞くと、渋々ながら彼はポケットの中から声を発していた物を取り出した。するとそれは彼の言う通りにスマートフォンだったのだった。
なんだ… と、それを見てわたしは落胆する。もっと面白い物が見られると思ったのに。ところが、そのタイミングでそのスマートフォンは再び声を発したのだった。
『どうも、初めまして。ボクはこの稲盛太一のスマートフォンで、太一はボクにイズなんて名前を付けてくれた。イズ君と呼んでくれよな!』
しかも、そのスマフォからラクガキのような手足が薄っすらと見えているような気もする。画像部分にもやはりラクガキみたいな顔がとても薄くだけど映し出されてあった。声の存在感に比べればとても頼りないが、それでも異様は異様だ。
「へ? なに、これ?」
今度はわたしの頭にはてなマークが出現する番だった。混乱しているわたしに向ってスマフォは更に言葉を重ねて来る。
『ボクも太一の恋愛成就に協力しているんだ。つまり、ボクと君の目的は同じだって事だ。バリバリ協力していこうじゃないか!』
わたしはそれを受けると、稲盛太一に視線を移しつつこう尋ねた。
「これ、何なの?」
額に手を当てながら、彼はこう返す。
「見ての通り、スマフォだよ。なんか化けちゃったみたいなんだ。そして、そいつの言う通り、どうやら僕の恋に協力をしてくれるつもりでいるみたいなんだけど……」
彼はなんだか観念したってな様子だった。そしてわたしの頭はまだパニックに陥っていた。この信じられない現象を、どう捉えたもんだか分からない。がしかし、そこにあるからには仕方ないだろうとも思う。
「よろしく」
と、わたしはそう言って、わたしはそのスマフォと握手しようと手を出した。なんでそんな行動に出たのかは自分でもよく分からない。きっと頭が正常に働いていなかったのだろうと思う。
向こうから出された手を握ってみたけど、薄っすらとした感じ通りに、何の感触も感じられなかった。どうしてなのか、わたしはそれにほんの少しだけ安心をしていた。多分、もし手応えがあったらどうしようと無自覚に不安を感じていたのだと思う。




