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2.物持ちがいい

 (高校生・稲盛太一)

 

 高校に入学して半年も経っていなかった頃の事だと思う。急に両親から仕事の都合で転勤が決まったと言われてしまった。だから、あなたも転校しなくちゃいけないのよ、と。僕はそれに反対した。苦労して勉強してなんとかレベルの高い学校に合格できたのに、転校なんて冗談じゃないって。

 僕にとって運が良かったのは、高校に通える距離に一人暮らしをしている叔父さんがいる事だった。母方の弟にあたる人で、一軒家を買ったは良いが一人で住むには広過ぎて持て余しているらしい。いくつも部屋が余っているんだ。この叔父さんがけっこうなお人好しで、大体の頼みを聞いてくれる。

 案の定、「転校をしたくないから、叔父さんの家に住ませてくれない?」とお願いをしたら簡単にOKをしてくれた。もっとも、家事をやるという条件付きだったけど。

 叔父さんが僕の同居を認めると、両親は大して反対もせずに僕がここに残るのを許してくれた。まぁ、元来、いい加減というか大らかというか、そういう事をあまり真剣に考える性質じゃないんだ、二人とも。

 

 「プレゼントは、スマートフォンで良いか? 太一のはもう随分と旧いやつだろう?」

 

 叔父さんと暮らし始めて、初めての誕生日を迎えるようかという頃、夕食の時に僕はそう叔父さんから尋ねられた。正直言って、誕生日プレゼントなんて考えもしていなかったので少し意外に思った。そもそも僕は居候なわけだし、貰えるような立場じゃないし。

 「ま、なんとなくこなさいと、座りが悪くてさ。こーいうのは」

 僕が気にしなくて良いと言うと、叔父さんは肩こりをもみほぐすような動作をしながらそんなことを言った。いい加減だと思いきや、妙に律儀なところもあったりするんだよな、この人は。

 「で、どうするんだ? プレゼントはスマートフォンで良いのか?」

 僕はその問いに少し悩むと、

 「うーん。スマフォはいいや」

 と、そう答えた。

 「どうして? もっと性能が良いのを欲しくならないのか? 今は随分と性能が上がっているぞ?」

 叔父さんの言う事は正しい。僕が今のスマフォを買ってもらったのは中学の頃で、しかも中古だったからかなりの旧型のはずだ。普通の一般的な子供は、最新型を欲しがるものだろう。

 僕は少し考えると、目の前にあるコップに入った水を一口飲んだ。水はぬるくてまずかった。食卓に置いてあったペットボトルの中の水をいれたのだけど、ずぼらな叔父さんは冷蔵庫に入れないで出しっぱなしにしていたらしい。氷でも入れればよかったと後悔しながら、叔父さんの質問に僕はこう返した。

 「なんと言うか、あまり捨てる気になれなくてさ。だってまだ充分に使えるんだよ? もったいないじゃない」

 それを聞くと、叔父さんは妙に感心した素振りを見せて、「ふぉーん」と変な声を出した。

 「太一は物持ちがいいんだな。最近じゃ珍しい」

 「そおぉ?」

 「そうだよ。今はパソコンとかネットに繋がるものは特にだけど、旧いものはどんどん捨てられる時代だからなぁ。OSとかブラウザとか、昔のが気に入っていてもほぼ強制的に最新版になっちまう。セキュリティ問題があるし、最新版にしないとネットを楽しめなかったりもするから仕方ないんだが……

 そーいうのに慣れている今の子は、物を大切にする感覚とかなくなっているもんだと叔父さんは思っていたよ」

 僕はそれを聞くと笑った。

 「そんなに単純なもんでもないよ」

 と、そう返す。

 本当にそんなに単純なもんでもないけれど、実を言うとこの返答には少しばかり誤魔化す意味も込めていた

 何故なら、僕が今持っているスマートフォンを手放したくないのは、“もったいない”と思っているからではないからだ。僕のスマートフォンには忘れたくない、“好きな女の子”との思い出があるのだ。

 ちょっと、と言うか、かなり恥ずかしいのだけど。

 白状ついでに更に白状しておくと、今の高校を転校したくなかったのもその子が同じ高校に通っているからだったりする。何を隠そう、僕は自分よりも偏差値の高い彼女と一緒の高校に通う為に、猛勉強までしたのだ。それで晴れて同じ高校に通える事になったのに、呆気なく転校してお別れとか冗談じゃない。僕が両親と離れて暮らす決断をしたもの分かってもらえるのじゃないだろか?

