20.難儀な人間達
(人間嫌い・並木ヒカエ)
『丹内さん! たったそだけの事で“自分を綺麗じゃない”なんて言える人が、綺麗じゃないワケないでしょーが!』
大声でそう言ってやった。なんだかむしゃくしゃしていたからだ。初めは、どうして自分がそんなにむしゃくしゃしていたのかが分からなかったけど、そのわたしの言葉を受けて嬉しそな顔をする丹内穂香を見て気が付いた。
“ああ、そうか……。彼女を助けたくてやっていたのに、逆に彼女を苦しめていた自分に腹が立ったんだ”
彼女がわたしと稲盛太一の仲を勘違いしているかもと思わなかった訳じゃない。映画館のデートの時だってそう疑ったし。ただ、それがそんな深いダメージを彼女に与えるとは思っていなかった。
それからわたしは少し長めにゆっくりと息を吐きだすとこう言った。
『そもそも、わたしは稲盛君と丹内さんをくっつけようと思って稲盛君に近付いたのよ? それなのに、あなたがそんな勘違いをしてどうするのよ?』
それに関しては、わたしにも非があると言えば大いにあるかもしれないけど、それは気にしない事にした。
そのわたしの言葉に、丹内さんは目を大きく見開く。
「どうして、そんな事を?」
それからそう尋ねて来た。もっともな疑問だろう。頼まれてもいないのに、そんな行動を執る人間はあまりいない。わたしはどう説明しようかと悩みながら、誤魔化すような感じでこう答えた。
『お礼のつもりだったのよねー。普段、あなたにはお世話になっているから』
多分、嘘は言っていない。
そのわたしの説明を聞くと、安心したような疲れたような気の抜けた表情で、丹内穂香はこう返して来た。
「そんな…… なら、わたしはずっと苦しまなくても良いようなことで苦しんでいたってこと?」
その言葉の意味はなんとなく分かった。
ここ最近、稲盛太一と丹内穂香の距離は縮まっている。それを、恐らく彼女は、わたしから稲盛太一奪ったように感じていたのだろう。
本当に人が好い。
わたしはなんだか呆れてしまった。
『丹内さん、あのね? 自分の好きな男が、誰か他の女と付き合い始めたら嫉妬して当然だって。わたしの姉貴なんて、しょっちゅう泣き叫んでいるわよ? そんな人間として当然の感情まで否定したらダメだって。お坊さんじゃないんだから』
その言葉で丹内穂香は少し笑った。可笑しそうに。わたしはそれに安心をする。よし。大丈夫みたいだ。そして、そこに至って冷静になり初めてわたしは気が付いたのだった。勢いとノリで思わず喋ってしまっていたけど、わたし達は極めてプライベートな色恋沙汰を、大人数の前で披露してしまっていたのだ。
顔が赤くなる。
壇上を見ると、丹内穂香も顔を赤くしていた。彼女もそれに気付いたらしい。聞いていたほとんどの人が、多分、正気を失っていたのじゃないかと思える点がせめてもの救いだ。周囲を見ると、器物の化け物達の姿は半分くらい元に戻っていた。その妖物の姿の所為で、人間に思えなくて油断していたって事もあったかもしれない。迂闊だった。
そこでわたしはふと疑問に思った。
稲盛太一の言葉を信じるのなら、正常に戻った丹内穂香の人格によって、この街のIoTナノネット達は反目し合う事を止め、互いに結び付きを持てるようになったはずだ。だけど、本当にそれだけで良いのだろか? IoTナノネットの所為とはいえ、彼らは互いに相当に酷い事を言い合っている。IoTナノネットではなく、人間同士の溝も深まっているはずだ。
恐らく、今のままじゃ、駄目なのじゃないか?
