二 悩める飲み屋横丁
謎の人物登場。
と思ったら、説明回に。
『……少しばかり居眠りしていたが……ここの歪さは相変わらずか……』
虚空を見つめる眼差し。
それはすべてを見通すかのようであった。
『……ふむ……足掻く者はまだいるようだな……じれったくもあるが、どうすべきか……』
その後は静寂が支配した。
考えに耽る眼前には大海に浮かぶ小島がある。
いや、人というちっぽけな存在からすれば大陸と呼んでも差し支えはないだろう。
だが、そこに住まう人々にとってはどうでもよい話である。
そこは戦乱の世であった。
◇◇◇
ジダーンという名で呼ばれる大陸を二分するシナト王国とジャナ王国は、兄弟国として誕生した昔から戦争を繰り返している。
しかし、戦争は文明を進歩させる、というようにはいかなかった。
なぜなら、いわゆる『剣と魔法の世界』のことである。一般の生活でも魔法技術を利用した道具が一般的で、科学技術の発展は至極緩やかであり、武器としても飛び道具はせいぜい弓矢の類、薬学と錬金術の派生で銃に大砲がひっそりと登場したくらいであった。魔法攻撃のほうが遥かに強力なのだから、魔法を使えない人間が道具で補う程度の感覚なのだ。
その戦争形態がいつのころからか変ってきたことが現在の歪さに繋がる。
魔法を使う人間が戦争に参加しなくなってきたのである。一方の国がではない。タイミングを見計らったように両国で、しかも不自然に見えないように、徐々に数を減らしていったのだ。
すると、戦い方は剣を中心とするようになったのだが、それ以外の武器の使用も何故か激減するようになる。
さらに、いつからか、戦争にルールが加えられてきた。
それは戦争による死者を減らすという大義名分の下、広く世に受け入れられることになる。
一つ、戦闘参加者は支給のマントを着用し、同じく相手側のマントを奪うこと。
一つ、マントを奪われたものは死者と見なし、早々に戦場を離脱すること。
一つ、マント無き者への攻撃、また、マント無き者が攻撃することを禁ずる。
――という類のものである。
このルールを徹底させるため、お互いの国から監視員が戦場に派遣されていた。シナト王国は『魔法協会』、ジャナ王国は『魔術管理組合』という国家機関がその任に当たっている。
その名の通り魔法の権威で、戦闘には加わらないが、遠見の術などを使い、すべての戦闘の模様を監視しているのだ。
これらの機関が管理するのは戦争全般に関してで、魔法使いは当然のこと、兵器についても一切を取り仕切っていた。
違反があればすぐに逮捕される。かなりの罪になるというので戦闘員は真面目に戦争を行わなければならない。
そんなわけで、ジャナ王国の第一司令官であるジュナル・カイエン卿の行動は両国監視員に筒抜けのはずであり、シュウが誤ってジュナル司令官を殺めてしまったことも正当防衛、戦闘中の当然の行為と結果で、その意味ではシュウが悩むことなど一つもないはずである。
だが、その日以来、シュウの心は晴れなかった。
「よう! 一人なんて珍しいな! 噂の新しい女はどうした?」
シナト王国の城下町、ある酒場で一人飲んでいるシュウに、陽気な声をかけてきたのはあの日シュウと行動を共にしていた男であった。
このときは他に連れがいたが、ヘルメットを装着していない姿はシュウより老けて見え、二十代半ばといったところか、兵士としては若い部類かもしれない。
というか、シュウのほうが兵士として若すぎるといった感じだ。肉体こそ長年大剣を振るってきたからか見事な筋肉のつき方で、兵装していない姿はやんちゃな少年そのものである。頭には白の鉢巻をしたままだが、これがシュウのトレードマークらしい。
「……なんだ。剣士A、Bか……」
「おいおい。その呼び方はよせって。凄腕の剣士様の名が泣くぜ……」
自称『凄腕の剣士』の同僚はエートスという。この間は一緒ではなかったが、連れの男はビーグルという名であった。
シュウはこの二人が連れ立っているときは『A、B』と呼んでいるらしい。
からかう元気もないシュウはカウンター席でまたぼんやりとする。
「なんだよ、突っ込むところだろ。ここは」
「あ? なんだっけ……」
「おい、おい。女っ気がないのもおかしいってのに、何だよ、それ……」
女タラシと見なされているシュウの様子に異常を感じた二人は、シュウを挟むように座り、二人でシュウの肩に手を回した。
「また女にフラれたか?」
「いやいや、女にフラれたくらいで『タラシのシュウ』が落ち込むかよ。なあ?」
「まあ、飲もうぜ!」
A、Bの二人は勝手にしゃべって勝手に解釈してくれる。
今のシュウにはありがたいやら迷惑やらであった。
「……なあ……」
「ん?」
「お前ら、人を殺したことあるか?」
酒の勢いか、友人のいる暖かさからか。シュウはつい心の内を漏らしてしまう。
「殺したって……いつ……」
突然の話題に、さすがの陽気なエートスも声を震わせた。
「あのあと敵陣近くでな……」
「な、なんだ~」
またもやホッとしたように声の調子が変る。
「何だって、何が?」
友人の反応に怪訝な顔をするシュウであったが、友人たちは明るく答える。
「戦場で、だろ? 元々死んで当たり前。クレイモアでブッ叩いたら、打ちどころが悪けりゃ一発であの世行きよ!」