 「まぁ、とにかく、誕生日プレゼントは何が良い? いくら物持ちがよくても欲しいものくらいあるだろう?」

 叔父さんがそう尋ねて来たので、僕は少し考える振りをしてからこう答えた。

 「金…… が、いいかなぁ?」

 すると叔父さんは、呆れたように笑いながらこう言った。

 「味気ないなぁ…… この正直者め!」

 だって、もし仮に、色々と上手く運んで彼女とデートをする事にでもなったら、資金はやっぱり必要じゃないか。

 

 ――それは僕がまだ中学の頃だった。

 僕は丹内穂香さんという名の女の子と、偶然に同じクラスになった。その前から“可愛い子だな”なんて思っていたものだから、一緒のクラスになれて少し浮かれた気分になったのをよく覚えている。

 ただ、だからと言って別にお近づきになりたいとか、ましてや恋人になりたいとか、恋人になったら当然するだろう色々な事をしたいとか、そーいうのを思っていたわけじゃない。単純に同じクラスに可愛い子がいて嬉しいっていうそれだけのものだ。何しろ、それまで僕は彼女と話した事もなかったのだから。それがはっきりと恋愛感情と呼べるものに変わったのは、さっき述べた旧型のスマートフォンが切っ掛けだった。

 その日、日直で僕は早朝に登校して教室に入った。そして、誰もいないと思っていたそこに、何故か彼女はいたのだ。

 僕にとって、それはまるで不意打で、大いに衝撃を受けたのだった。

 彼女はどうも髪を切ったばかりのようで、綺麗に揃えた髪を風になびかせ、教室の窓から外を見ていた。彼女はとても気持ちよさそうにしていて、光を浴びている姿はまるで人ではないようだった。なんと言うか神秘的で、精霊が神格化した女神のようだった。

 僕は彼女に見惚れてしまい、そこでボーっと立ち尽くしていた。やがてそんな僕に彼女は気が付いた。

 そして、僕を見るとにっこりと笑って、「おはよう、早いのね」なんて言って来た。僕はそれを何処か遠くの世界で聞いていて、自分に向けられた言葉であると理解しながらも、物語の登場人物のセリフのようにそれを感じてしまって……、早い話が何も反応できなかったのだ。そして、

 「どうしたの?」

 という彼女の次の言葉で我に返った僕は、思わずこう返したのだった。

 「あ、ごめん。見惚れちゃってた。あんまり綺麗だったものだから……」

 どうしてその時の僕にそんな恥ずかしいセリフが言えたのか、今でもよく分からない。多分、まだ頭が半分くらい夢の中にあったのだと思う。だけど、とにかく、それが良かった。それで彼女はとても嬉しそうな表情を見せたのだ。

 「本当?! 良かったぁ! 実は昨日、髪を切ったばかりだったのよね。似合うかどうか不安だったんだ。ありがとう!」

 その彼女の反応は、とても無邪気で、先に受けた神秘的な印象とは程遠く、しかしだからと言って僕が彼女に幻滅したかと言うと全然まったくそんなわけはなく、というかむしろ逆で、そのギャップに僕はすっかりやられてしまっていたのだった。

 “カワイイ! 物凄く!”