そうわたしが思ったタイミングで、異変が起こった。舞台袖から妙なおじさんが出て来たのだ。その顔には見覚えがあった。確かフリーマーケットの時にカウンセラーを名乗ってわたしの前に現れた人だ。
いや、実を言うのなら、稲盛太一から“カウンセラー”という単語を聞いて、既になんとなく予感していたのだけど、やっぱりあの人が関わっていたらしい。
カウンセラーのおじさんは微笑みを浮かべつつ丹内穂香に近付くと、彼女から何も言わずにマイクを受け取り、おもむろに話し始めた。
「皆さん。ようやく、正気を取り戻されたようですね。良かった。わたしは今回のコンテストの審査員をやらせてもらっている者で、職業はカウンセラーで名を神原と言います。この勇敢な審査員長に代わって、わたしの方から、グランプリ受賞作品がどうしてないのか、その点を説明させてもらいます」
なんだか捉えどころがない変な感じの喋り方だった。もちろん、単なる印象に過ぎない訳だけど。
……どうやら神原という名らしい、あの人。
「さて。本来、何かの優劣を判断する為には何かしら基準が必要です。基準がなければそもそも比較ができないので、優劣など判断がつきません。それを踏まえた上で、IoTナノネットの優劣を判断する事を考えてみましょうか。
緊急事態に際しては、もちろん防犯機能などが役に立ちます。しかし、日常生活の事を考えるのなら、健康に良い献立を示してくれるといった機能の方が役に立つ。つまり基準がそれぞれ異なっているのですね。ですから、どれが一番かを選べと言われても、困ってしまう訳です。そもそも一番を選ぶ意味も必要もありません……」
そこで神原さんは、妙な間をつくった。いや、会場の様子を観察しているのだろうか? 見ると、会場の器物の化け物の姿はさっきよりもずっと人間に近付いていた。
そこで変態スマフォのイズが、稲盛太一に言った。
『外部からナノネットへの介入を感じる。多分、あのナノネットの専門家達が何かをやっていると思うよ』
なるほど、神原さんそれを待っていたのかとわたしは思う。それから、彼は再び喋り始めた。
「だって、別にどれか一つのIoTナノネットを選んでいる訳じゃありませんからね。役に立つIoTナノネットは全て採用していけば良いのです。それでも敢えてグランプリを選べというのならこうなります…」
それから神原さんは流暢にまるでテンポ良く詩を朗読するような感じで、グランプリに相応しいIoTナノネットとその利点を挙げていった。太陽光発電を有効に生かすIoTナノネットがいかに地球環境にプラスに働くのか。家庭内菜園レベルとは言え、作物を安全により低コストで育てられるIoTナノネットのメリットの素晴らしさ。腸内はもちろん、身体全体の微生物の環境までを考慮したライフスタイルをアドバイスしてくれるIoTナノネットは、医療問題を考える上でも貴重である事実。
多分だけど、この人は初めからこの展開を予想していて、予め話す内容を考えていたのだろう。そうじゃなければ、こんなにスラスラと褒め言葉が出て来るはずがない。
そう思うと、わたしは何だか嵌められたような…… いや、化かされたような気分になった。きっと、フリーマーケットの時にわたしに話しかけて来たのも、わたしが丹内穂香の関係者と知って、どんな人間かを調べる目的があったんだ。
「――だから、優劣等に拘らず、各グループの役に立つIoTナノネットを、皆が共有して活用していけば良いのです」
そう神原さんが語り終えると、会場内から誰かがこんな声を上げた。
「他のグループのIoTナノネットを使おうたって、混ぜるとIoTが壊れるんだから、どうしようもないだろうよ!」
神原さんは穏やかな笑顔で数度頷くとそれにこう返した。
「確かにそう言われているし、そんな現象も確認されているらしいですね。ですが、果たしてその情報は正しいのでしょうか?」
それから丹内穂香を見やると、彼は彼女にこんな質問をする。
「丹内さん。あなたの家のIoTナノネットは異なったグループのものを混ぜて、問題を起こした事がありますか?」
急に話を振られて彼女は多少は驚いた顔をしていたけど、首を左右に振って「いえ、一度もありません」とそう答えた。
