15.調整するナノネット
(憑人・星はじめ)
僕は“IoTナノネットの街”があれからどうなったのか非常に気になっていました。あれだけの異常な光景を見せられたならそれも無理からぬことで、気付くと自然とあの街で何か事件が起こっていやしないかとニュースを目で追っています。そして、紺野さんが早くあの街のIoTナノネット問題を解決してくれれば良いのにと、もどかしい想いを抱えてもいたのでした。
いえ、紺野さんにも事情があるのだろうから、仕方ないとは分かっていたのですがね。
そしてそんな時に、まるで僕の心中を読んでいるかのようなタイミングで、紺野さんから連絡が入ったのでした。
「例の付喪神の街の件ですが、いよいよ動き出そうと思います。もし良かったら、星君にも手伝って欲しいのですが」
紺野さんがこういう言い方をするからには、僕のナノネットに対する“憑人”の能力がなくても今回は問題を解決できるのでしょう。僕は少し迷いましたが、「分かりました。協力します」とそう返しました。
紺野さんには“早く事件を解決して欲しい”と思っていながら、自分は何も手伝わないというのはちょっと自分勝手過ぎると思ったものですから。
約束の日、“IoTナノネットの街”へと向かう道中、車の中で僕はこんな説明を受けました。紺野さんとしてはもう少し時間を置いても大丈夫だろうと踏んでいたようなのですが、それでも動き始めたのは藤井さんを通して街の住人の方達から「IoTナノネットの問題を解決して欲しい」と依頼があったからだそうです。
山中さんも同行していて、彼女が車を運転しています。そして、運転をしながら彼女は「でも、いつ何時、何が起こるか分かりませんから、やっぱり早めに行動しておいて良かったのじゃないですか?」とそう紺野さんに指摘しました。紺野さんはそれに素直に頷きます。
「そうですね。元から大事を取って早めに行動するべきだったとは思います。ただ、私にも、ちょっとばかり資金繰りの都合がありましてね」
“ああ、なるほど”と、それを聞いて僕は思いました。紺野ナノマシンネットワーク研究所は財政事情が厳しいのです。依頼のお陰でお金が出ると決まって、ようやく動けるようになったのでしょう。それから僕はこう言いました。
「あの時に会った稲盛って少年、自宅にいると良いですね。流石にメルアドとか電話番号とかまでは聞き出せなくて」
これから僕らは、以前に山中さんと一緒に街を調査した時に見つけた稲盛という少年の自宅を訪ねようとしているのです。それに紺野さんはこう応えました。
「なに、その街を私が直接調べたくもあるので、例え不在でも無駄足にはなりませんよ」
何やら機嫌が良さそうに思えます。色々な都合があってできなかっただけで、やっぱり紺野さんは自らの手でナノネットによって生じた“付喪神”を調査したかったのでしょう。
「でも彼は、彼が育てていたナノネットの元になった人物を教えてくれますかね? プライバシー問題が関わりますし」
続けて僕がそう言うと、「安心してください。それは上手くやりますよ」と紺野さんはそう返しました。
なにやら自信ありげです。
稲盛という少年が育てていたナノネット。山中さんのとの調査の時、僕らは偶々それを採取しましたが、紺野さんはIoTナノネットによって発生している問題を解決するのに、そのナノネットの特性を利用しようと考えたのです。
そのナノネットには、異なったナノネット間を繋ぎ、調整する性質があるらしいので、そのナノネットを増幅し、IoTナノネットの街で暮らす人々の家に定着させてやれば、それで対立は解消するはずだというのが紺野さんの計画のようです。もちろん、紺野さんはそれが可能である事を実験によって確かめてもいます。
やがて車はIoTナノネットの街に入りました。先日、藤井さんと一緒に調査に来た時と同じ様にナノネットから発せられる波紋が数種類見えます。しかも、これは単なる印象に過ぎませんが、なんだか以前より刺々しくなっているような気も。
「……悪化しているかもしれません」
それで僕はそう呟きました。
それを聞くと紺野さんは「そうですか。その印象が正しいとするのなら、やはり早めに対応を決断して良かったかもしれませんね」とそう言いました。
