0.モノのインターネット
自分でもつい間違えるのですが、物的物式で”ぶってきぶっしき”ではなく、”ものてきものしき”と読んでもらいたいと思っています。
(犯罪心理学専攻生・星はじめ)
モノのインターネット…… IoTと呼ばれるそれは、機械などの様々なモノがインターネットによって繋がる事により成り立つ仕組みを意味します。容易に想像できるとは思いますが、ネットでモノたちが繋がると、相互に制御したり情報を交換し合えるようになります。
これが実現すると、自宅の冷蔵庫の中身を買い物先から把握したり、賞味期限切れ間近の食品の存在をユーザに知らせ無駄な食品廃棄を防いだりといった事が可能になります。もちろん、冷蔵庫だけではありません。例えば、部屋を快適な状態にする為、家に帰る30分前に自宅のエアコンのスイッチをネットを介してオンにしておくなんて事も可能です。
これらは一般消費者の活用方法ですが、企業にとってもIoTは魅力的な活用方法が期待できます。例えば機器の故障が起きる前兆を前もって捉え、予め対応するといったような事が可能になりますし、その他にも工場の生産ラインのウィークポイントを見つけたり改善を行ったりといった事もできるかもしれません。
しかも、これは人工知能を結びつける事で、更に強力になり得ます。わざわざ人間が機器の故障を監視しなくても、IoTを通じて人工知能が機器の状態を把握し、それを人間に報告…… いえ、自動的に対処すらできるようにもなるでしょう。もっとも、これを実現する為には、膨大な情報を人工知能に提供する必要がありますが。
Aという機材が熱くなり、Bの回転が高くなり過ぎればCという故障が発生し易く、その原因はXでYという対処方法で解決する事ができた……
そんな情報を膨大に溜め込むのです。
そういった情報を基に、帰納的思考…… いえ、“超”帰納的思考を人工知能が行い、何らかの結論を導いたなら、あとはパターンマッチングによって実際にそれを現実に活用すればいいだけです。
因みに、帰納的思考というのは、情報群から何らかの結論を導くというもので、例えば、たくさんのカラスを観察して、カラスの色がどれも黒ければ、「カラスは黒い(ことが多い)」と結論付けられる、なんて感じの思考方法のことをいいます。
人工知能はこれを膨大かつ極めて高度に行うのですね。人間ではおよそ不可能な規模の情報量に対し、人間ではおよそ不可能な程に深く深く解析を行って、これまでは考えられなかったような結論を導くのです。
……これはある意味では、ネットワーク的な思考と言えなくもないかもしれません。情報をネットワークとして捉えて分析しているわけですから。
これまでコンピューターといったら、シミュレーション世界で現象を仮想的に展開するといった超演繹的思考とでも表現するべき演算が得意という印象がありましたが、どうやら人工知能の登場によって、超帰納的思考までも手に入れてしまったようです。夢や希望が膨らむ話でもありますが、同時に少々怖くもなりますね。果たしてこの先には何が待ち構えているのでしょうか?
もっとも、未知の存在を恐れるというのは人間の性質で、必要以上に警戒をするべきではないとも思いますが。
さて。
人工知能の分野で日本は出遅れていると言われています。確かに世界的に有名な人工知能は海外のものが主流ですし、情報を効率良く集める制度や文化も日本では残念ながら整っていません。そんな中で、日本に比較的分があると言われているのが、実はこの“モノのインターネット(IoT)”なんです。
隆盛期に比べれば衰退したとはいえ、まだまだ世界レベルの技術力を誇る工場が日本には数多くあるのですが、それは人工知能がIoTを活かす為の情報源になるのです。しかも、日本の工場は老朽化が進んでいるものが多い為、今後、IoT機能付きの新設備を導入し易かったりもします。
もっとも、国にこの認識はあまりないようなので、民間が自主的に行うしかなさそうですが……
“モノのインターネット(IoT)”は、「実生活とネットを結びつける仕組み」とも表現できます。人が日常生活で普通に取る行動がそのままインターネット上に吸い上げられ、しかもそれが情報として蓄えられて、分析や活用の対象となるのですから(こんな風に書くと、恐怖を覚える人も中にはいそうですが、先にも述べた通り、必要以上に恐れることはありません)。
ならば、
或いは、そこには人間達が自覚していなかった心理が投影されるかもしれません。いえ、それだけじゃなく、逆に人間心理に影響を与えていく事になるのかもしれません。
人間は集団で生きる動物で、だからこそ、個人の心理を捉える為には、集団にも着目しなくてはいけない……
そんな主張している人が、知り合いの知り合いにいるらしいのですが、
だとするのなら、それ…… “モノのインターネット(IoT)”をも含めた人間社会をこれから彩るモノモノは、果たして僕らを、人間を、どう変えていくのでしょうか?
もちろん、それが望ましい変化であった方が良いのは言うまでもないですし、またそうなるように働きかけるべきだとも思うのですが。
しかし、です。
そう考えるのなら、当然、このような疑問を抱くと思います。
僕らはその為に、一体何をしなくてはならないのだろう?
この分野はまだまだ雲をつかむような状態ですから、恐らく、そこから問いかけねばならないのだと…… そう僕は思うのです。