それから今度は席に座っている稲盛太一に視線を投げると「そこにいる稲盛太一君はどうですか? 問題が起こった事がある?」と同じ様に質問をした。
「僕の家でも一度も不具合を起こした事はありません」
稲盛太一は淡々とそう応えた。
それを受けると、満足そうに数度頷いてから神原さんは言った。
「どうです? このように複数のグループのIoTナノネットを混ぜても問題なく使えている人はたくさんいるのです。心当たりのある人は他にもいるのじゃありませんか?」
これは、恐らくは前もって二人に確認しておいた上での質問なのだろう。
“……なんか、まるでどっかの自己啓発セミナーみたいなやり口だ”
そう思ったけれど、状況が状況なだけに仕方ないという事にした。もっとも、この人は他でも似たような手段を使っていそうだけど。
それから深く落ち着いた口調で神原さんはこう話し始めた。
「ナノネットには、実は持ち主の性格が反映されます。だから、何かを拒絶したならその人の持っているIoTナノネットも何かを拒絶するようになる。簡単に言ってしまえば、IoTナノネットはその人の心の映し鏡なのです。異なったグループのIoTナノネットを混ぜて、問題が起きてしまうのは、その人自身に問題があるから…… 身に覚えがある人もいるのではないですか?」
いよいよ自己啓発セミナーみたいな内容だ。もっとも、間違った事を言っている訳ではないのだろうけど。
会場にいる人達は誰も神原さんの言葉に反論はしなかった。ただし、納得した訳でもないようだった。雰囲気で分かる。
それを察したからだろう。神原さんは更に言葉を続けた。
「ところで皆さん。デイリーミー現象というものをご存知ですか? これは仲間内だけで都合の良い情報を共有する事で、いつの間にか思想が非常に偏った状態になってしまう現象を言います。
例えば、Aを嫌いだと誰かが言う。すると、その集団内にその情報は反響して、まるで客観的事実であるかのように思えてしまう。それにより、その集団ではそれがより強固に信じられてしまうのです。
インターネットの普及によって、差別主義などの思想を持った人々が活発に行動するようになりましたが、これはそのデイリーミー現象が原因の一つになっているのではないかとも言われています」
そこまでを語ると、神原さんは「さて、冷静に己を見つめてみてください」と言ってから間をつくった。
「皆さんにも、これと同じ現象が起きているのではないですか?」
そして、そう続ける。
「自分が所属しているグループ以外のグループに所属している人達とも、以前あなた達は普通に話せていたはずです。ならば、普段あなた達が言っているような悪い人達であるはずがないではないですか。ところがこのデイリーミー現象によって、悪印象が実体よりも過剰に強調されてしまった。もちろん、人間ですから欠点の一つや二つはあるでしょうが、それはお互い様です。それは決して許容できない程のものではなかったはずなのです。その程度のものが許容できないのは、単にデイリーミー現象によって小さな諍いが大きなものに見えるようになってしまったに過ぎないのですよ。だから、お互いに受け入れるよう努力をすれば、再び元の友好的な関係に簡単に戻る事ができます」
そう神原さんが言うと、会場内にいる人々は互いに顔を見合わせた。いつの間にか、皆、人間の姿にすっかり戻っている。
それを聞いてわたしは思う。
IoTナノネットは関係ない。そんなものがなくっても、人間というものは簡単に己を見失うって“鬼”になるのかもしれない。まったく、なんて難儀なのだろう……
場の雰囲気を確かめると、駄目押しとばかりに神原さんは会場にいる難儀な人間達に向ってこう提案した。
「丹内穂香さんの家のIoTナノネットを分けてもらえば、複数のグループのIoTナノネットを混ぜても問題は発生しなくなります。取り敢えずは、そこから始めて、お互いを認め合うというのはどうでしょう?」
会場内の人達が、その言葉にかなりグラついているのが分かった。ただ、それでも後一歩何かが足りないように思えた。それだけで、皆がそれに倣いそうなのに、その一歩が分からない。しかしそこで、会場内にいる一人が手を挙げたのだった。
