14.秘密結社“友好ムードを取り戻す会”
(調整役・丹内穂香)
同じクラスに並木ヒカエという女生徒がいる。彼女は人付き合いが苦手な性質で、触れなければ何でもないけど、誰かに交流を強いられるような場面になると決まって何か問題を起こす。
そして、彼女が何か問題を起こした時、わたしは大体は彼女をフォローする。
特にわたしが彼女と仲が良いというのでもないのだけど、なんと言うか、わたしはクラス内において、何か人間関係でトラブルが起こった時に上手くそれを調整するような役回りになる事が多く、それで必然的に彼女をよくフォローすることになるんだ。
だから、わたしは彼女から迷惑をかけられている立場という事になる。皆は当然、わたしが彼女を“困った人だ”とそう感じていると思っているだろう。だけど、それはとんでもない勘違いだ。多分、これを聞いたら皆も並木さん自身も驚くだろうけど、わたしは彼女に羨望と憧れの目を向けている。わたしは彼女みたいになりたいと思っているんだ。
彼女みたいに周囲からどう思われいようが意に介せず、孤高とマイペースを貫き通す人に。
多分、本質的にはわたしも彼女みたいな人間で、何かがほんの少し違うだけで、きっと彼女みたいになれていたのじゃないだろうか。そんな風に思う。もっとも、これはわたしの願望に過ぎないのかもしれないのだけど……
わたしも彼女と同じで、人間関係が大嫌いだ。少し気に入らないというだけで、誰か個人を貶めたり、グループ同士で互いに反目し合ったり、どうしてもう少しくらい仲良くできないのだろう?
わたしが人間関係の調整役みたいな役回りをやり始めたのは、多分優しいとかそういうのではなく、単に“そういうの”が嫌いだからなのだろうと思う。それに反発がしたかっただけなんだ、わたしは。ところが、一度そういう調整役をやり始めると、皆がそういう役割をわたしに期待するようになってしまって、その期待を裏切れないわたしは、結局はいつも気付くと調整役をやってしまっている(或いは、やらされている)。
本当は面倒くさいと思っているのに、揉め事が起こった時の、皆がわたしを見る視線に抗えない。
……いや。皆の視線を気にしている時点で、わたしは並木ヒカエにはなれないのかもしれないけど。
ところが、そんな事を気にしている内に、いつの間にか街全体に険悪な雰囲気が漂い始めたのだった。IoTナノネットの種類毎に派閥グループのようなものができてしまっていて、お互いにいがみ合っているらしい。そして、学校内もそれに侵食されていて、それぞれのグループ同士でいがみ合っている。
流石にこれは相手が悪い。
わたしはそう思った。クラス内の小さな人間関係の調整役などでは、街全体は荷が重すぎる。それでわたしはそれを諦める事にした。そして、そのいがみ合いを醜くも感じたし、悔しくもあったのだけど、わたしは同時に解放感を覚えてもいたのだ。
“やっと、人間関係なんて放っておいても良い立場になったんだ!”
