4.遂に社長がおかしくなかったかと思った
(工場作業員・笠間昇)
初め、正直俺は、遂に社長がおかしくなかったかと思った。
ナノマシン・ネットワークを使えば、IoTが格安で実現できるとか、そんなとんでもない事を社長が言い出したからだ。しかも、そのアドバイスをしたのはカウンセラーなんだそうだ。どうしてカウンセラーがそんな入れ知恵をするのか意味不明だ。具体的な話を直接社長から聞いた訳じゃないが、明らかに社長は浮かれていたし、普通じゃないのだけはよく伝わって来た。
そもそもナノマシン・ネットワークなんて、都市伝説みたいなもんだ。そんなものに社長が本気で手を出すようじゃもう駄目だろう。この会社は長くない。
当時、そんな事を俺は考えた。
やっぱり、こんな中小企業じゃなくて、でっかい企業へ就職しておけば良かった、と。もっとも、したくてもできなかったんだがな。
ここ最近、うちの工場の業績は下がり続けている。明日明後日で潰れるとか、そこまで事態が逼迫している訳じゃないが、時間の問題だろう。十年も経てば危うくなる。そんな事情があるから、社長が追い詰められているってのは社員は皆知っていた。それで目が曇っているんだろうってのが、ナノネットの話を聞いた時の社員達の大体の反応だ。
コストを削減したいのはよく分かるけど、いくらなんでもナノネットじゃ怪し過ぎるからな。
ベテラン達に払っている高い給料を減らせば良いとか俺みたいな下っ端は思わないでもないが、もうすぐ退職するベテラン達にとってみれば、老後の貴重な資金だし、これまで工場を支えて来たのは自分達だって自負もあるから、認めはしないだろう。
もっとも、そんな事を言ったら、俺なんかが爺になって退職する頃には、年金制度だって破綻しているだろうし日本経済は更に衰退しているだろうしで、今のベテラン達よりも立場はもっときついワケだから、その辺りの事情を慮ってくれ、と思わないでもない。思わないでもないが、そんな主張はまず通らないだろう。
力を持っているのはあっちだ。
だから俺は、工場が潰れる前提で仕事をやった。ただし、手を抜いたってワケじゃない。むしろ逆だ。懸命に真面目に仕事をやった。潰れそうな工場を俺が救おうとか、そんな無謀で熱い気分に酔っていたってんじゃない。退職するまでにできる限り多くのスキルを身に付けておいた方が良いと考えただけだ。
技術職の良い点は、会社が潰れてもスキルさえあれば就職口にそれほど困らないってところだ。もっとも、もちろん、その技術が必要とされているって前提だがな。
とにかく、そんな感じで、社員は誰もナノネットによるIoTの導入で工場が上手くいくなんて思っちゃいなかったんだ。ところがだ。うちの重役達が社長のナノネットの説明と実演を見て帰って来ると、状況が一変した。重役達のほとんどが乗り気になっているんだ。乗り気じゃない重役も少しはいたが、強く反対する様子はない。渋々、認めているように見えなくもなかった。
なんだ、こりゃ? ビョーキが伝染でもしちまったのか?