神原さんは「どうぞ」と言う。
するとその人は、おずおずと立ち上がり、神原さんではなく、会場の皆を見渡すとこんんな事を言ったのだった。
「みんな。このカウンセラーの人の言う事は信頼できる。実はこの街のIoTナノネットはこの人がうちの工場に紹介してくれたものが始まりなんだ。この人はナノネットに詳しいんだよ。
色々と役に立つIoTを使えた方が生活は良くなるし、それで皆が仲直りできるってなら言う事なしだ。なぁ、みんな、一度、試してみるというのはどうだろう?」
それを聞いて、会場内の人々は自分達が持ち寄った家電を眺め、それから他のグループの家電を見やった。戸惑ったような雰囲気はあったけれど、特に大きな反発もなく、「一度、試してみるくらいなら」と、どうやらそんな流れになっているようだった。
上手く事が運んでいるようだ。
ただし、わたしはその言葉を聞いて頬を引きつらせていたのだが。
噂でカウンセラーがこの街にIoTナノネットを持ち込んだ元凶だとは聞いていたけど、まさか、本当にあの神原とかいうおじさんがそのカウンセラー本人だったとは。
稲盛太一は知っていたのかと思って見てみたら、彼も驚いていた。丹内穂香も。
……さっき発言した工場の人も恐らくは仕込みだろう。ああいう流れになったら、良さそうなタイミングでああ言ってくれと頼まれていたんだ。なんだか本当に油断できないおじさんだ。
それから壇上に司会の人が現れて、皆にコンテストの終了を告げた。もちろんそれで終わりじゃない。ナノネット研究所を名乗る人達がそれから現れて、丹内穂香の人格をコピーしたナノネット入りのペットボトルを皆に配り始めたのだ。配っている人の中には、百器夜行の説明をしてくれた山中さんという女性もいた。なんとなくそうじゃないかとは思っていたけれど、彼女もナノネット研究所の一員だったらしい。
もうここにいる理由はないだろう。そう思ったわたしは、それから席を立って帰ろうとした。ところがそこに神原さんがやって来たのだ。そして、「どうも、ありがとうございます。お陰で全て上手くいきました」なんてお礼を言って来る。
わたしはそれに「いえ、わたしは大した事はしていません。お礼を言うなら、あの二人に……」と言いかけて、稲盛太一がいつの間にか消えている事に気が付いた。
見ると、彼は壇上のすぐ下で丹内穂香と一緒にいた。手なんかを繋いでいる。おうおう、見せつけてくれるじゃないか。
チッ!
と、心の中で舌打ちをする。
自分でくっつけておいてナンだけど、くっついたらくっついたでなんだか気に食わないような気もしないではない。
それから神原さんは「あなたの家には、丹内さんのナノネットはないのでしょう?」とそう言って、丹内穂香のナノネットが含まれているであろう水の入ったペットボトルを手渡してくれた。
「ありがとうございます」
と、わたしはそれを受け取る。この中に丹内穂香がいる。そう思うと、なんとなく心がチクりとした気がした。それでわたしは少しだけ、わたしが稲盛太一に恋愛感情を無自覚に抱いている可能性を考えた。
“いや、ないか。わたしは好きになった相手とはリラックスして喋れなくなるのだもの。どーでも良いと彼を思っているからこそ、わたしは気楽に彼と接していられたんだ”
しかし、それからそうそれを否定した。そして神原さんに別れを告げると、わたしは足早に歩き出す。努めて、稲盛太一と丹内穂香の方を見ないようにしながら。そーいうことにしておこうと心の中で唱えながら。
――歩きながら、こう思った。
“もしかしたらわたしは、今日、会場に来ていた人達や、丹内穂香以上に難儀な性格をしているのかもしれない”
もっとも、そんなのは、今更なのかもしれないけれど。
家に帰ると、姉貴が家に戻って来ていた。わたしを見るなり、「どうしたの? 落ち込んでいるみたいだけど」と変な事を言う。わたしが「別に」と返すと、それから姉貴はこう言って来た。
「何か分からないけど、そー言う時は男よ、男! 優しくて包容力のある男に慰めてもらうのよ!」
この姉貴はこればっかりだと、わたしは心底呆れた。




