19.たったそだけの事で“自分を綺麗じゃない”なんて言える人が、綺麗じゃないワケないでしょーが!
(染まらない人・稲盛太一)
IoTナノネットのコンテスト会場の入り口で、並木さんが僕を待っていた。彼女にしてはとても珍しい行動だ。それが僕にはとても嬉しかった。何故ならそれは、彼女が丹内さんをそれだけ心配しているという事を意味しているから。もっとも、彼女の方はかなり不機嫌そうだったけど。
「さて。あんたの事情とやらを聴かせてもらいましょうか。どうして、丹内さんがIoTナノネット・コンテストの審査員長になる事を止めなかったの?」
そして、会うなり彼女はいきなり僕にそう尋ねて来たのだった。
「いくら何でもいきなり過ぎない?」
と、僕がそう返しても並木さんは意にも介さず、「いきなりなくらいでちょうど良いのよ。丹内さんの事を思えばね」と間髪を容れずに言って来る。非常に並木さんらしい。そういえば、こうして彼女と話すのはちょっと久しぶりな気がしないでもない。
僕は軽くため息つくと「まず、丹内さんの精神状態は、今、そんなによろしくない」と会場を目指して歩きつつそう語り始めた。それに付いて来ながら、並木さんは応える。
「だとするなら、尚更、こんな暴力的なコンテストの審査員長なんてやらせるべきじゃないでしょーが!」
僕はそれに首を左右に振って応えた。
「それがそうでもないんだよ。何故なら、彼女の状態が悪くなってしまったのは、街の険悪なムードが原因でもあるから」
「険悪なムードが原因? どういう事?」
「彼女は中学の頃、醜く残酷な集団心理の所為で酷い目に遭った。そのトラウマが、街に蔓延っている排他的な険悪ムードの所為で蘇ってしまったんだよ」
そう僕が説明すると、並木さんは納得したような表情を浮かべた。彼女も丹内さんが中学の頃に体験した事を知っているんだ。
「なるほど。でも、彼女がIoTナノネット・コンテストの審査員長になっても、それで街が友好ムードに変わるって訳じゃないでしょう?」
僕はそれにも首を振った。
「それも違う。例えば、僕の家のIoTなんだけど、違うグループのナノネットを混ぜ合わせても正常に機能するんだよね。何でだと思う?」
「なんでって、知らないわよ、そんな事。クイズで遊んでいる場合じゃないのよ、今は」
「ま、聞きなよ。それはね、僕の家のナノネットに丹内さんの人格が入り込んでいるからなんだ。彼女のナノネットは別々のIoTナノネットとIoTナノネットの壁を取り払って結び付けてくれるんだね。つまり、丹内さんが普段の状態を取り戻して、その力を発揮する事ができさえすれば、この街の険悪ムードも変えられるかもしれないんだ。だから、その為に彼女には審査員長になってもらったらしい。それで彼女が注目されれば、街のIoTナノネットと彼女を結べるから」
並木さんは僕の説明に驚いたような顔を見せた。
「この街の険悪ムードって、IoTナノネットの所為だったの?」
「半分はね? もう半分は、人間の本来ある性質がそうさせているみたい。悪く相互作用しちゃったみたいなんだよ」
それを聞くと、並木さんはしばらく何事かを考え込んでいた。そして、会場に入り、前方中央辺りの席に着席をすると、そこで再び口を開いた。
「一応、稲盛君の話に納得しておいてあげる」
どうやら過去の出来事を思い出して、僕の言っている事が正しいかどうかを吟味していたらしい。
「ただ、よく分からないのは、どうしてあなたがそんな事を知っているのかって点なんだけど」
情報源は何処? と彼女は目で訴えていた。
僕は軽く頷いてそれに返す。
「それは簡単。僕も説明を受けたんだよ。ナノネットの専門家の人達から」
「それをあっさり信じたの?」
「僕には答え合わせの手段があるんだよ、並木さん。だから疑いようがなかった」
その説明で、並木さんは察したようだった。
「この変態め!」
と、そう僕を罵って来る。
そう。僕は自分の家に、丹内さんの仮想人格ナノネットを育てている。不完全な幽霊の残滓みたいなナノネットではあるけど、会話を繰り返していけば、話の裏付けを取る事くらいならできるんだ。
「事情は大体分かったけど、稲盛君は、そもそもどうやって丹内さんを助けるつもりでいるの?」
会場には続々と入って来るIoTナノネット憑きの家電製品を抱えた人達の殺気立った表情を眺めながら彼女は今度はそう訊いて来た。とても怪訝そうな表情で。それを受けて僕は困ってしまった。丹内さんを心から心配している彼女には少々言い難い内容だったから。