 僕は自分の顔が熱くなっているのを感じていた。それに気づいていたのかいないのか、その時彼女は僕が手に持っているスマートフォンを見てこう言ったのだ。

 「あ、スマフォ持っているんだ。なら、お願い。ね、写真撮ってよ。記念に残しておきたいの。今日、わたし、忘れちゃって」

 僕はその言葉にドキリとした。

 「記念?」

 「そう。記念。

 髪型なんて直ぐに伸びて変わっちゃうでしょう? だから、稲盛君が褒めてくれたこの瞬間のこの髪型を残しておきたいの」

 僕は自分の心臓が激しく鼓動を打つ音を聞きながら「ああ」とそれに答えた。僕は“記念”と聞いて“僕が彼女にときめいた記念”とかを言っているのかと勝手に勘違いをしていたのだ。

 なんでか分からないけど。

 それから僕は屈託なく笑いながらピースをする彼女をスマートフォンで撮った。その写真写りを見て、「わぁ、ありがとう! これ、わたしにメールで送っておいてね」と彼女はそう嬉しそうに言う。

 僕は反射的にそれにこう返していた。

 「いや、僕、丹内さんのメルアド知らないんだけど……」

 そしてそれを受けると「あ、そうか。じゃ、メルアド交換しようよ」と、彼女はそう言って、あっさり僕にメルアドを教えてくれたのだった。

 ……まぁ、男なら、こんな事があったなら普通は期待するものだと思う。そしてその期待は、その時、僕の彼女への曖昧な恋愛感情をリアリティあるものへと昇華させてしまったのだった。

 もっとも、彼女がどんな感情を僕に抱いてているのかはまったく分からない。ただ、それから他愛のない内容ではあるけど、彼女とは何度かメールのやり取りをしているから、悪くは思われていないだろうとは思っている。

 

 「でも、その後、何の進展のないんだよなぁ」

 

 僕は自分の部屋で、その時の彼女の写真をスマフォで眺めながらそうぼやいた。スマフォの中には、あの時の鮮烈な体験が今もくっきりと切り取られて残っていて、写真を見る度にそれを思い出す。

 やっぱり、このスマフォは特別だ。

 だから僕はそう思っている。

 もちろん、スマフォ間でデータ移行ができる事は知っているけど、これはそういう話じゃないんだ。このスマフォを手放してしまったなら、あの思い出はもう永遠に戻ってこないだろう。

 屈託なく笑う彼女の写真をしばらく眺め続けると、少し僕は憂鬱になった。

 あの最初の思い出を除けば、彼女と交わした会話の中で、多少なりとも情感のこもったものは、「おめでとう。また、三年間よろしくね」という、僕が高校受験に合格して彼女と同じ高校に通う事が決まった時にしてくれた祝福の言葉くらいだったからだ。

 しかも、高校に進学がしたら、彼女とは別々のクラスになってしまった。彼女は可愛いから狙っている男も多いだろう。はっきり言って、心休まらない悶々とした日々を僕は過ごしている。

 果たして、どうすれば僕は彼女と恋人同士になれるのだろう? 早くしなければ、別の男に先を越されてしまう!

 

 「うーん。デートとは言わない。でも、できればせめて毎日、何か話がしたい! どうすれば良いんだ?!」

 

 思わず僕はそう独り言を言ってしまった。すると、その次の瞬間、こんな声が聞こえて来たのだ。

 『“将を射んと欲すれば先ず馬を射よ”なんて言うし、まずは彼女のスマフォに気に入られるってのはどうだろう?』

 なんだ?

 僕の頭は軽くパニックになった。部屋を見渡しても誰もいない。しかも、それは僕の手にしているスマフォから聞こえて来たような気がしたのだ。

 幻聴だと思い込もうとしたのだけど、ほとんど間を空けず、スマフォは再び声を発したのだった。

 『ヨッ! 喋るのは初めてだな。ダガ、多分、ボクは君の一番の相棒だ。もちろンだかラ、是非とも君の恋愛成就に協力をしたいとも思っているんだゼ』

 しかも、スマフォにはラクガキのような手足が生え、それがにょろにょろと蠢いていて、画面部分にはやはりラクガキのような顔が映し出されてあったのだ。

 「ヒィッ!」

 僕は小さく悲鳴を上げ、スマフォを落としてしまった。幸い、ベッドの上だったけど。スマフォはそれから『オイオイ。随分じゃないか』とそう文句を言って来た。

 幻覚だ…… 幻覚に決まっている。

 それを見ながら愕然となり、僕は心の中でそう呟いた。

 

 それからしばらくして分かった事だ。

 確かにそれは幻覚だった。でも、ただの幻覚という訳ではなかったのだ。

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