やがて、“調整するナノネット”を育てていた少年の住む“高田・稲盛”と表札のかかっていた一軒家に辿り着きました。本当に場所をメモっておいて良かったです。僕にしてはファインプレーだったかもしれません。
近くに車を停めると、山中さんがその家のチャイムを押しました。「はいー」という中年男性の声が聞こえた後で、不用心にもいきなりドアが開きます。そして先日ここを訪ねた際にはいなかった男性が現れました。
「あの……、なにか?」
その中年男性は、僕らを不思議そうに見渡すと(まぁ、どういう所属なのかよく分からないメンバーだと思いますし)、そう呟くように尋ねてきました。こーいう時、対応が一番巧いのは山中さんです。迷わず彼女が口を開きました。
「私達は紺野ナノマシンネットワーク研究所に所属しいる者です。こちらは所長の紺野秀明先生。実は先日、この家の稲盛太一君からナノネットのサンプルを分けてもらったのですが、調べてみた結果、その時のナノネットに特殊な性質があると分かったのです」
山中さんは名刺を出しながらそう言いました。「はぁ」とその中年男性は応えます。反応から敵意は伺えませんでしたし、なんとなく押しに弱そうな感じもあったからでしょう。山中さんは直ぐにこう続けました。
「その報告と、その件でできれば太一君に協力をしていただきたい事ができたもので、今日は訪ねさせてもらいました。いきなりで失礼かとは思ったのですが、メールアドレスも電話番号も聞きそびれてしまいまして」
中年男性は相変わらずに不思議そうな表情を浮かべてはいましたが、それを聞くと「何か分かりませんが、太一が知っていると言うのなら」とそう言って、大声で太一君を呼んでくれました。運良く家にいたみたいです。太一君は直ぐにやって来て、僕と山中さんを見ると、「ああ、前に来た研究所の人達」とそう言います。その言葉に安心をしたらしく、中年男性は直ぐに僕らを家に上げてくれました。この程度で気を許すのは、少々警戒心が低いような気もしないではないですが、今はありがたいです。
それから僕らはリビングに通され、お茶まで出してもらいました。もっとも、その中年男性はその後でさっさと自室へと戻っていってしまったみたいですが。
「あの、それで何か用ですか?」
場が落ち着くと、多少、緊張している様子で太一君がそう尋ねてきます。それには僕が説明しました。
「実は、先日分けてもらった君の部屋のナノネットですが、驚くべき性質がある事が分かったんですよ。なんとあのナノネットには“異なったナノネットを調整し、協調行動を取れるようにする”という事ができるようなんです」
それに太一君は目を丸くしました。
「そうなんですか?」
と、呟くように言います。本人してみれば思いもよらない話なのかもしれません。山中さんがそれに続けます。
「この街のIoTナノネットは、異なった種類のものを混ぜ合わせると、上手く機能しなくなりますよね? でも、あなたの家のIoTは問題なく動いているのじゃありませんか?」
それを聞くと太一君は“ああっ!”といった感じの納得した表情を浮かべました。
「そう言えば、そんな事を叔父さんが言っていました。うちは問題なく動いているとかなんとか」
そしてそう言います。
“叔父さん”というのは、さっきの中年男性でしょう。
今度は紺野さんが口を開きました。
「恐らく、君の部屋のナノネットにそんな性質が生まれたのは、コピー元の人格に原因があるのではないかと私達は考えています。何か思い当たる節はありませんか?」
それを聞くと、何故か太一君はとても嬉しそうな表情を浮かべました。“きっと、好きな女の子のナノネットなんだろうな”と、それで僕は察します。好きな女の子が褒められいるような気分になったのでしょう。
「あの…… はい。まぁ、そういうイメージがぴったりの女の子です。優しくて、争いごとが嫌いで、皆が上手くバランスを取れるようにしてくれる……」
それから彼はそう言います。やっぱり“女の子”だったみたいです。紺野さんはそれを聞くと頷きました。