「うん。丹内さんの状態がおかしくなっている原因はまだあってさ。恐らくは、それを取り除くことで劇的に改善するって言うんだよ、ナノネット専門家の仲間の一人のカウンセラーの先生が。カタルシスが起こるとかなんとか」
「原因って?」
「ま、ぶっちゃけちゃうと“僕ら”かなぁ?」
敢えて僕は“僕ら”と言ったけれど、実を言うと、主な原因は並木さんかもしれなかったりする。
「“僕らぁ”? それってわたし達二人って意味? どうして? 仮にそれが正しかったとしたら、わたし達がこうしてここにいたら駄目なんじゃないの!?」
大いに不服がありそうな感じで、並木さんはまるで抗議をするようにそうまくし立てて来た。否、実際にこれは抗議をしているのかもしれない。
「いや、僕らが一緒にいた方がむしろ好都合なんだよ」
「なんで?」
「僕らが一緒にいた方が、彼女が問題が取り除けたってよく分かるから」
「はぁ? 何言ってるの?」
彼女は心底、“分からない”といった訝しげな表情を浮かべていた。きっと彼女にとってみれば想像の範疇外なのだろう。丹内さんの抱えている心の問題は。分からないでもないけれど。
「その時が来れば分かるよ。多分」
僕はそう言って誤魔化した。
不機嫌な表情を浮かべてはいたけど、並木さんなりに何かを察したのか、それからは何も言わなくなった。そして、それからしばらくして、IoTナノネット・コンテストがいよいよ始まったのだった。
会場の雰囲気ははっきり言って悪かった。その所為か、司会に紹介された丹内さんはかなり緊張していて、上手く喋れてはいなかった。確り者の彼女にしては珍しい。やっぱり、精神状態が良くないようだ。
それからIoTナノネットのプレゼンテーションが始まる。皆、賞を受賞しようとして必死だ。興味深いIoTナノネットも多かったけれど、会場の声が煩くてあまり集中ができなかった。丁寧な言葉ではあったけど、ヤジとかあからさまな依怙贔屓の応援の声は、はっきり言って聞いていてあまり気持ちの良いものじゃない。
そして、全てのIoTナノネットのプレゼンテーションが終わった。協議をする為に、審査員達が別室へと移動する。その時、とても不安そうにしている丹内さんの姿が目に入った。僕はとても彼女が心配になった。
「問題は、ここからよ」
そう並木さんが言う。その通りだ。これからこの会場にいるIoTナノネットに憑かれている人達がどんな反応をするか。場合によってはかなり荒れる。そして、その荒れた人々と丹内さんは対峙しなくてはならないんだ。その時、彼女の精神が耐えられるかどうか。それが僕らの最も心配している事だった。
……もちろん、それを僕が助けるのだけど。絶対に。
審査協議の時間は思ったよりも長かった。その影響で、会場内の人達がフラストレーションを募らせているのが分かった。不意に並木さんが尋ねて来る。
「ねぇ、気付いている?」
「うん」と僕は頷く。
IoTナノネットに憑かれた人達は、どうやら徐々にその人格を侵食されているようだったのだ。境界線を曖昧にして、IoTナノネットと同化している。
ナノネットに感応し難い人には分からないかもしれないけど、僕らにはそれがはっきりと分かった。幻として、その百器夜行の化け物達が見えていたから。隣に座っているおじさんはいつの間にか持って来ているテレビと融合していて、画面の中からギョロギョロと辺りを見ていた。目の前の子供は、タブレットに身を浸している。掃除機のお化けが、その口で近くの女性の髪を吸い込もうとしていた。その女性は小型の冷蔵庫になっていて、中にあるよく冷えた飲み物を誇らしげに見せびらかしている。その狂気的な光景は、まるで何かの前衛的な芸術作品のようでもあった。
「なによ、これは? 遊園地の安っぽいお化け屋敷の方がよっぽどマシだわ」
並木さんがその光景にそう愚痴る。
「多分、人間の方が興奮状態になって、IoTナノネットが活発化しちゃっているのだと思うよ。それでこんな幻を僕らが見る破目になっているんだ」
「流石にここまでくればわたしにも分かるわよ。あんたの持っているイズの酷いバージョンでしょう? こいつらは」
そんな中、ようやく丹内さんが姿を見せた。審査員長によって為される審査結果の発表だ。彼女は明らかに緊張をしていて、歩き方からしておかしかった。恐怖からか、どうやら目を瞑っているらしい。僕はとても彼女が心配になった。大丈夫だろうか?