俺らみたいな下っ端社員はそれに戸惑った。戸惑ったが重役達がその方向で動いているってなら止めようもない。そして、それから程なくしてナノネットの導入が始まった。試験的に、一部の機器でそれを試してみる事に決まったんだ。ただ、その光景も怪しかったよ。霧吹きでナノネットが入っているんだとかいう水を機器に振りかけていやがるんだ。しかも、社長自らが。率先して。
しかしだ。それを馬鹿にしていた社員はその効果を目の当たりにして、直ぐに態度を変えちまったんだ。もちろん、俺も含めて。
だってよ? 本当にたったそれだけで、機器の情報がパソコンに入って来るようになったんだぞ? まるで魔法かなんかを見せられている気分だった。もっとも、ナノネットを訓練したり、その扱いに慣れる必要もあるらしいから過大な期待は禁物だが、それでもそれは充分なインパクトを放っていた。
その時、
「とにかく、しばらく使ってみようじゃないか」
なんて感じの意見が、皆の中のコンセンサスになっていたのじゃないかと思う。そして俺らは直ぐにその威力を認めるしかない状況に追い込まれたのだった。
誰も何も点検しなくても機器の不調が適格かつ迅速に分かる。効率の良い稼働方法を導き出してくれる。そればかりか、社員の体調までそのナノネットは心配してくれた。
「いやぁ、蔵ぼっこさんのお陰で、随分と楽になったなぁ」
ナノネットを使い始めの頃は良い顔をしていなかったベテランさえも、やがてはそんな事を言うまでになっていた。
あ、因みに“蔵ぼっこ”っていうのは、俺らが工場のナノネットに名付けた名前だ。これは座敷わらしみたいな妖怪の一種の名前らしい。誰が言い始めたかは知らないが、相応しいってんでいつの間にか定着していた。ここは蔵じゃなくて工場だけどもさ。
とにかく、ナノネットによるIoTの成果は上々で、新しく導入する工場の設備にも活かされる事が決まった。これで安泰ってワケじゃないが、それでも希望が見え始めたのは事実だろう。工場は潰れなくて済むかもしれない。
が、そうして上手くいけば、当然ながらそれは噂になる。人の口に戸は立てられない。いや、そもそも立てようとしていたかどうかすらも怪しいんだが、とにかく、近くの他の工場やなんかの連中もその噂を聞きつけて、うちの工場にやって来たんだ。
苦楽を共にしてきたって言うと言い過ぎだが、それでもその連中とは“困った時はお互い様”な関係ではあった。競合していない所もあるし、教えないのも薄情ってんで、うちの社長はその連中にナノネットを教えちまったんだ。すると、それは瞬く間に広がっていった。結果的に、この辺り一帯の工場で、ナノネットが使われるようになった。
いやぁ、うちでナノネットを使い始めた頃には、こんな事になるなんて思いもしなかったよ。お陰で衰退ムードが漂っていたこの近辺は、俄かに活気づいて来た。心なしか、人や店も増えた気がする。
もっとも、不安がないってワケじゃない。
このナノネットが本当は何で、どんなものなのか、実を言うのなら俺らは誰一人として何にも分かっていないんだ。そんなものを躊躇なくこんなに繁殖させちまって本当に良かったんだろうか?
マシンって言っても、ナノマシンは細菌みたいなもんで、はっきり言って人間とはまったく違う独立した生物で理解しようにも理解できないもんだろう。管理なんか無理だ。本来は、だから、何をするか、分かったもんじゃないモノなのかもしれない。
俺はそんな不安を漠然と抱いていたんだが、そんなある日、妙な二人連れがうちの工場を訪ねて来たんだよ。
「ここが、この地域でナノネットを一番早く導入した工場だって聞いて来たんですが、合っていますか?」
その二人連れは男と女だったが恋人って雰囲気じゃなかった。女の方は社会人っぽかったが男はまだ学生に見える。だから、何かの仕事で来ているようにも思えなかった。年齢的には姉弟ってのが一番しっくりくるが、それも違っているようだった。
「ああ、そうだけど」
俺がそう応えると、女は愛想よく笑ってこう言った。
「良かった。あ、申し遅れました。私達はナノネット研究者の依頼でここら辺のナノネットの調査をしている者です。私は山中といいます。こちらは星」
それから、垢ぬけた感じで女は名刺を出して来た。“紺野ナノマシンネットワーク研究所 調査員・山中理恵”とそこにはそう書かれてあった。男の方は控えめに一礼する。気の弱そうな感じで。