そんな感じで。
ところが、そんなある日、わたしに妙な依頼が来たのだった。
「審査員をやってくれないかしら?」
わたしはそうお願いをされた。
それは街の様々なIoTナノネット派閥グループに属している人達の集まりで、なんと言うか簡単に言ってしまえば秘密結社“友好ムードを取り戻す会”だった。
いや、もちろん、本人達がそう名乗っているわけじゃない。そもそも正式名称なんてないのだろうし。
その人達は、最近の街全体に流れる不穏で険悪なムードに危機感を覚えており、それで派閥グループの壁を乗り越えて協力し、何とか友好ムードを取り戻そうとしているらしい。それぞれが属している各グループの人達にそれが知られてしまうとまずい状況に追い込まれるので、こっそりとその活動を行っているのだとか。だから、“秘密結社”とわたしは表現したのだけど。
「先日は、フリーマーケットを開いたのだけど、まったく駄目だったわ。グループだけで固まっちゃって交流はしてくれなかった」
個室のある喫茶店(多分、そうだと思う)に呼び出され、わたしはその秘密の会合に出席した。
取り纏め役っぽいおばさんが、わたしにこんな説明をする。
「だから今度私達は、“IoTナノネット・コンテスト”を開こうと思っているの。一般の人達から、便利なIoTナノネットを募集して審査を行うのね」
先ほどの“審査員をやってくれないかしら?”というのは、そのコンテストの審査員をわたしにやって欲しいという話だったのだ。
わたしはそれを聞いてとても驚いた。そして、「どうして、わたしなんですか?」とそう尋ねたのだ。すると、呑気そうな外見のおじさんからこう言われた。
「君だったら、公平中立に審査をしてくれると太鼓判を押されてね。大体の人は、何処かのグループに入ってしまっているから、公平な立場にはならない。適任が少ないんだ」
“太鼓判って一体、誰が?”
わたしはその言葉に困惑する。自分が人間関係の調整役をやっている事が、こんなに知られているとは思わなかった。いや、情報技術が発達した今の時代なら、それほど有名ではなくても探し当てられてしまうものなのかもしれない。
わたしは、はっきり言って、審査員をやるのはとても嫌だった。どのグループのIoTナノネットを選んでも、誰かに恨まれてしまうじゃないか。それでわたしはこう言ったんだ。
「ちょっと待ってください。そもそも、それって友好ムードをつくる効果があるのですか? 却って険悪になってしまいそうな気がするのですが……」
互いに自分達のIoTナノネットが優れていると言い合って、敵対関係を強めてしまうようにしか思えない。いや、収拾がつかなくなる可能性だって大いにある。
ところがそれを聞くと取り纏め役のおばさんは、自信たっぷりにこう言うのだった。
「それは大丈夫。専門家に依頼をしたから」
「専門家?」
「ええ。私達はね、最近の街の異常な様子はナノネットの所為なのじゃないかと考えたの。それで調査を依頼したのだけど、そうしたらやっぱり予想通りで、ナノネットが原因だと分かったのよ。だから、その伝手で、今度はナノネットの専門家に解決を依頼したの」
わたしはその返答に困った。よく分からないけど“専門家”という以外の根拠がまるでない気がする。まったく信頼できない。それでわたしは「とても不安なのですけど」と口を開こうとした。しかし、その前に一番奥の席に座っているおじさんがこう言ってそれを言わせてはくれなかったのだった。
「原理、方法は専門知識が必要になるので上手く説明できませんが、実績はある人です。私は何度もその実力を見てきました。信頼できますよ」
単なる漠然とした印象でしかないけど、その人はこの会合の中で浮いている気がした。全然似てないのになんだか狸みたいな印象を受ける。柔和な顔つきで笑っていた。
本当はわたしは「それでは根拠にならない……」とそう言いたかったのだけど、そこにいる全員がうんうんと頷くものだから、その空気を壊す事ができず、結局は何も言えなかった。
“こーいう時、きっと並木さんなら、平気で口を開くのだろうな”
と、そこでそう思う。
ため息を漏らした。
「あなたは審査員になる事で、誰かから恨まれるのを恐れているのでしょう? 低い評価を下されたグループは理不尽にあなたを攻撃するかもしれませんからね。
ですが、安心してください。あなたの事は絶対に護ります。そんな目には遭わせはしませんから」