やがてマイクにまで辿り着いた彼女は、会場に顔を向けて凝固をした。恐らく、彼女にも器物の化け物達の姿が見えているのだろう。そんな彼女に苛立ったのか、誰かが「早く、発表しろよー!」と大声を上げた。彼女の身体がビクンと震える。
それから、なんとか彼女は持っている紙に書かれているだろう審査結果を読み上げ始めた。声は震えていたけど、それでも精一杯に大きな声を出そうとがんばっているのがよく分かって、それがとても痛々しく感じられた。
声は聞き取り難かったけど、彼女はなんとか賞の結果を発表し続けた。しかし、ところが、何故か急に彼女はそれを止めてしまったのだ。恐らく、順番からいってグランプリ発表の前当りだと思うのだけど。
――そして、それから何を思ったのか、彼女は表情をきつく結びとこう言ったのだった。
「――以上です。グランプリはありません」
僕は目を丸くする。どんな心理的変化があったのかは分からない。でも、どうやら彼女は怒っているらしかった。
そして、その言葉が…… いや、恐らくは彼女の感情の変化が切っ掛けだったと思うのだけど、会場に溢れかえっていた器物の化け物達は俄かに一斉に荒ぶり始めたのだ。
多分、ナノネットによって繋がった彼女の精神状態の影響を受けている。今、彼女にはナノネットのリンクが集中しているから。
「ふざけるなー!」
「馬鹿にしているんか!」
「さっさと審査結果を発表しろー!」
IoTナノネットに取り憑かれた人達は、か弱い女子高生に向って容赦なく酷い言葉を浴びせていた。
「なるほどね。人間じゃなくて鬼になりかけているわ、こいつらは」
それを受けて、並木さんがそう言った。壇上の丹内さんはその文句の大合唱を浴びて茫然としていた。負の感情を膨れ上がらせているのが分かる。
その時、不意にこんな声が聞こえた。
『今だよ』
それはポケットの中から響いて来ていた。もちろん、スマートフォンのイズだ。僕は彼を取り出すと握り締めた。彼はラクガキの手足に強く力を込めている。
『今がチャンスだ。醜い憎悪を伴ってはいるけれど、今、この会場中のナノネットが彼女に向けてリンクを伸ばしている。このタイミングで彼女にカタルシスを与えれば、きっと彼女を介してIoTナノネット達は浄化され、壁を乗り越えて結びつくよ』
僕はそれに頷いた。
「うん。分かった」
そこで横から並木さんが口を挟んで来た。
「ちょっと待って。何をするつもり?」
僕は淡々と応える。
「もちろん、愛の告白だよ」
それを聞いて、並木さんは「はぁ?」と呆れ声を上げた。
「ふざけているの? そんな場合じゃないでしょうが!」
「いいや、僕は大いに真面目だよ」
そう。真面目。大真面目だ。
僕は彼女の人格のコピーと会話をして、彼女の本来の性格を歪ませてしまっている大きな原因の一つを知ってしまったのだ。だから、それで彼女を救える事を知っている。
並木さんは迷うような表情を見せてはいたけど、それから
「分かった。あんたを信用する。でも、どうやってこの状態で愛の告白とやらをするつもりなの?」
と、そう言ってから辺りを見回した。彼女の言いたい事は分かる。この狂騒の中、丹内さんに僕の言葉を届けるのは至難だろう。だけど、そこでイズが言った。
『それなら心配ないよ、並木ッチ。その為にこのボクがここにいるんだから』
「並木ッチィ?」
そのツッコミを無視して、イズは言った。
『ボクが太一の言葉を直接、丹内穂香の頭に届ける。ボクはずっと彼女とのリンクを確保したままにしているからね』
「持ち主に似て変態ね、このスマフォ」
という並木さんのツッコミ(いや、ボケか)をまた無視して、イズは言った。
『さぁ、太一。ボクを通して彼女に言葉を届けるんだ。有りのままの君の感情を!』
それに僕は大きく頷くと、壇上で救いを求めて、今にも泣き出しそうになっている彼女に向って大声でこう呼びかけた。
『丹内さーん!』
それで彼女が僕に気が付いたのが分かった。雲が晴れたように表情が明るくなる。声が届いている。そう思った僕は更に続けた。