「いや、そういうことじゃなくてな……」
「いちいち敵の生き死になんて気にしてないからな、俺だってもしかしたら何人かあの世に送ってたかもしれないぜ」
「そうそう。それに、魔法協会の連中が見張ってるんだ。違反さえしなきゃ問題ないだろ。シュウ、まさか、マント無しのヤツでも殺したのか?」
「……ああ。まあな……」
「あ? で、でも……協会からお咎めとか無かったんだろ?」
シュウの告白を聞いてさすがに声を潜める二人だった。
「ああ。特には何も……マント回収した後襲ってきたのは向こうだったし……」
「じゃ、じゃあ、何てことない。シュウが勝っただけだ!」
「勝ったか……そうだな……」
シュウはその言葉に引っかかった。
勝ち負けの判断は誰がするのか。シュウが知っている限りではマントの数と魔法協会の判定だけである。
その証拠に、国が勝った負けたに関係なく、あの日戦闘が終わった夜から城下町では連日戦勝祝賀会があちこちで催されていた。
王国主催の戦勝祝賀会も勿論ある。
シュウは、あの日自分が倒した敵司令官の遺体を抱えて魔法協会の支部まで運んでいたので、その時間に間に合わなかったが、民間人の、ごく内輪のパーティーはこうして参加している。
そして、敵司令官の残した言葉も思い出された。
双方の国で戦勝祝賀会が開かれていると。
「なあ、知ってるか? 向こうさんも今頃こうやって戦勝会開いてるって」
「向こうって?」
「ジャナ国さ」
「ああ。まあな。結局、儲かった人間と損した人間がいるだけだろ? 勝ったときくらいパーッとやりゃいいさ!」
「ふ……そうかもな……」
そういえば、と思い出す。
今までは勝った負けたかは重要でなく、いくら儲かったかが当たり前の感覚だったことに。
シュウも負け戦さ、つまりマントを奪われたことくらいはある。
ケガはしたが、死ななかったことに感謝するより、マントを取られたことが悔しくて仕方がなかった。今回帰り際に出会った敵兵の顔を思い出す。
友人たちと話していて、以前の感覚を取り戻したシュウは、急に心が晴れた気分になった。
「おい! これを見ろ!」
いきなり席を立ち上がったシュウは、足元に置いてあった荷物袋からあるものを取り出した。
「あ! それって、線入り……」
「い、一本線じゃねえか!」
それは敵司令官から奪い取ったマントであった。
敵司令官のことでナーバスになっていたシュウは、賞金との交換を躊躇していたらしい。
「何でそんなの持ってんだ?」
「なんでって、ブッ倒したからに決まってるだろ!」
「お、おい……金貨十枚だぜ……」
「当分喰うにゃ困らねえぜ。酒もな」
金貨十枚。
それは賞金の最高額である。
その前に説明しておくと、シナト王国の通貨制度は金貨、銀貨、小銀貨、銅貨があり、金貨一枚で庶民レベルなら半月は余裕で暮らせる価値がある。
金貨一枚が銀貨十枚、小銀貨百枚、銅貨千枚に相当する。
国が苦心して管理しているといっても、やはり戦争で多用する鉄の価値がいくらか変動し、同様に青銅の価格にも影響するため、銅貨の両替率も多少変動し、経済の発展を阻害している。長く続く戦争の影響も相まって庶民に蓄財の観念は少ないようだ。
そして、戦争参加についてだが、名義として国軍、領主軍、傭兵に分かれるものの、ほぼ同一の待遇であり、参加者には相応の給金が出る。
ちなみにシュウは傭兵である。
ルールに従って参加者全員に支給されるマントは金貨一枚を担保とすることになっており、敵から奪ったマントも1枚で金貨一枚の賞金となるので、戦場では少なくとも1枚のマントを敵から奪いでもすれば結構な稼ぎとなるのだ。
自分のマントを奪われたりすると自動的に担保の金貨は国に没収されることにはなるが、それさえ気をつければいいと思っている兵士が多いので、戦場は結構のどかなものだ。
ちなみに、上官クラスの線入りのマントはそれぞれ、三本線が金貨三枚、二本線が金貨六枚、そして一本線が最高額の金貨十枚の賞金額である。こちらは、シュウのような賞金狙い専門の傭兵がギャンブル感覚で挑む、ボーナスといってもいい。
戦争参加者は手持ちがない場合、傭兵専門の金貸しに用立ててもらうか、国軍や領軍の兵士に登録してあるときは国から低利子で給金を前借りすることもできる。大体の一般兵士たちは借金を背負って戦っていることになる。
戦争は商売と同じ。
いや、三月に一度は必ず戦争が行われるためイベント感覚といってもいい。
人の生き死に、勝ち負けにこだわることに無頓着になるのも当然なのだ。
この国の戦勝祝賀会では、いや、おそらく敵国のジャナ王国でもそうだろうが、戦勝報告として奪ったマントの数は報告されるが、奪われたマントの数、ましてや死傷者の数は一切報告されることはない。
人々は既にそのことに慣れ切っていた。
兵士たちだけではない。こうして戦勝祝賀会を自前で開いては、一攫千金を果たした連中が気前よく金を落としていくのだから街の人々も戦争を歓迎しているのだろう。
「お前らのいうとおりだ。パーっとやるか!」
シュウは、敵司令官の言ったことを忘れようとするかのように明るく振舞う。
その陽気さがいつまで続くか。それは神の知るのみである。
謎人物、ベタでしたね。
あとしばらく出ません。
ネタバレするまでは長い長いプロローグと思ってください。