なんかよく分からないが、怪しい。
直ぐに追い返しても良かったが、ナノネットには俺は興味があった。何か面白い話が聞けるかもしれない。そう思って、俺は少しこいつらと話をしてみる事にしたのだ。
女は俺の様子を見て話をしても問題ないと判断したのか、続けてこう質問して来た。
「失礼ですが、もしかしたら、この工場にナノネットを紹介したのは、神原徹という名のカウンセラーではありませんか?」
「神原徹? いや、名前までは知らないが、カウンセラーだとは聞いているよ」
その俺の答えに女は“ああ、やっぱり”って感じの表情を浮かべた。
「ちょっと待て。そのカウンセラーに何か問題でもあるのか?」
訝しく思った俺はそう尋ねる。
「いえ、問題というか、なんというか、多少厄介な人なものですから……」
「なんだと?」
「具体的には、人を化かすというか……」
「化かす? 詐欺ってことか?」
困った表情を浮かべると、それに女はこう答えた。
「いえ、世間一般でイメージされているような詐欺とは違います。ただ、こうしてあの人がナノネットを広めさせたのには、多分、何か私達が想像もしないような別の目的があるのじゃないかと思うのです」
女の返答に俺は不安を覚えた。
「別の目的? よく分からないな。結局、そいつは何をするんだ?」
それを聞くと、女は「それは私達にも分かりません。ただ、恐らくはあの人は実験をしようとしているのじゃないかとは思います」と、そう言った。
「実験? ナノネットのか?」
「いえ、人間心理のです。彼はカウンセラーですから。しかも、集団心理に強い拘りを持っている人です。その研究手段としてナノネットを使うんです」
「心理の研究でナノネットを使う?」
「はい。ナノネットは、人間心理に感応するんです。心当たりはありませんか?」
そう言われて俺は思い出していた。工場のナノネット“蔵ぼっこ”は、俺らの体調なんかも心配してくれている。そういう態度があったからこそ、俺らはナノネットを早く受け入れられたってのもあるかもしれないが、あれはつまりは俺らの心理に感応していたって事だろう。
俺が困惑していると、女はこんな説明をして来た。
「私達はこの地域に付喪神…… 器物の霊が出るという噂を聞いて調査しに来たんです。もしかしたら、それはナノネットが原因かもしれないと思いまして。ところが、話を聞いてみると、この地域のナノネットは人為的に繁殖させられたものだというじゃありませんか。そんな事をするのは、神原徹というカウンセラーしかいないのじゃないかと考えて私はお尋ねしたんです」
俺はそれを聞くと、女にこう訊いた。
「もし、その神原とかいう男に何か悪意があったら、俺らはどうすれば良いんだ?」
すると、女は申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「それは私には分かり兼ねます。ただ彼はそれほど危険な人ではありません。恐らく、悪意はないと思います」
「いやいや、ちょっと待ってくれ。そんな説明じゃ安心できないって。もっと安心できるような説明をしてくれよ」
「調査をしてはいますが、私の専門は実は社会科学で、ナノネットは専門外なので、それはできません。もちろん、専門家もちゃんといますが」
そう言って、先に俺に渡した名刺を目で示すと女はこう続けた。
「何か異変があったなら、その名刺に書かれてある“紺野ナノマシンネットワーク研究所”に連絡を取ってみてください。そこの所長の紺野先生はナノネットのプロフェッショナルですから、きっと力になってくれると思います」
その言葉を聞いて、俺は名刺を目で追ってみた。そこには“紺野秀明”と、フルネームでそう書かれてある。
名刺なんかを大切にした事はなかったが、この名刺はなくさないように保管しておこうと、俺はそう思った。
因みに二人連れのもう一人、星とかいう名の男の方は始終黙っていたが、何もしていないってワケじゃないようだった。ずっと空間を観るような変な仕草をしていて、しかも、去り際、何事かを女に耳打ちしていたから。何かを調べてやがったんだ。
多分、ナノネット関係のなんかだろう。
本当に色々と怪しい。
俺はそれを見て、やっぱりナノネットになんか関わるべきじゃなかったんだと、そう思った。