『僕はどれだけ君が嫌われ責められても、絶対に君の味方をする! 僕は君が大好きだから!』
その言葉で、彼女の表情が更に明るくなったのが分かった。ところが、それから急速に彼女は表情を曇らせるのだった。そして、こんな事を言う。
「駄目! わたしにはあなたに大好きなんて言ってもらえる資格なんてないから! だって、わたしは全然綺麗じゃないんだよ!」
彼女が何故そんな事を言ったのかは僕にはなんとなく察しがついた。きっと、隣にいる並木さんを見たんだ。
僕は直ぐにこう返した。
『大丈夫。君は絶対に美しい』
それに対して、丹内さんは大きく首を横に振った。
「違う。稲盛君は知らないだけ。わたしは醜いの! 昔、あなたに綺麗だって言ってもらった時の事を覚えている? あの時、わたしは本当は自殺をしようとしていたの。大嫌いな皆を困らせてやろうと思って! そんなくだらない理由で自殺をしようとするような小さくて醜い人間なのよ、わたしは?! その証拠に、あなたに綺麗だと言ってもらっただけで自殺を止めた」
『いいや、違う!』
と、僕はそれに返した。
『人間は強いストレスを感じ続けると判断能力が麻痺するんだよ。それでその時君は判断能力を失っていただけだ!』
この話は、彼女のナノネットから、彼女の自殺未遂を知っていた僕が相談をして、前もってカウンセラーの神原さんから教わったものだ。
それを言い終えた後で僕は気が付いた。いつの間にか、会場内の器物の化け物達が黙っている。皆、丹内さんと、そしてこの僕に注目をしていた。
丹内さんに集中をしたナノネットのリンクによって伝わった“何か”が、彼らに影響を与えているんだ。
丹内さんは更に言った。
「違う。あなたは知らないの!」
今度はその視線を、隣にいる並木さんに向けている。
「わたしが、稲盛君に話しかけて、並木さんと一緒に映画を観に行こうって誘ったのは、本当は彼女を貶める為だったの…… 並木さんと話をしたいというのは本当だったけど、それだけじゃない。いや、違う。話をする事で彼女を貶めようとしていたんだ、わたしは!
わたしはずっと自由で孤立していられる並木さんが羨ましかった。そして、そんな彼女がわたしの大好きなあなたと付き合おうとしている。それが許せなくて、わたしは並木さんよりもわたしの方が優れているって事をあなたに示そうと思った。それで三人で何処かへ出かけたかったの!
あの時は自覚していなかったけど、今ならはっきりと分かる。無意識の内に、わたしはそんな事を考えていたんだ。わたしはそんな醜い女なのよ!」
それを受けると、僕は静かに言った。
『うん。知っていたよ』
と。
それに彼女は茫然とした表情を見せた。
「え?」
僕は続ける。
『あのね、丹内さん。そんな事くらいで君が自分を醜いというのなら、僕なんてもっと酷いよ。僕は君に謝らないといけない事があるんだ……』
それからスマフォのイズを彼女に向けると、こう続けた。
『これは僕に憑いたナノネットのイズっていうんだけど、僕はこいつの力を借りて、君の人格をコピーしたナノネットを部屋で育てていたんだ。大好きな君について、もっと詳しく知りたかったから。どうだい? 軽蔑されるような男だろう?』
それを聞くと、もう一度彼女は「え?」とそう言った。ショックを受けてはいる。だけど、傷ついた様子も怒った様子もない。僕はそれを見て安心をした。それからゆっくりと続けた。
『それで、だから、今君が話した事は全て僕は知っていたんだよ。そして、その上で、僕は君を綺麗だと思ったんだ! 僕は君の事が大好きだ!』
僕は全ての力を出し切る勢いでそう言い終えて、その後、その所為か脱力してしまった。そしえその時だった。突然、横からニュッと手が出て来たのだ。
それは並木さんの手だった。
「ちょっと、稲盛君。その変態スマフォをわたしに貸してよ」
彼女はちょっとばかり不機嫌そうだった。そして、それから奪い取るように僕の手からイズをもぎ取ると、彼女は大声でこう言ったのだった。
『丹内さん! たったそだけの事で“自分を綺麗じゃない”なんて言える人が、綺麗じゃないワケないでしょーが!』




