九 隠者に会う
2話あります。
「師匠! 着いたみたいだぜ!」
シュウの師匠・ヤザン師の勤めていた地方領主の館から馬車を走らせること一昼夜。たどり着いたのはシナト王国の北の地、山岳地帯の入り口であった。
ここで簡単にジダーン大陸の地理を説明しておこう。
ジダーン大陸は四方を海に囲まれた、完全に独立した大陸である。
おおよそ菱形をした大きな島といっていい。
有史以来海の向こうに他の大陸が確認されたという記録はなく、また、外海からこの大陸を訪れた人間もいないという極めて閉鎖された空間なのだ。
シナト王国とジャナ王国がこの大陸を二分していると前述したが、東のシナト、西のジャナといわれるほど文字通りの分かれ方をしていた。
特に大陸の東側と西側は農耕作地帯であり、そこが両国の荘園である。都市は荘園を繋ぐ街道沿いに点在し、首都はどちらの国も大陸中央寄りにある。首都間の距離は馬車で3日ほどであるのも前述どおりだ。
大陸の南側は、川が北から東西に分かれてしまっている上に、井戸となる地下水もないらしく、おまけに雨まで少ない寒冷地と来れば荒野が広がるばかりであった。東寄り、西寄りの荒野では井戸の南限らしく、何とか牧畜にも利用できるようだ。
大陸中央は、神の悪戯か、まるで測ったように幅1kmほどの荒地が南北を貫き、南の荒野に繋がっている。空から見ると巨大なフライパンが置かれているように見え、柄に当たる部分が事実上の国境となっていた。戦争はほとんどの場合この荒野で行われる。
国が二つできるのも頷けるというものだ。
そして大陸の北側は険しい山岳地帯になっている。
裾野は亜熱帯のジャングルで、ドラゴンを筆頭に無数の魔獣がそれぞれ縄張りを持ち、とても人が暮らせるところではない。一応は国境があるのだろうが戦争にも向かず、駐屯する軍隊もない状態なのである。
北回りでジャナ王国に続く、手入れもロクにされていない街道の途中に馬車を停めた一行はここから徒歩になるようであった。
獣道のような山道。辺りは植生が濃く、ジャングルそのものである。
ミーシャとサラ王女は、まさかこんなことになるとは思ってもみなかったようだが、それぞれ自分の意志に従って飛び込んできたのだ。文句も言わずに歩き続けた。
サトラ王子も、一応は訓練を受けている男である。先頭のヤザン師と共に時折剣を振るって後ろの女性たちが通りやすくなるよう枝葉を切り払っている。
哀れを極めたのは最後尾のシュウであった。
女性二人分だけならまだしも、全員分の荷物を背負わされ、よろよろとしている。荷物だけが問題ではない。ジャナ王国からここまで、たった一人で五日間以上馬車を走らせていたのだ。睡眠もここ2日はロクにとっていない。
だが、今の状況になったのは自分がミーシャの兄、カイエン卿を殺めてしまったことが発端であると考えている。であるならば、ミーシャのためにも、自分を信じてくれた親友・サトラ王子のためにも根を上げるわけにはいかないと必死で歩き続けるのであった。
そんなシュウの気持ちがわかるのか、教え子に手も貸そうとしないヤザン師である。
「ほれ、着いたぞ」
昼前から一体どれだけ歩いたのか。幸い一体の魔獣とも遭遇することなく、日もだいぶ傾いたころ森が開けた丘陵地にたどり着いた。
一軒の山小屋が見える。
シュウは勿論、若者たちはやっと休めると最後の力を振り絞るように山小屋を目指すのであった。
「ハッハッハ。鍛え方が足りんわ!」
豪快に笑う歴戦の戦士が先導する。
「いるか!」
「うわっ!」
ヤザン師が重そうなドアを開けた途端、サトラが悲鳴を上げた。
いきなり剣が突きつけられたのである。
「……なんだ……キサマか……」
「久しぶりだな」
微動だにしなかったヤザン師を見て、その人物は剣を退く。見るからに達人といった感じではあるが、白髪に白いヤギ髭の小柄な老人である。剣さえなければどこぞのご隠居といった風体だった。
「せ、先生……」
「まあ、入れ。少し休んで、話はそれからだ」
「あー、やっと眠れる……」
ヤザン師はまるで自分の家のように振る舞い、若者たちを小屋の中に招き入れた。
さすがにシュウはヤザン師の弟子である。小屋の持ち主に何の挨拶もなく、荷物を放り出して床に大の字になった。あっという間にいびきを立てる。
「しゅ、シュウ……仕方ないヤツだな……先生。こちらの方は?」
「あ? せっかちだな。このじいさんはクガト。俺の師匠だ」
「え? 先生の先生?」