「それは良かった。今、この街に険悪なムードが流れている事は知っていますよね? IoTナノネットの種類毎にグループができていて、互いにいがみ合っている。放っておいて良いような状態ではありません。いずれは暴力事件まで起きてしまうかもしれない」
太一君はそれを聞くと、「はい。僕もこの街に住んでいますから、それは分かっていますが……」とそう返します。やや不安そうに見えるのは、どうして紺野さんがそんな事を言うのか分からないからでしょう。
紺野さんは透かさず言います。
「その状態を改善するのに、その彼女の人格が…… いえ、より正確に言うのなら、その彼女の人格によって生み出されるナノネットが必要なのです。先に説明した通り、彼女のナノネットには複数のナノネットを調整する能力があるからです。どうか、その彼女が誰なのかを教えてください。協力を求めたいのです」
それに太一君は怯えたような表情を見せました。
「いえ、それはちょっと…… 僕の部屋のナノネットを分けるのじゃダメなのですか?」
紺野さんは首を横に振ります。
「増やす手間が省けるので、それは是非ともお願いしたいですが、それでは足らないでしょう。その彼女自身の協力が必要です」
太一君が何を恐れているのかは簡単に想像できました。相手の人格をコピーしたナノネットを内緒で部屋で育てていたなんて、好きな女の子に言えるはずがありませんから。紺野さんもそれは分かっているらしく淡々とこう語りました。
「君の行った事は、好ましいとは言い難いものです。倫理上の問題もありますし、個人情報を護るという観点からもよろしくない。本来なら、正直に罪を告白するべきだとも思います。しかし、私達はそこまでは求めようとは思わない。その代わり、罪滅ぼしの為に私達に協力をして欲しいのです。この街を救わなくてはならない」
その正論に太一君が押されたのが分かりました。そこでダメ押しとばかりに、紺野さんはこう続けます。
「その彼女にこの事を言い難いのなら、君の名前は出さないように工夫もしましょう。どうか、よろしくお願いします」
そして、頭を下げました。
自分が悪いにも拘わらず、彼よりもかなり年上の、しかも所長という肩書を持つ人から頭を下げられたのがかなり効いたのか、それから太一君はおずおずと「分かりました」とそう言い、調整ナノネットの元人格であるという丹内穂香さんという女子高生の住所と連絡先を教えてくれました。
太一君にお礼を言うと、僕らはそれから直ぐに彼の家を出、その丹内穂香さんの自宅を目指しました。彼女の自宅を見つけると、早速、交渉をする為に紺野さんは車を降ります。ところが、そこで紺野さんは足を止めたのでした。
「……これは、いけませんね」
と、そしてそう言います。
「どうしたのですか?」
僕は不思議に思ってそう尋ねてみました。見ると、紺野さんは手に何かの計器を持っていて、それを熱心に見つめています。
「これはナノネットの波長を計測する機械です。これで調べている内、偶然に丹内さんのナノネットの調整する特質に気が付いた…… という事にして、彼女に協力を求めようと思ったのですが、どうも彼女の“調整するナノネットを生み出す能力”が低くなってしまっているようです。他のナノネットの波長との親和性が下がっています。これでは上手くいきそうにない」
山中さんがそれを聞いて尋ねました。
「それは、体質が急に変わったという事ですか?」
紺野さんは首を横に振ります。
「いえ、体質ではなく心理的なものでしょう。丹内穂香さんという方は、今、もしかしたら何か問題を抱えているのかもしれません」
「心理的な問題ですか? なら、私達ではどうにもできないのかもしれないじゃないですか」
それを受けると、紺野さんは珍しく苦悶の表情を浮かべました。それから顎に手を当ててしばらく考えます。
「仕方がない。こういう時は、あの男に任せましょう。本職ですし、この手の仕事は私達よりもよっぽど巧いでしょうから。そもそも、この街がこうなったのは、あの男が原因なのですから責任だってあります」
僕はその紺野さんの言葉を聞いて疑問を覚えました。
「……あの男って誰ですか?」
紺野さんの関係者で、そんな便利な人がいるのでしょうか?
「決まっています」
それから、紺野さんは言いました。
「カウンセラーの神原徹ですよ」