それからその狸おじさんは、そう言ってわたしを説得して来た。それが図星だったのと、後はその場にいた皆の雰囲気に押されて、わたしは「分かりました」と気付くとそう言葉を返してしまっていた。
絶対に引き受けてはいけないと、頭では分かっていたのに……
その秘密の会合が終わり、喫茶店を出て“とんでもないことになった”とげんなりした気分で歩いていると、不意に後ろから話しかけられた。見ると、さっきの狸おじさんだった。わたしは驚いてしまう。
「いやいやいや、すいません。どうしてもあなたと二人きりで話してみたかったものですから」
そのわたしの驚いた表情を見ると、狸おじさんはそう言って、柔らか過ぎだと思えるくらいに表情を変化させてこう続けた。
「実は、あなたに審査員をやってもらうべきだと提案したのは私なのですよ」
その言葉にわたしは面食らった。
「あなたが? どうしてですか? わたしはあなたを知りませんが」
てっきり同級生の誰かが言ったものだとばかり思っていた。
「まぁ、ある伝手であなたを知ったものですからね。それで非常に好奇心を刺激されました。あっと、この言い方は駄目だ。勘違いをされてしまう。申し遅れましたが、私はカウンセラーをやっていまして、それで人間心理に興味があるのですよ」
その説明を聞いてわたしは「カウンセラー……」とそう呟いた。確かにカウンセラーであるのなら、わたしを興味深い“症例”として捉えても不思議じゃない。
それから狸おじさんは続けてこう質問して来た。
「ところで、あなたの家にもIoTナノネットがあるかと思いますが、異なったグループのナノネットを混ぜて何か不具合が発生した経験などはあるでしょうか?」
その質問の意図は分からなかったけど、わたしはそれに「ありませんけど」とそう応えた。知らず知らずの内に異なったグループのナノネットを混ぜ合わせていた事はあったけど、家では何の問題も起こらなかったのだ。
「それは素晴らしい」
わたしの返答を聞くと、何故か狸おじさんはそんな事を言った。わたしは訝しく思う。何が素晴らしいのだろう?
「時々、異なった種類のIoTナノネットを混ぜても問題なく動くと聞いていますから、きっとわたしの家もそんなケースなのだと思います。相性が良かったのじゃないでしょうかね?」
狸おじさんはそれに大きく頷きながら「ええ、ええ。その通りだと思いますよ」とそう言った。そして直ぐ後でこう尋ねて来た。
「あなたは学校で、深くは何処のグループにも属そうとせず、様々なグループに浅く広く関わり、それぞれのグループを結び付けるような役割をされているそうですね?」
わたしはその質問に…… と言うか表現に困ってしまった。
「それはちょっと買い被り過ぎです。わたしは単に人と深く関わるのが苦手なだけで……」
そう。実際は、何処のグループにも深く入り込めないだけ、という方が正しい。それを聞いているのかいないのか、狸おじさんはこんな事を言った。
「あなたは“仲間だ”と感じる範囲が他の人に比べて広いのかもしれませんね。だから諍いを見ると“仲間同士でどうしていがみ合っているのか?”と不快に思う。差別を行ったり、戦争を行いたがる人達は、この仲間と認識する範囲が狭いのでしょう。だから平気で人間を傷つけてしまう。
そして、そんな風に仲間だと認識する範囲が狭い人達にしてみれば、仲間だと認識する範囲が広いあなたを理解できないのかもしれません。多分、あなたが孤独を感じるのには、そんな要因もあるのだと思いますよ」
わたしはその言葉に少しだけ驚いてしまった。どうして、わたしが孤独を感じているとこの人は知っているのだろう? だけど、そう疑問に思った後で直ぐに“人と深く関わるのが苦手”と聞けば、それくらい分かるかと思い直した。
「ですが、安心してください。そんな些細な点に拘らないで、あなたを受け入れてくれる人は世の中に絶対にいますから」
狸おじさんはそれからそんなカウンセラーっぽいことを言ってわたしを励まして来た。ただ、わたしは特にその言葉に感動は覚えなかった。だって、そんな人なら、既に一人知っているし。
それから狸おじさんは「それでは」と言うと軽く会釈をしてわたしとは反対方向に歩いていってしまった。
一人取り残されたわたしは、それから稲盛君を思い出した。そして、並木ヒカエさんの事も。
“きっと、わたしは彼女が羨ましくて仕方ないのだろうな”
それからげんなりとそう思った。