サトラは、まるで何事もなかったかのように窓際のゆり椅子に座っていた老人を改めて見つめた。
「まあ、お前らもまず身体を休めろ。茶ぐらいはジジイも出してくれる」
「ふん。勝手に飲め」
「わ、私がします」
「わたくしも」
小屋の主で、ヤザン師の師匠であるクガト師が不満そうな声を出したので、ミーシャとサラ王女がお茶汲みを買って出る。
サトラも手伝って、休憩の前の一仕事となった。
シュウはそんなことは知らずに高いびきのままである。
「姫さんに貴族の嬢ちゃんが淹れた茶か。高くつくぜ、ジジイ」
ちょうどクガト師も炊事しようとしていたのか、竈にかかっていた鍋に湯がたっぷり入っていたので、お嬢様たちもそれほど手間をかけずに用意ができた。
シュウを除くメンバーがテーブルに着き、茶をすする。
持参した菓子で糖分補給した若者たちはホッとした表情になった。
「先生。それで、クガト先生に何を聞けと?」
完全な休憩にはならなかったが、少しは心が落ち着いたサトラが話を切り出す。
「おい、じいさん! こいつらがおもしれえ話があるってよ!」
サトラ王子の質問に直接は答えず、ヤザン師はゆり椅子に座ったままのクガト師に声をかけた。
「煩わしい世間を離れてここにいるんじゃ。今更面白い話もないわ」
「まあ、そう言わねえで、聞いてやれ。んで、ジジイからも昔話をしてやれよ」
「昔話だ?」
サトラは、やる気のなさそうなクガト師に何とか興味を持ってもらいたいと思い、正体を打ち明けることにする。スッと立ち上がってゆり椅子に近づいた。
「クガト先生。私はシナト王国の第一王子。名をユルハン・サトラ・シナトーラと申します。是非伺いたいことがあるのです」
クガト師は、平民の格好をした少年をじっと見つめた。
「……王子か。父親はキロエハンだな? 息災か?」
「あ、はい……大先生、話を……」
「まあ、座りなさい。山道は疲れたろう。立ち話も何だしな……」
「はい! ありがとうございます!」
クガト師が話を聞く用意があると知ってサトラは喜ぶ。窓の前、ゆり椅子の横の床に腰を下ろした。
「実は……」
サトラにとっても何度目の説明になるのか。シュウが参加した戦さから話し始め、魔法協会の陰謀の可能性と戦争の是非について言及する。
「なるほど……やはり気になる人間は出てくるものだな……」
サトラ王子の話を聞き終えたクガト師はそんな感想を述べる。
やはり、という単語にサトラは違和感を感じた。
「大先生! 知ってらっしゃるんですね!」
「……およそはな……」
クガト師の回答を聞いて、ミーシャもサラ王女を思わず立ち上がってしまった。
「じいさん。話してやれよ。茶の礼だろ」
「……まったく……師匠の屋敷に来てあの態度。誰に似たのやら……」
若者たちはクガト師の言葉に、床に大の字になっているシュウと、ヤザン師の顔を見比べ思わず笑ってしまった。
「よし、お前らはジジイの昔話でも聞いてろ」
笑われたせいかどうかはわからないが、ヤザン師も席を立つ。
「え? 先生は?」
「俺はコイツに稽古をつけてやる。久しぶりだからな。おい! 起きやがれ!」
剣を手にしたヤザン師は、足元のシュウを蹴飛ばした。
「イテッ! な、なにすんだ……」
「起きろ! 稽古つけてやる」
「……は? 寝惚けてんのか?」
「そりゃオメーだ。その剣、バスタードだな。使えねえだろ」
シュウが枕にしていた、ミーシャの兄、カイエン卿の形見を指差し、ヤザン師は言い切った。
「使えねえって、どういうことだ?」
「それも知らねえのか。いいか、そのバスタードソードってヤツはな、大剣とサーベルの中間剣だ。バランスが無茶苦茶ムズいんだよ。サーベルやクレイモアのつもりで使ってると、腕のいい相手に出会ったら死ぬぜ」
さすがは歴戦の戦士。弟子の力量はお見通しのようだ。
シュウも剣術に関しては師匠の眼力を信頼している。不承不承立ち上がるのだった。
「ちっ! いい気持ちで寝てるところ起こしやがって! 外に出ろ! オレがこの剣を使えねえかどうか見せてやる!」
言葉遣いはともかく、シュウは剣の稽古に出て行った。
残された若者たちは唖然としている。
「師が師なら、弟子も弟子だな……」
クガト師の呟きは、またもや若者たちを爆笑させた。
それがきっかけとなって、3人の若者はクガト師の周りに集まり床に腰を下ろした。
「では大先生。お話をお願いします」
「ふむ……」
シュウ抜きでクガト師の昔話は始まるようである。